2019年9月14日 (土)

オムレツの謎

 ウェブで『「今残さないと、調理文化が消える」 食研究家たちが支持するレシピ本、危機感から制作』という記事を読み、その関連で、なんとなく食べ物のことを考えていて、ふと、昔、母がつくってくれたオムレツのことを思い出し、

僕の母は甘く煮た牛肉そぼろが中に入ったオムレツをよく作ってくれて、20歳くらいまではオムレツは中に肉そぼろが入ったものと思い込んでいたけど、それは国が進めていた栄養運動の中の推奨レシピだったということを最近知った。

 と、Twitterでつぶやいた。すると、珍しくいいねやリツイートが付き始めて、ああ、みんなもこの牛肉そぼろオムレツを食べていたんだよなあ、思い出でつながるTwitterっていいよなあ、なんて思っていたけど、徐々に、さて、どこで知ったんだろうと気になりだして、検索したりしてみるも手がかりが見つからず、まあええか、寝るか、と布団に入った瞬間に「あっ、朝の料理番組で土井善晴先生が言うてはったわ」と記憶のカケラが見つかって、さっそくググってみたら、あった。

 土井先生は「昭和オムレツ」と名付けておられた。テレビ朝日『おかずのクッキング』2018年3月第5週放送回で、土井先生が「昔ね、みんなに栄養のあるもんを食べさそうと、フライパン運動というのがあったんですわ。洋食とか中華とかイタリアンとか。そういうもんを子供のためにつくりなさいよというわけです。その中のレシピにこれがあってね、流行ったんでしょうね。僕らにとっては懐かしい味やね」的なことを語っておられたと思う。動画は見つからなかったけど、記憶ではそんな感じ。

 で、その運動はいかなるものなのか、とさらに調べてみると、

1956年に厚生省の指導のもと日本食生活協会は「栄養指導車」8台を導入。10月10日日比谷公園で盛大な出発式を挙げる。世の言うフライパン運動の始まりである

日本人の粉モン好きの陰に潜むフライパン運動とは?/パンケーキ総研』より引用 

 1954年7月にアメリカで成立したPL480法に関連した運動だったとのこと。この法律は正式名称は農業貿易促進援助法ではあるけれど、余剰農産物処理法とも呼ばれ、最も有望な市場と見られた日本がその標的にされた。つまり、半ば押し付けられた米国産の余剰農産物の解決と米国農産物輸出拡大のためのマーケティング戦略の一環でもあったということだった。

 ま、それだけでなく、当時の厚生省にも、このPL480法を契機にして、和食中心から洋食の普及により栄養に偏りのある食生活を変えたいということもあったのだろうし、そのおかげで今の多様で豊かな食生活もあるわけだから、マーケティング戦略は大成功と言えるだろうけど、でもまあ引用のブログにあるように「米主食では栄養不良になる」という根拠の薄いネガティブキャンペーンもあったらしく、関連書を見ると日本固有の食文化の破壊という観点からの批判が多いようだ。

 僕の母が、このフライパン運動のキッチンカーで学んだのか、それともこの運動によって普及したレシピを見てつくったのかは、もう知るすべはないけれど、土井先生が「昭和オムレツ」と名付けた牛そぼろ入オムレツは、僕らの世代の多くの人にとって懐かしい味になった。

 2014年に父が亡くなり、続いて2015年に入院していた母も亡くなった。そう言えばと、大阪滞在中に見様見真似で作ってみたら美味しかった。大阪に住む妹は「いっしょの味やん。おいしいわ。なんで作れるの?お母さんに教えてもうたん?」と言っていたけど、誰でも作ることができる簡単なレシピだから、まあ、誰が作ってもこんな味にはなるのではないかな。米主食の習慣を変えようというキャンペーンから生まれたメニューだけど、このオムレツはごはんによく合う。

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 本を書きました。『超広告批評 広告がこれからも生き延びるために』という本です。詳しい内容はこちらにあります。

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2019年9月12日 (木)

