2009年7月 7日 (火)

自分会議。今回の議題は「デジタルカメラ」です。

 なんか突然デジタルカメラがほしくなりました。

1_3  じつは、私はデジタルカメラを1台も持っていません。随分前にキヤノンのIXY DIGITAL 300という202万画素のカメラを持っていましたが、あまり使いこなせなかったんですよね。旅行に行ったときに風景を何枚か撮ったりしたものの、もっぱら広告カンプ用の写真を撮るために相棒のアートディレクターが撮影みたいなことになってしまって、まるで会社の備品のような状況に。いいカンプはたくさん作れましたが、いっこうに愛機という感じにならず、消化不良気味な使用状況のまま、最後は盗難にあってしまい、私とIXYの付き合いは終わってしまいました。

 そんな残念な思い出がデジタルカメラにはあって、以来、デジタルカメラと無縁の生活を送って来たのです。前回のエントリは、ウィルコムのウィンドウズモバイル・スマートフォン、WILLCOM 03のカメラで撮影したもの。まあ、これでもいいと言えばいいとも言えるのですが、正直言えば、駄目と言えば駄目とも言える写真でもあり、いつも表現、表現とうるさいブログを書いている私がこんなことでよいのだろうか、とも思ったり思わなかったり。どっちやねん。

 WILLCOME 03みたいなスマートフォン使いの私だから、「カメラもオーディオもスケジュールもメールもネットも、みんなまとめてこれ1台」派ではあるものの、すでにiPod nanoを買っちゃったし、写真ももっといいのを撮りたいなんて欲もでてきました。やっぱり専用機って、いいんだよねえ。便利だし、質もいいし。

 というか、やっぱりマルチパーパスものは最終的に弱いですね。私の意識の変遷って、マーケティングセオリー通りで、なんかデジカメ欲しいぞって叫ぶのは気恥ずかしいのですが、それでもネットでなんだかんだ検索して、いろいろ調べて、付け焼き刃で知識をつけて、いろいろ悩んでいたりもして、そんな悩める自分がとっても楽しくて楽しくてしょうがなくもあり、そんな自分の脳内会議を実況しようと思ったわけです。って、枕が長げーよ。

 ということで、実況中継、はじまりはじまり。
   

「しかしまあ、見ないうちにデジカメ安くなったよねえ。」

「ほんと、ほんと。プロのサブマシンもしくはハイアマチュア向けハイエンドコンパクトデジカメが実売5万くらいなんだものねえ。」

「昔買ったIXY DIGITAL。確か7万くらいしたよねえ。」

「ネットで見ると、画質は画素数だけじゃないということらしいけど、202万画素だったからなあ。でも、あれ、きれいに写ったよねえ。」

「そうそう。四国で撮影した山なんてよかったよねえ。でも、あの写真のデータが入ったCFカードごと盗まれたんだよなあ。」

「CFカードだけでも返してほしかったなあ。で、どんなデジカメが興味あるの?」

2_3 「リコーのGR DIGITAL Ⅱとか興味あるんだけどね。」

「いきなり来たねえ。あれ、ハイエンドコンパクトデジカメって言われているやつじゃない。使いこなせるの?」

「うっ、いきなり嫌なところを突きますね。だけど、なんか入門機っていうのも嫌なんだよなあ。せっかく浦島太郎状態で、高級機が4、5万で買えるのにさあ、なんか安さで選ぶのは嫌じゃない。」

