2012年1月29日 (日)

おそばの話

 ひさしぶりにとある立ち食いそばのチェーン店に立ち寄ったら、ありゃまあ、おそばがうまなったなあ、と。テーブルに置いてある小さなPOPを見てみると、挽きぐるみの石臼挽きになったとのこと。なるほど、確かに香りが違うね、と言えるほどおそばに詳しくはないのですが、でも、あの値段でこの味はコスパ高いよなあ。はい。そうです。コスパって言いたかっただけです。

 私は大阪生まれで、高校まで大阪で過ごしましたので、あまりおそばには親しみがありませんでした。大阪では、立ち食いそばではなく立ち食いうどんと暖簾に書いてあります。もちろんおそばもありますが、あくまでうどん屋なんですよね。

 はじめて東京でそばを食べたのは、大学受験の時でした。新宿で、お腹がすいたし何か食べたいなあと思って、地下街をうろうろしてたら、立ち食いそばのお店がありました。食券機を見ると、天ぷら付きの盛りそばが500円。えっ、えらい高いなあ、と思ったけど、まあいいや、と食べてみると、うわっ、これは。そのお店、とある老舗そば屋さんの出店だったんですね。

 「なんだこれ、ラーメンみたい。」

 今思うと、かなりはずかしいですが、食べて最初に思ったのがこれ。角が立ってて、コシがあって、なんというか、大阪で食べてきたおそばとまったくちがうのです。大阪のおそばって、基本、うどんが飽きたときのものだから、って言い切るのはあれかもですが、まあ、当時はそうでしたから、って言い切るのもどうかと思うけど、まあ、あれです、今でもたいがいのお店では、おそばは色が濃くて細いうどんみたいな感じなのです。

 東京の人はおそばを大事にしますよね。私も、そば好きの人に連れられて、老舗の名店に何度か行ったことがあります。中には、ただの盛りなのに、この値段、サーロインステーキが食べられるじゃない、という値段のものもありました。まあ、おそばにはおそばの、サーロインステーキにはサーロインステーキの価値ってものがありますが、それでも、ねえ、いくらなんでも、ねえ。

 そんな老舗のおそば屋さんに行くときは、たいがいはお酒を呑みます。つまみに、卵焼きとか板わさとかを頼みます。あと、天抜きとかも。天抜きは、天ぷらそばからおそばを抜いた物で、おいしいです。

 そんなおそば屋さんには、メニューに海苔というのがありますよね。木でできた小さな火鉢に引き出しがついていて、その引き出しを引くと海苔が入っています。つまり、暖かい海苔。これがまた高いんですよね。確かに風情がありますが、でも、海苔でしょ、だたの海苔でしょ、どう見ても海苔じゃいですか、そんな言葉が頭の中でループする私は、江戸っ子には一生なれないんでしょうね。

 江戸前のおそばは好きだけど、なんかその文化にはなじめない。そんな私のいちばんのお気に入りが山形のおそば。

 その中でも、太めに切った田舎そば。冷やし地鶏そばという名物があって、薄口の冷たい出汁に田舎そがばどかんと盛られて、薄切りの地鶏と三つ葉が添えられています。これでもかというそばの香りともにガツガツいくんです。出汁をぜんぶ飲み干して、ああ、うまたっか、そば食ったなあ、満足、満足という感じがとってもいいんです。

 東京で生活するようになって、かれこれ20年ほどになります。結論は、うどんはともかく、おそばはこっちのほうが断然うまい。で、大阪に住む親父にこの味を、ということで、一度こちらで生そばを買って、ゆでて食べさせたことがあるんです。

 「うーん、これ、あんまり好きやないなあ。もっと柔らかいのがええわ。」

 そうかあ、そりゃしゃあないなあ。まあ、味覚は人それぞれ、ということなんでしょうね。では、みなさま、引き続きよい日曜日を。

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2012年1月28日 (土)