「多弁マーケ」の副作用

 9月12日の朝、ヤフーがZOZOを買収するというニュースがあった。この買収については、ヤフーのEコマース事業の強化という発表があったものの、憶測記事も含めてほとんどノーマークだったので驚きを持って迎えられた。前澤友作氏は社長を辞任することになった。現在(午後6時過ぎ)、会見が開かれている。Tシャツ姿で吹っ切れた表情が印象的だ。AbemaTVの生中継を観ているが、前澤氏からは沢田宏太朗新社長の紹介に終始し、当然ながら今後の経営に影響を与える重要な発言はなかった。二部で個人的な話をするとのことだが、ここでは前澤氏の個人的な事柄は直接関係しないので、このエントリーを投稿することにする。

 同社のカリスマ経営者が経営から離れることがZOZOにとってどう影響するのかは今後を見守るしかないが、ZOZOの広告・マーケティングを注意深く追ってきた者として、ここまでの流れは必然だったという思いがある。新刊『超広告批評 広告がこれからも生き延びるために』池本孝慈著(財界展望新社)に収録されているZOZOについての論考を一部引用してみたいと思う。

 この論考で〈前澤前社長には企業が持つべき倫理観と、広告戦略の再考が求められていることは間違いない〉と書いたが、ヤフーによるTOBでのZOZO買収と、前澤社長の辞任及び個人所有株式35%分の30%分(現在の時価換算で約2400億とのこと)を手放し、ほぼ完全に経営から離れることでそのことが果たされるとは思いもしなかった。

 個人的には、ベンチャー企業だったZOZOの成長に破天荒な前澤社長の経営手法が果たした役割は大きいと思うが、一部上場の代表的企業となり、巨大な組織になった今、その手法に限界が来たのではないかと思っている。そういう意味では、今回の決断はさらなる拡大と成長を目指すZOZOにとっても前澤氏個人の新たなチャレンジにとっても最適解なのではないかと考えている。なお、以下引用の文章の執筆は2019年3月であることを予めお断りしておく。

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 2018年10 月1日、日経新聞に〝妙〟な広告が掲載された。文化祭のような軽いノリのスナップ写真に映る若い社員たち。そのいくつかに笑顔で映る男性こそ、ZOZOの前澤友作社長である。

 広告のコピーは〈拝啓、前澤社長。〉ファッション系ECサイト「ZOZOTOWN」を運営するスタートトゥデイが現社名に変更する際に出稿したものだ。

 広告の長い文章を要約すると、〈社長が次々と巻き起こす話題や騒動〉に呆れ果てていたが、〈宇宙へ羽ばたこうと〉〈興奮しながら夢を語る〉前澤社長を見て、自分たち社員も頑張ろうと思った、という内容だ。前澤社長への崇拝が恥ずかしげもなく描かれた、徹底的なまでの内向き思考。当時は単に幼稚で気持ち悪い広告だという印象だったが、今となっては現在のZOZOが置かれた状況を予言しているように思える―。

 1月末、ZOZOは3月期経常利益を19 %減益に下方修正することを発表した。しかしそれよりも耳目をひいたのは、前澤社長が〈本業〉への集中を理由に、しばらくツイッター投稿の休止を宣言したことかも知れない。

 前澤社長と言えば、女優・剛力彩芽との交際を公言したり、ツイッターでプロ野球球団を経営したいと唐突に呟いたり、月旅行計画をぶち上げるなど〝やりたい放題〟の人物として、メディアで取り上げられるのが常だった。

 しかし広告視点で見れば、その奔放さは経営目的を達成するために綿密に設計された広告戦略、広く言えば、前澤社長によるコミュニケーション戦略に従って忠実に振る舞われてきたように見える。

 なぜか。ここ数年、ZOZOはファッション分野において一気に覇権を握る、その一点にあらゆる経営資源を注ぎ込み、拡大路線をひた走ってきた。その目的を達成するために設計された広告戦略、コミュニケーション戦略こそ、前澤自身の「メディア化」だった。

 当然ながら急速な拡大路線の前では、企業に求められる倫理や十全な準備は足枷となる。しかし、時代の挑戦者たる前澤社長ならば、多少の倫理的逸脱や不備があっても許され、応援されることになる。結果、企業が考慮すべき倫理や責任が特別に免罪されるという現象が起きる。それが、「前澤メディア化戦略」の果実である。