「そんなもんかね。でもネットを見ると3万円台のカメラが売れ筋みたいよ。」

「確かに確かに。でも、そのクラスだと、WILLCOME 03のカメラでいいって感じがするんだよねえ。」

「でも、専用のデジカメは、売れ筋のものでもまったく違うと思うよ。」

「理屈じゃそうなんだけど、気分はそうでもないのよ。」

「へえ、そんなもんかな。で、GR。これは熱烈なファンがたくさんいますねえ。そう言えば、CMプロデューサーのあの人も持っていたよねえ。」

「うん。持っている。いろいろ熱く語っていたなあ。単焦点がどうのこうのとか、広角がどうのこうのとか、GRレンズがどうのこうのとか。」

「その時はじつは何言っているのかわからなかったんけど、ネットでいろいろ調べると、ああそういうことだったのか、と。」

「そうだねえ。簡単に言えば、画角が広くて、ズームがついてないからシンプルにレンズを活かせるし、銀塩カメラのGR時代からプロに定評のあるGRレンズが搭載されていて、みたいなことを、プロデューサーさんは言いたかったわけだよね。」

「そうなんだよね。あのとき、正直、特殊なカメラだから素人には使いにくいんだろうな、と思ったんだけど、調べてみると、ズームなしの、むしろ、機能的にシンプルなカメラとも言えるんだよなあ。それは、はじめて知った。やっぱり、何でも勉強だね。」

「でもさあ、ズームってほんとにいらないの?実際、あまりズームを使ったことはないんだけど、あればあったで便利な気もするんだよなあ。」

「そう言われるとそうかもなあ。」

3_2 「リコーからは、ズーム付きのGX200というカメラも出ているよね。これもブラックで、たたずまいはGRに似ていて、いい感じに思えるんだけど。価格も同じくらいだし。」

「そうなんだよなあ。これもいいんだよ。ネットを見ると、このGX200を使っている人も多いみたい。そういう人はズームをうまく使った写真を撮っているよねえ。こういう写真を見ると、GX200もそそられるよねえ。」

「で、ひとつの疑問。GRとGXって、どこが違うのかな。人によっては、素人じゃ画質の違いはわからないって言うし。一般的にはレンズが違うっていうことなんだけど。でも、そんなに腕はないからなあ。」

「まあ、そうなんだけどね。でも、買うのは1台だから、そこは悩むよねえ。というか、素人だけど悩んでみるのが買う前の醍醐味、みたいな。」

「ブログで比較をやっている人がたくさんいるけど、私にはあまりよくわからなかったなあ。ただひとつ、このブロガーさんの比較はわかりやすかったし面白かった。こことか、こことか。比較してやろうみたいな感じがなくて、とってもいいなあ。どれも素敵な写真だけど、1眼レフ、GR、GXの個性の違いがすごくわかる。」

「こういうの見ると、写真って楽しそう。」

「で、びっくりなのは、どちらも持っている人がけっこういるんだよね。これはどういうことなんだろう。」

「愛じゃないですか。」

「愛か。やっぱりカメラ愛の足りない私はGRとかGX200は止めた方がいいのかな。」

「そうでもないんじゃない。買いたいのを買えばいいと思うよ。」

6_3 「じゃあ、素人だけど画質にこだわる、みたいな観点で言えば、コンパクトなら、新発売のオリンパスのPENとか、シグマのDP1とかDP2も選択肢に入るよね。PENはマイクロ1眼とうたっているだけあって、画質もいいだろうし、DPはセンサが1眼レフと同様だから、画質は圧倒的と言われているよ。」

5_2「このへんになると、正直、素人の私にはよくわかんなくなってくるだよな。だったら1眼でいいじゃん、みたいな気もしなくもなくてさ。こういう商品のポジショニングって、すごく難しいんだろうなあ。今度、そういうことブログに書いてみようかな。」

「やめといたほうがいいんじゃない。カメラに詳しい人は多いし、粗が満載のエントリになると思うよ。突っ込まれるの、怖いじゃん。」

「ま、そうだよね。やめときます。で、あくまで素人的に言うと、DPとかPENって、なんか素人が手を出すんじゃない的なオーラがありますね。でも、商品的にはそこが魅力なんだろうな。でもGRは、もうちょっと間口が広いというか。」