小島慶子さん「キラ☆キラ」降板のポッドキャストを聴きながらターゲティングの功罪について考えてみました

 TBSラジオのお昼の人気番組「キラ☆キラ」のパーソナリティ、小島慶子さんが降板されるそうです。いろいろ憶測でニュースが流れたりして、その誤解を解くために、小島さんが自身の言葉でオープニングで降板の理由を語っています。

 理由は、局側から「まだラジオを聴いていない、40代、50代の男性の自営業の人を意識したしゃべりをしてください」と言われて、「ラジオはリスナーとの会話。今聴いている人に話しかけながら、その肩越しに聴いていない人を呼び込むしゃべりをしろ、と言われたら、それは絶対できない」とのことで自分から降板を申し出たそうです。出典:J-CASTニュース

 生放送ですが、TBSラジオのサイトでポッドキャストで聞くことができます。こういうニュースは活字で読むとニュアンスが変わるし、これは結構重要なことですが、この話が語られたのは隣にピエール瀧さんがいて、彼女の話を聞いてくれているという状況ですので、その部分を押さえなければいろいろ間違えそうです。興味のある方はぜひ聞いてください。興味深いトークだと思いますし、おすすめします。

 2012年01月26日(木)オープニング ー TBSラジオ「小島慶子 キラ☆キラ」

 直球ど真ん中で熱く語る小島さんと、少し距離を置き小島さんの思いを受け止めながら、小島さんの放送を楽しみにしているリスナーのことも考えて話す、大人なピエール瀧さんもどちらも素敵です。この音源だけで「プロってなんだろう」みたいなテーマで徹夜で語りあえそう。

 で、このポッドキャストを聞いて、なるほどなあ、そうだよなあ、ターゲティングって一体何だろうなあと思ったんです。局側の「40代、50代の男性の自営業の人を意識」という言葉は、あまり気持ちのいい言葉ではないけれど、そんなに突飛な発言ではないですよね。これを突飛と言い出したらマーケティングなんて成り立たないです。また、この話がラジオパーソナリティの話ではなく奇跡のプレゼン術だったりしたら肯定的に受け止められる話かもしれません。

 でも、ラジオパーソナリティは局のマーケティング戦略のパーツではなく生身の人間ですので、それはできないという小島さんの気持ちは痛いほどわかります。先のポッドキャストでも、たぶん、ピエール瀧さんはその小島さんの気持ちは全面的に肯定していて、その上で、そんな内輪の話は今聴いてくれているリスナーさんにまったく関係がない話なんだから、大人として、プロとして受け流して、聴いてくれるリスナーさんのために全力を尽くせばいいじゃないか、ということなんでしょう。

 また、ピエール瀧さんはそこまで言っていませんが、たぶん、聴いてくれるリスナーさんに一生懸命に語ることで、まだ聴いていない人にも届くかもしれないし、まだ聴いていない人に届けるのはそれしかない、ということも思っている感じがしました。それは、ピエール瀧さんがミュージシャンでありアーチストだからだろうと思います。

 じつは、この話が象徴していることは、マーケティングにとってターゲティングがいかに繊細で難しいか、ということだと思います。このケースのように、番組がはじまって人気が出てしまったら、ターゲティングの変更はほぼ不可能。小島ちゃん、そこをなんとかよろしく、ではたぶん無理だと思います。番組を変えることしかやりようがありません。

 マーケティング、とりわけターゲティングは、広告の文脈で言えば、フレームワークのフェイズで考えるべきことで、あと出しジャンケン的に立ち上がってから変更するのは不可能だと考えたほうがよさそうです。それでもターゲティングは難しいのだから。

 ターゲティングは難しいという例をひとつ。

 白鶴に「鶴姫」という低アルコール・低カロリー吟醸酒があるんですね。少し少なめの300mlビンで、軽い味わいでなかなかおいしいです。この「鶴姫」、もう20年以上前になりますが、デビューの時は若者をターゲットにしていました。当時、缶入りでイルカのイラストがおしゃれな「飛沫(しぶき)」という発泡日本酒が若者を中心に受けていて、その流れで、ターゲットを若者に、ということだったと思います。