 象徴的なのが、17 年にテレビCM等で主に若者向けに大々的に広告を打った「ツケ払い」だ。商品購入の2カ月後に代金を支払えばいいというもので、つまりはローンサービスだが、当然、安易な利用が社会問題を引き起こし兼ねない性質のものだ。実際、多くのECサイトも同様のローンを採用、提供しているが、そんな懸念からか大々的な広告は行っていない。

 しかしZOZOは「ツケ払い」という品のない言葉で煽り、積極的な広告戦略に舵を切った。悪影響があろうが自分たちの知ったことではないということだろう。

 今年の正月、前澤社長は自身のツイッターで〈総額1億円のお年玉〉と題し、100名に100万円を現金でプレゼントするキャンペーンを行った。〈(ZOZOの)新春セールが史上最速で取引高100億円を先ほど突破〉したことの〈感謝を込めて〉としたが、あくまで前澤社長の個人資格という名目だった。

 しかし、これも「ツケ払い」を行った心理と構造は同じである。

 本来なら、企業がこうしたキャンペーンを行う場合、様々な広告規制を受けることになる。公正取引委員会の制約や株主や消費者の目もある。だから「個人で」なのだろうが、ツイッターで同様の例がないから止められる理由がなかっただけで、その行為は極めて〝グレー〟である。

 つまり〝脱法的〟なのだが、メディアでは称賛の声が目立った。つまり、脱法性への疑念を英断という評価に変えたのが、この場合のメディア化戦略だったのである。同キャンペーンはテレビで盛んに報道され、前澤社長はリツイート世界記録を樹立するに至った。

 これを企業のキャンペーン=広告と見た場合、その費用対効果は絶大である。現状、これほどコスパが高い広告は真っ当な手法では不可能だろう。こうしたコミュニケーション戦略は、急成長中のZOZOの最大の武器であった。社会的責任のために考慮すべき、あらゆることを免罪する禁断の〝打ち出の小槌〟だったと言える。

 しかし、そこには副作用がある。前澤社長が一度呟けば、社会に影響を与えられるが、当然、その即効性はマイナスの部分をも露呈させる。そして、その副作用の影響は社内においても現れる。社長と、それを崇拝する社員をベースとした甘い関係は熟慮の育成を阻み、前澤社長以外の外部社会への配慮を消し去ってしまうことだ。

 典型例が「ZOZOスーツ」の失敗と3月期経常利益の下方修正の主たる要因となった「ZOZO ARIGATO」と名付けられた有料会員制度だろう。

 ZOZOスーツは無料配布された白い水玉模様のついた全身タイツを着用し、スマホで撮影することで身体のサイズが読み取れ、各人にぴったり合う「オリジナルアイテム」が手に入るという触れ込みだったが、ビジネススーツの不具合とその修正に伴う出荷遅れが問題となり、前澤社長自身「将来的に廃止予定」とツイートするなど、散々な代物であった。失敗の理由は単純明快で、テクノロジーが未熟なため、まだ世に出せる代物ではなかったからだ。

 また、ZOZOARIGATOは全ブランドが割引になる会員セールがブランド価値の低下につながると、オンワードをはじめとする大手ブランドの離反を引き起こした。

 前澤社長がツイッター休止宣言をした直後、下がり続けていた株価は急騰したが、そこで示されたメッセージは〈チャレンジは続きます。必ず結果を出します〉という、相も変わらず何の具体性もない掛け声だった。これが何らかのアクションを期待していた株主の失望を呼び、再び株価は下げに転じた。当然だろう。反省と対策がそこには微塵もなかったからだ。

 前澤社長には企業が持つべき倫理観と、広告戦略の再考が求められていることは間違いない。

(初出『ZAITEN』2019年4月号)

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 月刊経済情報誌『ZAITEN』での過去の連載を収録し、新たな論考を大幅に加えた書籍『超広告批評 広告がこれからも生き延びるために』池本孝慈著(財界展望新社)が発売になりました(書籍の詳しい紹介はこちら)。
 褒める批評を封印し、あえて問題広告を対象とすることで、現代日本の広告や社会が持つ課題を根源的かつ鋭角的に提起することが出来たと自負しています。

※このエントリは財界展望新社の承諾を得て、発売中の新刊『超広告批評 広告がこれからも生き延びるために』池本孝慈著(財界展望新社)から転載しました。

(9月13日追記)