「それは見た目もあるなあ。PENはお店で見ると、けっこうでかかったし、DPもPENもレンズが出っ張っているじゃないですか。ポケットに入れるのは、けっこう勇気いるというか。そういう意味では、GXもそう。ただ、GXはレンズ面とボディのグリップが平行になるように作ってあるんだよね。そういう意味では、あの妙なギミックの別売り可動式キャップを使うことで、かろうじてそこはクリアしときました、みたいな感じではあるなあ。」

「てことは、今度は画質ではなくて、スナップに必要な機動性という観点が出てくるよなあ。となると、新発売のリコーのCX1とかR10とかも射程圏に入ってくるし、それこそ、IXYとかLUMIXの売れ筋ラインとかもいい感じに見えてくるよね。」

「そうなんだよ、ここに来て、そういう感じのお洒落デジカメのコンセプトが見えてくるよね。こういうふうに一周まわると、あらためて感じるね。やっぱり売れているということは、すごく意味のあることでもあるんだよなあ。」

4_2 「そう言えば、少し前まではサンヨーのXactiを欲しそうにしてたじゃない?」

「そうなんだよね。動画も撮影できて、スチールもいけるし、それにあの独特のかたち、楽しそうじゃないですか。なにせマルチパーパスに一度は魅かれる性格だからさ。」

「で、今はどうなの?」

「そういう気分じゃないかも。もうマルチパーパスはいいやっていう。今はそういう感じ。」

「でも持ってると人生変わるかもよ。」

「そうかな。でもGRだってGXだって変わりそうじゃん。」

「じゃあ、ここは大胆に、いきなり銀塩カメラを買ってみるとか。」

「なるほど、それもあるかも。あるかもなあ。ないとは言えないなあ。」


 てな具合にただいま、猛烈に悩んでおるところです。なんか長くなっちゃいましたが、最後まで読んでくれた方、ありがとね。ある意味では、消費っていうのは、その過程も含めて消費なんだよなあ、と、当たり前のことをあらためて思いました。読んだ方には、なんの気づきもないエントリでしたが、書いた本人は、ものすごくすっきりしましたです。さあ、明日も仕事がんばりましょ。ではでは。

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2009年7月 6日 (月)

意味を求めてはいけないのだよ

Tokyo_nakano

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2009年7月 4日 (土)

あらかじめ「ゆるさ」をつくっておく

 「ゆるさ」の考察についての素材として、身近なブログを取り上げてみたいと思います。私自身は、ブログをやるのもやらないのも自由だし、やるならやるで、その人が好きなようにやればいいんじゃないかな、せっかくの個人が持てるメディアなんだしさ、という感じなので、この文章は、ブログ論ではなく「ゆるさ」を考えるうえでのひとつのきっかけくらいな感じでお読みいただければ幸いです。

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 たとえばだけど、とあるブログがあって、ひとつは練りに練られた完璧なエントリが月に1回更新されるブログ、もうひとつは、そこそこのクオリティをキープしながら毎日更新されるブログ。どちらのブログが人気が出るか。たぶん、後者でしょう。きっとそれは、いろいろなブログのPVを時系列で調べれば、実証可能だと思います。

 もちろん、人気というものをPVで計るというのは、あるひとつの尺度にすぎないし、練りに練られた完璧なエントリを待ちたい人もいるでしょう。けれども、冒頭にあげた例に少しばかりの真実があるとすれば、後者のブログが「ゆるさ」を持ち合わせているからだと思います。

 「ゆるさ」というのは何か。それは、きっとにじみ出る人柄の主要な構成要素のことだと思います。はじめはなんか堅苦しい人だなと思っていても、何度か話して、ああ、この人は犬好きなんだ、とか、お腹をよくこわすとか、朝弱いとか、そんな小さなエピソードがつみ重なることで、人柄みたいなものが形作られていきます。つまり、その人が計算して表出するもの以外の様々な事柄、つまり「ゆるさ」が、その人の人柄をつくるとも言えます。