 で、テレビCMのキャンペーンを大々的に打って、「鶴姫」は売れたんですね。でも、若者に、ではありませんでした。この「鶴姫」を買ったのは主にお年寄りだったのですね。お年寄りはあまりお酒をたくさん飲めませんよね。また、アルコールも低いほうがからだにやさしいし、晩酌に少しだけというのも、お年寄りのニーズに合っていました。

 ターゲティング的には見当違いということですが、この「鶴姫」はお年寄りに今も愛されて、20年以上経った今も愛されるブランドになったんですね。皮肉なようですが、これもターゲティングの一面ではあるんです。でも、もちろん、ターゲティングは意味がないということではなく、むしろ、マーケティングとはターゲティングと定義してもいいくらい重要で、ターゲティングひとつで商品やブランドの運命が決まってしまうほどなんですけどね。この「鶴姫」だって、若者にこだわっていたら、たぶんもう存在していないと思います。つまり、今も「鶴姫」があるのは、事後的ですが、お年寄りにターゲティングしたからとも言えるんです。

 なんか、そう考えると、小島慶子さんが降板するのは惜しいなあと思います。なんか、双方にしあわせな話ではなさそうで、しかも、ボタンの掛け違いっぽいんですよね。感情のこじれというか。局側に「まだラジオを聴いていない、40代、50代の男性の自営業の人」を本気で取りにいくつもりだったら、番組ごと変えるのもありだと思いますが、どうも話を総合するとそんな感じでもなさそうだし。真相は知りませんので、もっと何か別のことがあるのかもしれませんが、とりあえずは神足さんが戻ってくるまでは続けてほしかったなあ。

 今からでも遅くはないと思いますし、なんとかならんもんなんですかねえ。

 ■関連エントリ:「広告表現とターゲティング感覚

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2012年1月26日 (木)

東京糸井重里事務所を退職しました

 思い起こせば、このブログを書き始めてから4年と3ヶ月になるんですね。その半分以上の時を、東京糸井重里事務所で働きながら過ごしたことになります。

 このブログには書きませんでしたが、2年と少し前のある日、このブログを読んでいただいていたという糸井さんからメールをいただきました。それが入社のきっかけです。私にとって糸井重里さんという広告人は、お手本でもあり目標でもありました。つまり、特別な存在なのです。これは、決してお世辞でもなんでもなく、正直な気持ちとしてどうしようもなくあるのです。

 もしかすると、リアルタイムで広告クリエイターとしての糸井重里さんがつくる広告を追って来た世代は、私の世代で最後かもしれません。それ以降の世代では、文化人としての糸井さん、ほぼ日の糸井さんという感じだろうと思います。このブログでも、糸井さんのことはたくさん書いてきました。代表的なエントリは、きっと「糸井重里さんの重さ」だろうと思いますが、そのエントリを今読み返してみて、あれから3年以上経った今でも、やはり重いです。

 東京糸井重里事務所、つまり「ほぼ日刊イトイ新聞」では、主にほぼ日手帳を担当してきました。自社メディアが中心で、かつ、ほぼすべてのコミュニケーションがネットを起点とし、逆のベクトルでマスメディアやリアルに広がっていくという、これまでに経験したことのない仕事に関われたことは、私にとって大きな財産であり誇りです。そこには、コミュニケーションデザインのすべてがありました。また、これからの新しい広告コミュニケーションの大半は、こうした自社メディアを起点とし逆ベクトルで広がるコミュニケーションになっていくはずです。

 また、東京糸井重里事務所では、糸井さんという私にとって、とてつもなく大きく「重い」人に誘っていただかなければ、たぶん私の人生では味わうことの出来ない楽しい経験をさせていただきました。普段は、あまりこういう姿をブログでさらしたりはしないのですが、今回は特別です。こんなこととか、あんなこととか。そうそう、期間限定ですが、横風太郎の壁紙もゲットできるんですよ。ワニが泳いできますので、そのワニをクリックです。