 その後の会見は前澤氏の独壇場だった。さすが風雲児と思った。社長の退任をこんなエンターテインメントにしてしまえるのは前澤氏だけだ。このエントリーは、スタートトゥデイ、ZOZOへと規模が大きくなるにつれて独自の広告・マーケティングがどのように機能し、その限界が見えてきたのかを考察するもので、見出しにもある〈多弁マーケ〉(ちなみにこの〈多弁マーケ〉という言葉はZAITEN編集部が作った)の副作用、今となってはその限界を示すものだった。会見を生放送で見た印象で、これ以上、このエントリーに関係する発言は見られないだろうという予感は当たっていた。しかし、個人的には非常に興味深いものだった。こう言っても信じてもらえないだろうけど、前澤氏は人間的で好きだ。人間的にどうであろうと、そのことをなるべく考慮せずに批評する。それが僕の広告批評についての矜持でもある。

 時代の記録として、ここにその後の会見を簡単に記しておきたい。huffingtonpostの記事から引用。

涙を浮かべて「21年間、本当に、至らぬ僕についてきてくれて、時には泣き、笑い……」と社員への思いを語る場面も

「ああやばい」と涙で言葉を詰まらせ、「あとで社員に伝えることにします」と苦笑。「21年間本当にありがとうございました」と挨拶を締めくくった

ZOZO社長を退任した理由について「宇宙にどうしても行きたい、ということで、準備や宇宙に行くためトレーニングに時間を割くことが多い関係で、今回、すっきり辞任させていただくことになりました」と明かした

もう一つの活動として、「自宅の6畳一間で事業をはじめ、自分の手で事業を作り上げた感動があって、あの感動をもう一度ということで、もう一度事業を作ってみたい」と新たな事業への意欲を述べた

  前澤氏は〈ヤフー側から続投を求められたが「成長するための経営体制は何かを考えた結果、僕が退く」と退任を決意〉とも語っている。そう自らが納得し決断させた孫正義氏の影響の大きさを再認識させられた。〈Let's Start Today〉という手書き文字にピースシンボルが添えられた孫氏は黒、前澤氏は白の揃いのTシャツを来て肩を組む姿が印象に強く残った。

 (9月13日追記2)

 前澤氏が孫氏、川邊氏に向けて〈孫さん、川邊さん。やんちゃでいたずら好きなZOZOを、実は素直で繊細なZOZOを、そして可愛い可愛いZOZOを、これからどうぞよろしくお願いします。〉とツイートしていた。それは経済界はZOZOを子供のままでいさせてくれなかったという意味でもあるのだろう。僕には大人が“子供のずるさ”を戦略的に使いこなしていたようにも見えた。冷たいようだけど。その限界が来た、ということ。それは日本経済の健全さを示すものでもあったのだろうと思う。限界を知りつつ見放さなかった孫氏の凄みを感じた。孫氏は前澤氏にかつての自分を重ね合わせているのかもしれない。と同時に、変わった自分と変われなかった前澤氏についての複雑な思いもあるのだろうと思った。

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2019年9月11日 (水)

2年前に流れていたテレビCMから「かんぽ生命不正販売」を考える

 かんぽ生命不正販売という不祥事が起こることは、2年前に流れていたあるCMが予言していた――

 そう言われたら、あなたはどう思うだろうか。CMに何かの暗号が仕組まれていたのか。はたまたタレントが話すセリフがアナグラムになっていたのか。それとも、特定の人にしか見えないメッセージが電波とともに送られていたのか。

 期待された方には申し訳ないが、そういうオカルトめいた陰謀論を書きたいわけではない。CMがどのような目的でどのように作られていくのか、そのプロセスを理解していれば誰でもある程度は分かることだからだ。もちろん、かんぽ生命不正販売という具体的な部分まで予言されていたわけではない。しかし、この手の顧客コミュニケーションに絡む問題が起こるかもしれないということくらいはCMを見ればすぐに分かるはずだ。