 毎日更新されるブログでは、ときには、なんかよくわからないな、とか、今日は疲れてるんだろうな、とか、そんな不完全燃焼なエントリも書かれます。更新頻度を高めるということは、そういうことでもあります。でも、そうしたエントリの「ゆるさ」が、その人の人柄みたいなものを作り上げて、それがブログの人気につながるように思います。

 簡単に言えば、「顔」が見える、ということですね。

 その「ゆるさ」は、いわゆる「のりしろ」でもあって、その「のりしろ」の部分が相手が入り込める隙をつくってくれます。テレビにひんぱんに出るようになったタレントさんに親しみを覚えるのは、そういうことだと思います。

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 完璧に練られた広告が広告としての機能を果たしにくくなってきたのは、きっと、メディアの多様化と情報表出の敷居が下がって、情報発信がしやすくなったことと関係していると思います。それは、消費者の声が可視化されやすいという部分以上に、企業がその思いを発信しやすくなったということが関係しているように思います。

 情報発信がしにくい状況では、その発信チャンスにすべてをかける、といった心情が生まれます。私がいる広告業界では、少し前までは、新聞広告全15段(全面広告)は、中堅企業にとっては「清水の舞台から飛び降りる」という気持ちでつくるものでした。今でも、そういう部分はなくなっていはいないけれど、今では単純に情報発信だけをとると、ウェブサイトでこと足ります。

 つまり、発信する情報の「質」だけをとってみると、とりあえず情報を広めていくという手段としてのマスメディアという意味合いだけでは情報にある種の「質」を強いることはできにくくなってきて、情報を広める手段としてのマスメディアに掲載する情報であっても、簡単に情報を表出できるという現状に影響されるだろうから、当然のように、練りに練られた、めったに表出できない情報としての「完璧さ」は、まわりの状況から乖離したものとして、社会から疎外されていくのだろうな、とこの状況の中で息をしているひとりの広告人としては肌感覚で感じたりしています。

 もちろん、完璧な情報を表出することが無効になったわけではありませんし、そうした情報も求められる土壌も残りつづけるでしょうが、完璧な情報は、さまざまな情報発信によって矛盾を呼び起こしやすいわけで、完璧な情報を起点にした神話作用を期待するならば、自らが方法発信を禁じるということでしか果たせなくなっていくわけで、それは、かつてならコスト面から出したいけど出せないということで禁じさせられてきたけれども、そのコスト要因がなくなった今、情報発信をしたがる主体としての企業は、なかなか自ら禁じるという禁欲的なふるまいはできにくくいのだろうと思います。

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 逆説的に言えば、あらかじめ「ゆるさ」をつくっておくことは、メディアが多様化した状況化において、情報を発信主体が主体性を持って情報を投げかけ、あるいはあえて投げかけずに、伝えたいことをきちんとしたかたちで伝えるきるための前提条件であるとも言えるのではないかな、と思います。まあ、これは、そのほうが楽だ、ということもあるけれど。

 情報には、次があって、その次の情報発信をしなやかにできる「ゆるさ」をあらかじめつくっておくことは、時間軸で情報発信を考えていくことと同義なんだろうなと思います。簡単に言えば、自分のいいところも、あまり格好悪いところも含めて、顔を知ってもらったほうが、あとあと思ったことを話しやすくなるし、聞く耳ももってくれるだろう、みたいなことかもしれません。ま、こう書くと、そんなん当たり前やんか、と言われそうだけど。

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2009年7月 3日 (金)

「ゆるさ」をつくる。「のりしろ」をつくる。

 てなことを、ここ数年、広告づくりで意識的にやってきたんですが、そのことは思いのほか人に説明しづらいものだな、と思っています。「ゆるさ」とか「のりしろ」を設計するというのは、ちょっと形容矛盾を含んでいるし、どうしても厳密さや精密さに比べると説得力に欠けますから。

 でも、人が惹き付けられるものは、広告で言えば、じつは、その首尾一貫したわかりやすいメッセージ(これは前提)のところどころに見える「ゆるさ」の部分だと思うし、その「ゆるさ」が「のりしろ」になります。なんでもそうだと思いますが、「のりしろ」の部分がない表現は、見事だという賞賛は得られても、そこで終わってしまうから、広がらないんですね。

