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2007年6月29日 (金)

「公園の時計」と現代デザイン

Img116_2 目覚まし時計のエントリーでも書きましたが、私は無印良品の「公園の時計」という名の腕時計を愛用しています。こういうデザインをミニマニズムといいますよね。私の場合、どうも嗜好や考え方が、ミニマニズムになってしまう傾向が強いです。

もともとCIプランナーをやってたこともあり、ミニマニズムの考え方に共感する部分があるのです。これは、無印良品の社外取締役でもあり日本デザインセンター原デザイン研究所主宰の原研哉さんの受け売りでもありますが、近代デザインというか現代デザインと言ってしまってもいいのかもしれませんが、いわゆるバウハウス以降のデザインは、基本的には合理性で考えられています。

それまでは、デザイン=意匠は、ある権威(それは権力であったり信仰であったりしますが)を人々が感受できるように装飾するということでした。それが、いわゆる市民社会の成熟とともに、近代以前の権威を具現化するための装飾としてのデザイン=意匠は、大きな意味を持たないようになってきて、デザイン=意匠は、生活の必要や、役割・機能を合理的に突き詰めてひとつのフォルムなり色なりに定着するというデザインに変わっていきました。

その中のひとつの考え方が、できる限り装飾性を取り除いて考えるミニマニズムです。この「公園の時計」は、そんなミニマニズムでつくられた腕時計です。原研哉さんが、無印良品のコンセプトを「これでいい」と定義されていますが、この腕時計はそのコンセプトがすごく表現されていると思います。

「これでいい」は、「これがいい」とは決定的に違います。多くの製品やブランドが主張するものは、大きく言えばほとんどは「これがいい」です。しかし、無印良品は「これでいい」をメッセージするわけですね。それが、アルミの名刺ケースだったり、パルプ製の収納ボックスだったり。ミニマニズムの極致だと思います。茶道や日本庭園に通じる日本の美学に通じるものを感じます。

ジャズピアニストのビルエバンスは、どのアルバムか忘れましたが、日本の書道を賛美する解説文を書いています。それは主に、自身のインタープレイという演奏手法を、書家のインスピレーションを筆を半紙に置く一瞬にこめる芸術手法と重ね合わせるものでしたが、どこかで、この無印良品的なミニマニズムと、ビルエバンスの音楽はつながっているのかもしれません。

でも「これでいい」とメッセージする腕時計も、使ってみると「これではだめ」というトホホな部分が少なからずあるんですよね。たぶん、私の買ったものだけの不良ではないと思いますが、自動巻きということもあるのか、それともないのか、時間が1日で3分くらい進んだり遅れたりするんですよね。進むだけならまだしも、遅れるだなんて、結構シビアなスケジュールで仕事してると、洒落ならんですよね。それとねえ、バンドと本体をつないでる棒あるじゃないですか。それが、ほんのちょっと力が加わっただけで取れるんです。一度、駅で取れて、コンタクトを探すように、探し回ったことがあります。無印の製品は、他の製品でも、ちょくちょくそういうことがあって、まあしゃあないかな、と思いましたけど。

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