 ZAITEN2017年10月号の連載で、僕は日本郵政グループのあるCMを取り上げた。少し長くなるが、どのようなCMだったかを確認する意味で一部を引用したい。

 〈日本郵政グループの新しいキャンペーンが始まった。数作品放送されているが、どのバージョンも郵便マークのアップリケ付きの赤いオーバーオールを着た青年が〝僕は郵便局が大好きです〟と 言うシーンからスタートする。青年は郵便局の関係者ではなく郵便局好きの顧客であり、郵便局の女性局員に恋をしている。その女性局員は杏奈という名前で、青年が加入した保険の担当者だ。

 青年が骨折した際、ギブスに〝早く退院して下さいね♡杏奈〟と書き添える。青年が郵便局を訪れた際には〈今年ももうすぐ誕生日ですね〉と声を掛け、青年の誕生会に出席するという。その女性局員の傍らで働く男性局員もまた、彼女に好意を寄せている。青年にギブスの添え書きを自慢された際には対抗意識を燃やし、青年が彼女を誕生会に誘ったときも即座に〝僕も行きます〟と答える。青年は、そのたびに〝出たなライバル〟と決め台詞を吐くのが、このシリーズお決まりだ。

 複雑な演出とファニーなキャラクターで構造が分かりにくくなってはいるが、その世界観の設定はかなり異様だ。恋人のように顧客に接する郵便局の女性局員。そして、その接客に惑わされる顧客。同じく女性局員に好意を寄せていることを隠さない同僚の男性局員。その三者で日々繰り広げられる恋の駆け引き……。

 こんな郵便局、どこにあんねん。あったら逆に大問題やがな。そもそも、こんなことを顧客から 求められたら郵便局も局員も困るやろ。〉

 日本郵政グループは持株会社の日本郵政と5つの子会社で構成されている。その中でも中核となるのは日本郵便、ゆうちょ銀行、かんぽ生命の3社である。

 今回の騒動はかんぽ生命の販売不正ではあるが、かんぽ生命は保険商品の設計や運用のみを行い、実店舗などの販売機能は備えず、販売業務をほぼすべて日本郵便に委託している。ちなみに、ゆうちょ銀行も同様で窓口業務を日本郵便に委託。保険商品、金融商品ともに通販もなく他代理店にも出していない。

 つまり、顧客にとって、かんぽ生命との接点となるのは郵便局の窓口しかないということだ。同時に顧客はウェブサイトやパンフレットでしか商品内容を知り得ず、すべては窓口の局員が保険の勧誘のために顧客に話しかけることから始まる。このことは、今回の不祥事を考える上で重要なポイントである。

 かんぽ生命単独のCMもあるが、このCMには予言的要素は少ない。井ノ原快彦が演じる郵便局員が登場するこのCMは、主に契約後の対面でのアフターフォローを描いている。拡販戦略との関連も当然あるだろうし、〈お会いすることで、確かな安心を〉というコピーは、今思うと皮肉めいて聞こえるが、作品自体は何ということもない。つては井上陽水 や能年玲奈(現・のん)も出演した華やかな〈人生は、夢だらけ。〉キャンペーンも含めて、無難なブランド広告に過ぎない。

 では、なぜ日本郵政はかんぽ生命のCMでは夢や信頼をテーマにした、いたって普通のCMをつくり、日本郵政グループ名義ではあるが郵便局のCMでは、常軌を逸した顧客コミュニケーションを描いたのだろうか。あのCMは、ここ数年のCMと比較しても、特筆してアブノーマルな世界観だったと思う。

 この謎を解くには、出来上がったCMから時間を遡って考える必要がある。

 広告は伊達や酔狂でつくるわけではない。日本郵政ほどの大企業にとっても、何億円もの広告費を「ずばり、今の若い人はこんな感じなんですよね。自分で言うのもなんですけど、これ、刺さると思いますよ」「そうかね。今の人はこんな感じなのかね。我々の世代には理解できないけど、ここはクリエイターさんの感性を信じて。よしっ、これでいきましょう」という軽いノリで浪費するわけにはいかない。

 広告制作のプロセスは、一般的には発注企業からのオリエンテーション、受注広告会社から発注企業への広告案のプレゼンテーション(大型案件では通常は競合コンペとなる)、受注広告会社決定、広告案の修正、広告案の決定、決定案の修正と続き、撮影、制作へと進む。日本郵政の場合、この最初のオリエンテーションはどのようなものだったのだろうか。