 この「ゆるさ」というのは、よく言われるクリエーターの、メッセージやコンセプトから離れた「遊び」や「こだわり」というものとは違って、あらかじめ設計するたぐいのもののように思います。どこにも綻びのないコンセプトの首尾一貫した厳密性の世界は、そこでどうしても世界が閉じてしまいがちだから、どこかに「ゆるさ」をつくる。「のりしろ」の部分をつくる。その「ゆるさ」や「のりしろ」が出口になって、外の世界とつながっていきます。つまり、外への出口をあらかじめつくっておく、ということかな。

 「のりしろ」という部分で言えば、その小さな余白は、見た人の自由な想像力が入り込める余白になるから、この無用の用みたいな部分があることで、広告は、みんなのものになります。みんなのものになった広告は、強いです。これは広告に限らず、どんなコンテンツにも言えることかもしれません。

 広告のどの部分に「ゆるさ」とか「のりしろ」をつくるか、というのは結構難しくて、でも、感覚的には確実に、この部分は駄目、この部分はあり、みたいな感じに言えるのだけれど、それを普遍化する言葉はまだないですね。つまり、直感。それが言葉にできたら完璧なんでしょうけど。しばらくは、ちょっとこの「ゆるさ」や「のりしろ」をじっくりと考えてみたいな、と思っています。ちょっと説明しづらいけど、そのことは、いろんなことにつながっているような気もするし。

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2009年7月 2日 (木)

詰まれてうれしい人はいない

 というのを忘れてしまうんだよなあ。コンペにしてもなんにしても、理屈で相手を兵糧攻めにして出口をなくしてしまうことは、純粋に戦略的に見ても得策ではないんだけど、会議をしていると、みんなそのことを忘れてしまうんだよなあ。この出口を閉じて、あの出口を閉じて、その反論も封じて、よしっ、これだけやれば受け入れるしかないでしょ、って、そこまでされたら受け入れられるものも受け入れられなくなっちゃいますってば。

 将棋ってあるじゃないですか。あれは、こういうルールの中でお互い競い合いましょ、っていう合意があるから成り立つわけで、だから、あっ、詰まれた、もうあかん、ってなったとき、参りました、と爽やかに言えるんですよね。

 でも、コンペにしても、広告の企画にしても、マーケティングにしても、その提案なり商品なりをお買い上げいただきたい人との間にルールなんてないわけです。しかも、会議室で広告マンたちが勝手に決めて、これしか真実はないよねっていう、そんな身勝手なルール、相手からしたら、そんなん知らんがな、てなもんですよ。

 仮に、うまいこと社会にそのルールを広めることができたとしても、そのルールに従うことで、まるで将棋のように、どうすることもできない状況に追い込まれたら、詰まれたなあ、参りました、その商品を購入いたしますとはならないわけですよ。将棋盤をひっくり返しますよ。ルールごと、なかったことにしますよ。人間って、そういうものです。当たり前じゃないですか。詰まれて、負けて、受け入れる。そんなの、けたくそ悪いもの。

 そういうやり方がすべてうまくいかないとは言わないですよ。うまくいくことも、たまにはあるでしょう。それは、ある意味、マーケティングの定石かもしれんよ。でもね、そういうのは、長く続くことはまずないんじゃないかな。短期的にでもうまくいけばいいじゃないかって。目先のことも大事だって。

 じゃあ言いますよ。素敵じゃないんですよ。そういうやり方は、まったくもって美しくないんです。でもそれは、あなたがそう思っているだけでしょ、って。じゃあ、言いましょう。私は、そういうやり方、嫌いなんですよ。大嫌いなんです。もういいでしょ。じゃ、そういうことで。夜も遅いしさ。

※これは創作ですからね。念のため。


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«「餃子の王将」がブームらしい