 自分のこれからの人生を考えたとき、やはり、広告人として、様々な会社が持つコミュニケーションの課題に対してソリューションを提供していく仕事をしていきたい。自分ができることは、やはりこれしかないと思う。

 そんな私のわがままを、社長の糸井さんやほぼ日の乗組員のみなさんは、大きな心で受け入れてくれました。また、最終出社日には、糸井さんからは「応援してる」との言葉をいただきました。泣きそうになるくらいうれしかったです。

 また、いろいろと思い悩むことろがあって前職の退職時にブログでのご挨拶が果たせませんでしたが、応援の言葉とともに東京糸井重里事務所へと送り出していただいた、姉帯社長、元クリエイティブ局長の鎮目さんをはじめとする電通ヤング・アンド・ルビカムのみなさん、送別会まで開いていただいた田中貴金属のみなさん、仕事でご一緒したみなさんにも、あらためて御礼を申し上げます。糸井重里事務所でこんなに楽しく有意義な日々を過ごすことができたのも、みなさんのおかげです。

 じつは、退社日は1月31日なので、まだ東京糸井重里事務所の社員なのですが、もう、たぶん最終日まで犯罪などを起こすことなくなんとか過ごせそうですので、正式な退職前ではありますがご報告をさせていただきました。しばらく充電して、また新たに頑張っていこうと思っています。せっかくのフリーエージェントでノマドな身分(これ、一度使ってみたかったんですよね)、これまでお話を聞きたいと思っていた方ともお会いしたいなあと思っています。突然お声がけするかもしれませんので、その折は、どうぞよろしくお願いします。また、お気軽にお声がけください。

 少し書けなくなった時期もありましたが、こうしてまた書き始めてみて、私にとってこのブログはかけがえのないものだとあらためて気付きました。お読みいただいているみなさんにも、あらためて御礼申し上げます。ありがとうございます。

 今後ともどうぞよろしくお願いします。

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 facebook:http://facebook.com/kouji.ikemoto

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2012年1月24日 (火)

システムを変えるということ

 私は大阪市民ではありませんが、生まれも育ちも大阪市ですし、大阪市がこれからどうなるのかは気になります。昨年の大阪府知事・大阪市長同時選挙は東京にいながら私なりに注視してきました。とはいってももっぱら、テレビや新聞、ネットでのニュースが情報源でした。

 このブログを読んでいただいている方はおわかりのことでしょうが、私は政治についてはあまり造詣が深くありません。ということもあり、メディアでの報道を追っても、橋下市長が主張していた「大阪都構想」は私にはよくわかりませんでした。というか、東京に住む私にとってはピンと来ないというのが正直なところでした。

 たぶん「都」にバイアスがかかっていたんですね。今はそれほどではないかもしれませんが、大阪人は東京への対抗意識があります。「都」という言葉が大阪人の誇りを刺激する部分があるのかな。そんなふうに考えていました。でも、なぜ大阪市を大阪府と統合させて、つまりは、大阪市を解消して大阪府を大阪都に変える必要があるのかはいまいちわからなかったのです。まず思ったことは、大阪市立大学はどうなるの?大阪市立総合医療センターってなくなのる?みたいなことで、政治に詳しい人からはレベルの低い話をしているなと思われるかもしれませんが、実際はそういう感じだったのですね。

 そんな私にとっては、橋下徹さんと堺屋太一さんの共著である『体制維新ー大阪都』(文春新書)はとてもわかりやすかったです。大雑把に言えば、大阪市は市としては大きすぎるということ。大きすぎるがゆえに、大阪府と似たような機能にならざるを得ない。また、大阪市は大阪府の経済の中心地であり、事実上、大阪府よりも大阪市の権限が強くなるということが起きてしまっている。逆に、大阪市内の区は東京都の特別区のような選挙で選ばれる区長がいるわけでもなく、区の人口が多い割には、区民のニーズにあわせたたきめ細かい行政がやりにくい。だから、大阪市を解体し、大阪市の区を特別区にして、きちんと「基礎自治体」として機能させなければならない。そういう趣旨がわかりやすく書かれていました。