 想像に過ぎないが、郵便局の好感度向上という大前提はあるとして、サブ項目として、かんぽ生命の保険商品拡販を見越した「営業力の強化」という課題は示されたのだろうと思う。かんぽ生命を含めた保険商品の拡販に貢献する広告が欲しいというニーズは日本郵政に確実にあったはずだ。

 前述の通り、かんぽ生命は販売店や保険営業部隊を持っていないし通販もない。拡販を考えた場合、かんぽ生命を表に立てたコミュニケーションは商品のブランド力向上や信頼性醸成の役には立つが、拡販には役立たない。窓口で局員がいかに勧誘するかがすべてなのだ。

 とにかく顧客に話しかけること。拡販を考えれば、そこに注力することが広告の使命になる。その広告で高額商品である生命保険を前面に立てることは局員、顧客双方にとって対話のハードルを上げることにつながり、逆効果として働く。

 そこで考えられた広告案が、郵便局を舞台にした局員と顧客のコミュニケーションを描いたファンタジーだった。保険商品の拡販で郵便局で重要な場所は、出入金や公共料金の支払で多くの人が訪れるゆうちょ銀行の窓口であり、この顧客との接点でいかに保険商品の勧誘に持ち込めるかが拡販の決め手となる。だからこそ、そのモデルとなるCMは、窓口周辺を舞台に過剰なまでにフレンドリーな姿を見せる必要があったのだ。

 当然、顧客に「郵便局は身近で気軽な存在である」と思わせたいという目的はあったのだろうが、一方で、郵便局で働く局員に対して「あなた方は、かんぽ生命拡販のために、もっとフレンドリーであるべきだ」と伝える目的もあったはずだ。むしろ、今回の不祥事を考慮に入れると、本音では、後者のインナー・コミュニケーションこそが、日本郵政の経営戦略にとってより重要であったことは容易に想像がつく。

 こうして遡って考えると、この日本郵政の広告戦略は非常に良く出来ている。問題は、CMで描かれた顧客コミュニケーションが著しく異様だったことだ。

 なぜ、あのような異様な表現が選ばれたのだろうか。答えは簡単だ。経営陣がかんぽ生命の拡販のために郵便局員に要求する顧客コミュニケーションの強度が異様なほど強かったからだ。「局員は、もっと気軽に、もっと積極的に顧客に話しかけろ」という経営陣の要求が、あの異様な世界を生んだと言ってもいいだろう。

 職場では過剰なノルマで駆り立て、プライベートでは「もっと顧客とコミュニケーションをしなさい。あなたはこのCMで描かれているフレンドリーなやり取りの何分の一もしていないのではないですか」と追い立てる。

 いかにソフトにコミカルに描かれようとも、職場で男性社員と男性客が女性社員を奪い合う、そんな異常な世界を普通の民間企業の経営者は受け入れることはない。しかし、日本郵政の経営陣はこの異様な世界を自ら選択した。

 それは、彼らが考えていた拡販の手法が常軌を逸していたことを意味する。自由市場での生き残りをかけた競争の厳しさにも晒されず、コンプライアンスの徹底という重圧からも逃れ、拡販の自由だけを手にした巨大な内向き世界である日本郵政の意識が社会と乖離するのは必然である。そして、社会と乖離した意識が支配する環境で働く局員が暴走するのは自明の理だ。

 広告は予言する。予言するものは、企業の将来である。企業の将来は社会の将来の一要素でもある。広告批評は、単なる作品批評ではない。

 作品批評を超え、社会的表現である広告に埋め込まれた予言を読み解き、予言された企業の将来、社会の将来を示し、考えていくことなのだろう。少なくとも僕はそう考えている。

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 月刊経済情報誌『ZAITEN』での過去の連載を収録し、新たな論考を大幅に加えた書籍『超広告批評 広告がこれからも生き延びるために』池本孝慈著(財界展望新社)が発売になりました(書籍の詳しい紹介はこちら)

 褒める批評を封印し、あえて問題広告を対象とすることで、現代日本の広告や社会が持つ課題を根源的かつ鋭角的に提起することが出来たと自負しています。

※このエントリは財界展望新社の承諾を得て、発売中のZAITEN 2019年10月号詳細はこちら)ZAITEN REPORTより転載しました。

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