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2007年6月17日 (日)

クリエイティブディレクター論の名を借りたオフコース論(1)

当ブログのサブタイトルにも書いている「クリエイティブディレクター」という言葉。あえて、コピーライターやCMプランナーと書かずにクリエイティブディレクターと書いたのは、ある程度、ブログと言えども立ち位置をはっきりさせておこうとの意図からです。

おまえ誰なんや、という問いに対しては、最低限の自己紹介としては、私の場合、広告会社のクリエイティブディレクターというものでした。まあ、そんなに厳密に考える必要もないかな、という気もしないでもないですが、これからのクリエイティブを考えたとき、クリエイティブディレクターというものをもう一度、きっちりと考えておく必要があるかな、とも思います。

少し前まで、まだまだ広告がおおらかだった頃、広告制作者は、コピーライターかアートディレクター、もしくはデザイナーと言えばなんとかなったんですね。その頃にも、クリエイティブディレクターというものはありましたが、大ざっぱには、会社の偉い人くらいの意味でした。つまり、現場の第一線からは退いて、相談役に回るといった感じですね。

かつての西武百貨店の広告。誰がつくったかと言えば、コピーライターの糸井さんと、アートディレクターの浅葉さんですよね。そこに、クリエイティブディレクターという役割は必要がありませんでした。

オフコースという日本のバンド知ってますよね。小田和正さんがかつてやっていたバンドです。と、書いて、ちょっと待てよ、とつっこみを入れたくなる人、ディープなオフコースファンですね。そうですよね、オフコースは小田さんのバンドじゃなくて、小田とYASSのバンドなんです。あっ、YASSっていうのは鈴木康博さんのことね。

オフコースというグループは、詳しいことはウィキペディアとかにまかせるとして、もともと小田と鈴木の二人の音楽ユニットだったんです。PPMに影響を受け、和声やコード進行が複雑な曲を繊細なアレンジで演奏する、日本ではかなり音楽性が高いと言われ続け、それ故に、長い間ヒットに恵まれなかった、そんな音楽ユニットでした。

その頃のアルバムは、それこそ、原則的に、小田作詞作曲と鈴木作詞作曲が半々。で、そのすべての曲に、多重録音による精緻きわまるアレンジが施されていて、それこそオフコース脱退後の鈴木の「俺の曲であっても、小田の曲であってもね、それはつまりオフコースの曲だったんだよ」という発言そのものでした。

Toct25638アルバムで言えば『FAIRWAY』というアルバムまでは、確実にオフコースは小田と鈴木のオフコースでした。といっても、いわゆるフォークデュオとは一線を画すサウンドで、音は、当時流行のクロスオーバーそのもののバンドサウンドだったんですね。小田と鈴木が対等でひとつのものを作り出していく。そんなグループだったのです。

私見ですが、小田和正という人は、天性のメロディ感覚を持つ作曲家であり、過ぎ去った時間へ切なさに執着した優れた詞を創作する作詞家のという感じで、鈴木康博は、ギターという楽器への造詣の深さをバックボーンにした精緻なアレンジ能力を持つ編曲家であり、頭の中の音楽のイメージを表出することができる優れたギターテクニックを持つギタリストという感じです。

「たぶんYASSは、ギターを弾きながら歌う日本のミュージシャンの中では、最も上手な人」であると小田さんが評していますが、私もある意味そう思います。ギターが上手いという意味合いはいろいろあると思いますが、CHARや石田長正、有山じゅんじ、いろいろスーパーギタリストはいますが、そういう上手さではなくて、いい意味でも、悪い意味でも、知的というか、器用というか、そういう感じの上手さだと思います。

つまり、ロックとか、ブルースとか、ジャズとか、そういう音楽ジャンルが持つ最高のグルーブなり、恍惚感なりを演奏できる、ということではなく、いまここにある作品という課題に対して、どのような仮説を持ってくれば、その課題の最高の質にたどり着けるのかについて、様々な可能性を提出できる、すなわち音として表出できる、ということだと思います。オフコースの鈴木康博は、そういう音楽家だったと思います。

そういう鈴木康博という音楽家を、オフコースの小田和正は、ほとんど自分の一部のような感覚であったのだと思うのです。小田和正が後に語る「YASSが辞めるということは、すなわち俺が音楽を辞めるということと同じだった。YASSのいないオフコースは考えられなかった」という発言は、そうした感覚から来るものだったのだと思います。その頃の小田和正にとって、音楽はオフコースのことで、オフコースとは、小田のものではなく、小田にとっては、オフコースとは小田と鈴木のものだったのだと思います。5人のオフコースになった時でも、推測でしかありませんが、きっと、小田にとっては、オフコースは小田と鈴木のオフコースの発展形にすぎなかったのではないでしょうか。

クリエイティブディレクター論の名を借りたオフコース論(2)に続きます

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