 府庁と市役所を一つにする、と言うと、反対派の議員や学者が一斉に、「知事の独裁になるので危険だ」と批判しました。大阪府と大阪市を一つにして一人の指揮官にすればいい、と僕が言ったことが、市町村長などを全部なくすかのようにとられたようです。しかし、それは誤解です。
 大阪のすべての権限と財源を大阪都知事が把握するのではありません。そんなことは不可能です。住民とのフェイス・トゥ・フェイスの仕事は、市町村長や新設する特別自治区の区長に委ねられる。これが「やさしい基礎自治体」の役割。経済の成長戦略や雇用対策など大阪全体に関わる課題については、「強い広域自治体」の長として都知事が指揮する。効率的な役割分担をしようという話です。(P166)

 このところ話題になっている学者さんや評論家さんたちとの論戦ですが、正直に言えば、橋下市長を批判する側が的を外しているような気がしています。橋下さんがディベートが強いとか、そういう問題ではない気がするんですね。橋下さんがやろうとしていることは、「強い広域自治体」という意味では独裁という批判はかろうじて当たっている気はするけれど、むしろ、「やさしい基礎自治体」を増やすということなので、現在の行政システムは変える必要があるという立場に自らを置くならば、市町村が合併し一つになる時代に自治体を増やす方向性での改革には問題があるのではないか、という批判が本来はまっとうなのではないかと思います。

 もちろん、今の行政システムは変える必要がないという立場もあります。たぶん、橋本市長を批判するにあたっては、この立場を取るのが一番わかりやすいし説得力もあります。ただ、あまり支持を得られそうもなさそうですし、実際に誰もその立場を表明していないですよね。その立場を表明してくれれば、私にも理解できそうなのですが、そうじゃないですし、なんか、今は学者フルボッコと言われてますが、単純にかみ合っていないなあと思うんです。で、かみ合ってない中で、こういうわかりやすい本をきちんと出している時点で、橋下市長の言っていることの方が筋が通っていると思います。

 僕は、社会のシステムが根幹にあり、文明はそのシステムがアウトプットするものだと考えています。先ほどのパソコンの例で言えば、OSはシステムでソフトは文明です。
 使えるソフトはOSによって規定されてくるわけですよね。ですからソフトが大きく変わるためにはOSが変わらないといけないのですが、今の日本においてOSの変化は単なるバージョンアップでは駄目。DOSからウィンドウズになったような大転換が必要だと思うんです。
 DOSからウィンドウズに転換した途端に、素人でも扱えるようなソフトがどんどん出てきました。そしてコンピュータ社会、ネット社会といわれるようになりました。アウトプットされるものは常にシステムによって規定を受けます。だからアウトプットをいまの時代、いまの状況に合わせるためには、根幹のシステムを変えなければならないと思っているのです。(P40)

 このくだりは、私にはたいへん理解しやすかったです。OSのバージョンアップではなく、根本的に作り直そうとするわけですから、橋下市長がよく言う「権力闘争」もわからなくもないし、比較的マルクスに親しみのありそうな反橋下市長派の方々も、つまりは「上部構造は下部構造が規定する」ということなので、理解しやすいと思うんですけどね。でも、橋下市長(この本の時点では橋下知事でしたが)は、こうも言っています。

 僕はよくゲームにたとえるんです。子どもたちは、ゲームのいろんなソフトについて友達同士でしゃべります。 おもしろい隠れキャラクターがあるとか、攻略法などを朝から晩まで喋っている。
 だけど、そのゲームを動かすニンテンドーDSや、PSPなどのハードの仕組みについて、じつはこれがアメリカ軍の機密にもなるようなチップが入っているとか、集積回路はどういう配置になっているとか、日本のこんな最先端技術が使われているとかという話はしませんよね。おもしろくもなんともないですから。(P36)

 なので、専門家を除いては一般ユーザーには伝わりにくい、と。確かに、この話はあまりニュースではでてきません。だらかなのかどうかは知りませんが、あまりこのシステムの変え方についての批判や反論がでてきません。でも、私がいちばん聞きたいのは、そこなんですが。

 私は、仕事柄、Mac OSを使ってきたからMacの話をします。2001年に、OS 9からOS Xに変わりました。BSD UNIXをベースにまったく新しく作り直されています。互換性はありません。OS 9はそれなりに高性能なOSでしたので、かなり大胆な試みだったと思います。OS 9で動いていたイラストレーターやフォトショップ、MS Officeなんかもまったく動きません。これは、ユーザーにかなりの負担を強いることだったのだと思います。これによってMacユーザーを辞めた人もいるかもしれません。

 けれども、今考えると、OS Xがなければ、きっとiPhoneもiPadもなかったんだろうと思います。今の状況を考えれば、それはやらなければならないイノベーションだったのだろうと思うんですね。しかも、方向性も間違っていなかった。

 もうひとつ、思い出すことがあります。私は広告制作を生業としていますが、OS Xができても、デザイナーはもとより業界全体がOS 9を数年にわたって使い続けました。クオークエクスプレスをはじめとするソフトが対応していない、もしくは高価で変える余裕がない。現状でもクオリティはそれほど変わらない。印刷が対応していない。OS Xではソフトが不安定。そんな理由だったと思います。一頃、OS 9が入っている中古Macの需要がかなりあったと聞きます。

 システムを変えること。それは、かなりのリスクを伴うことです。方向性を間違えれば取り返しがつきません。Mac OSであれば、市場から淘汰されるだけですが、行政の場合はとんでもないことになります。慎重になりすぎても悪いことはひとつもないと思います。また、行政の場合、一度変わったら、かつての広告制作界隈のように、それでもOS 9を使い続けるという選択はもはやできないわけですし。

 今月の27日、テレビ朝日の朝まで生テレビは「激論!“独裁者”橋下市長が日本を救う?!(仮)」というテーマだそうです。大阪市民、大阪府民は、選挙で変える方を選んだわけだから、どうシステムを変えるべきなのか、その具体的な方法と是非についてきちんと話してもらえないかなと思います。私は、そのことが聞きたいです。学者さんの批判も代案も聞きたいし、おもしろくともなんともないにしても、システムが変わればどうなるのかを、メリットやリスクも含めて橋下市長もきちんと語ってほしいです。できれば、考えられるリスクを最小化する方策も。もちろん、システムを変えるべきではない、という意見も聞きたいです。あまり一般受けはしなさそうですが、そういう考え方もありだと思っています。

 こういうテーマなら、言葉の正しい意味で、ちゃんとしたディベートになると思うんですけどねえ。

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2012年1月20日 (金)

Wikipedia英語版ブラックアウト終了後のメッセージ・日本語訳

Thankyou

http://wikimediafoundation.org/wiki/SOPA/Blackoutpage

 

Thank you.

The Wikipedia blackout is over — and you have spoken.

More than 162 million people saw our message asking if you could imagine a world without free knowledge. You said no. You shut down Congress’s switchboards. You melted their servers. From all around the world your messages dominated social media and the news. Millions of people have spoken in defense of a free and open Internet.

For us, this is not about money. It’s about knowledge. As a community of authors, editors, photographers, and programmers, we invite everyone to share and build upon our work.

Our mission is to empower and engage people to document the sum of all human knowledge, and to make it available to all humanity, in perpetuity. We care passionately about the rights of authors, because we are authors.

SOPA and PIPA are not dead: they are waiting in the shadows. What’s happened in the last 24 hours, though, is extraordinary. The internet has enabled creativity, knowledge, and innovation to shine, and as Wikipedia went dark, you've directed your energy to protecting it.

We’re turning the lights back on. Help us keep them shining brightly.

 

意訳:

ありがとう。

ウィキペディアのブラックアウトはこれにて終了です。

あの日、私たちは、自由な知のない世界を想像してみてください、と問いかけました。そして、あなたは語ってくれました。自由な知のない世界にNOを示してくれました。私たちのメッセージは1億6200万以上もの人々に届き、そのNOを示す意思は掲示板に届けられサーバがダウンしたほどでした。ソーシャルメディアやニュースサイトには、世界中の人々の声で埋め尽くされました。そう。あの日、信じられないくらい多くの人が、自由でオープンなインターネットについて語り合ったのです。

私たちにとっては、お金についての問題ではないのです。知についての問題なのです。作家、編集者、写真家、プログラマのコミュニティーとして、私たちは、私たちの著作物が、すべての人に共有され、すべての人のさらなる創造のために使われることを望んできました。

私たちの使命は、人類のすべての知を文書化し、すべての人が永遠に使えるようにすること。そして、その文書化にかかわる人々をはげまし、元気づけ、つないでいくことです。私たちが誰よりも作者の権利について留意していることは言うまでもありません。なぜなら、私たちそれぞれがまさに作者だからです。

SOPAとPIPAは、まだなくなってはいません。いまだ陰のように私たちを待ち構えています。あの24時間に起きた出来事は素晴らしいことだったと思います。インターネットは、その創造性、知、そしてイノベーションによって、これからも輝き続けるでしょう。そして、ウィキペディアがブラックアウトしたように、あなたもまた、その輝きを守るこために力を注いでくれることでしょう。

私たちは、ふたたび光を取り戻しました。これからもインターネットが輝き続けるために、あなたの力を貸してください。

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 このSOPAとPIPAについて、ちょっと補足を。

 アメリカの国内問題だから、日本に住む私たちにはちょっとわかりにくいですが、SOPAは「Stop Online Piracy Act(オンライン海賊行為防止法)」の略で、下院で提出されています。PIPAは、Pro-IP Actの略で2008年に上院で起草された法案で、SOPAと同様の趣旨のものです。

 この法案は、簡単に言えば、米国国外でネットを通じて著作権の侵害があった場合、アメリカの法律を適用して違反者を取り締まることができるというもの。背景には、中国なんかで流通している映画コンテンツの海賊版だったり、あと、大きな問題になっているものでは医薬品があります。だから、この法案では知的所有権の侵害も対象にしています。

 実際、Googleは、検索上位のリンクが違法医薬品を扱うサイトになっているということで、医薬品メーカーから巨額の訴訟を抱えたりしているそうです。この法案では、海外の違反者を取り締まることができると同時に、国内で違法サイトのリンクを表示しているだけでも問題になります。

 ただ、これだけなら、まあいいじゃないか、という感じでもあるのですが、違法サイトのリンクかどうかを判断するためにDPIという検閲を行わないといけないらしく、そのことがネット上の言論の自由を脅かしたり、プライバシーを侵害したりする懸念がある、ということだそうです。

 それと、この法案が拡大解釈されると、いわゆるソーシャルメディアの運営がコスト的にかなり難しくなるとのこと。つまり、インターネットの自由そのものが失われる、と。だから、今回のブラックアウト行動は、GoogleやFacebook、Twitterなんかも同調しているんですね。私が、ちょっと興味を持ったUncyclopediaも、いつもは反Wikipediaなのに同調したんですね。とはいえ、やはり、そこは彼らなりの皮肉や嫌みを忘れずに、といういかにもUncyclopediaらしいやり方でしたけどね。

 この法案の背景にはロビー活動があるらしく、お金をバックボーンにした政治活動は意義はどうであれ、政治家はかなりがんばってしまうので、かなり根の深い問題らしいです。これは、TBSラジオのDigで知りました。

 Wikipediaのブラックアウトは、メッセージの出し方とかうまかったですよね。なので、そのメッセージングの興味もあって翻訳してみました。上の日本語訳は、直訳ではなく意訳です。ただし、英語のオリジナルの意味からは逸脱はしていないと思います。日本語にしたときに、英語の意味がいちばんわかるように、いろいろ足したり引いたりアレンジしています。この訳間違ってるよ、というときは、お気軽にご連絡ください。

 ブラックアウト当日のWikipedia、Uncyclopediaはこちらをどうぞ。Imagine a World、なかなかうまいですよね。

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