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2007年7月10日 (火)

『永遠の三角形 Bill Evans Trioの音楽』ノート(3)

まったくビルエバンスの音楽に関係のない話しから始めることにします。仏教で行われる修行のひとつである托鉢(たくはつ)は、禅宗では大抵三人ひと組で行われるそうです。これは、禅宗のとあるお坊さんに聞いた話なので、真偽のほどはわかりませんが、そのお坊さん曰く、二人でも駄目で、四人でも駄目だそうです。一人で托鉢をしているのは、まったくの邪道で、あれは乞食と同じなんですわ、というようなことを言っていました。

関西のお坊さんなので、話し方が落語家みたいでくだけたところがありましたが、一人だと自分の心を律することができず、二人だと連んで怠けるし、四人だと二人と二人のグループに分かれてしまい、結局、二人と同じことになるそうです。だから、托鉢における乞食行(こじつぎょう)は三人で行わなければならないということらしいです。

これをジャズの編成に置き換えると、ソロ、デュオ、トリオ、カルテットになります。ジャズを仏教の行と重ね合わせるのは何ですが、編成におけるトリオの特殊性が見えてくるような気がします。但し、これは編成を構成するミュージシャンがすべて対等であるという条件がつきます。多くは、強力なリーダーのもとに編成されるのが、ハードバップ期のジャズにおけるグループのあり方です。

それは、トリオにおいても例外ではなく、バドパウエルのトリオにしても、モンクのトリオにしても、ピアニストというソリストに対して、ベースとドラムのリズム隊という1:2の関係です。つまりリーダーが率いるグループなのです。

ソロとデュオについては、またの機会に考察しますが、要するに、ミュージシャンがそれぞれ対等であると仮定した場合、その完全に対等な関係を、関係として成立させることができるのは、人間の緊張関係の限界を考えると、ほぼトリオという形式しかない、と言えるかもしれません。

Trioビルエバンスは、ビルエバンストリオというリーダーの名前を関したグループ名ではありますが、音楽表現において三者が完全に対等であるような関係を、その到達すべき理想とした音楽家であったと私は思うのです。ビルエバンスフォロアーであり、彼の目指したインタープレイの理想を追求するピアニスト、キースジャレットが、ゲーリーピーコック、ジャックディジョネットとのトリオに、自身の名を冠せずに「Standards」としたことからも容易に想像できます。この認識は、独創でもなく、なかば常識ですが。

しかし、ビルエバンスの生涯の音楽活動を俯瞰できる、現代のリスナーという特権的な立場でその音楽を聴くと、そこには、三者対等という理想を追求するにもかかわらず、追求し、その手が届きそうな瞬間に、いつも挫折を強いられる、まるで永遠に悟りを開くことを許されない修行僧のような、悲壮な姿をそこに見てしまうのです。

ビルエバンスの音楽の美は、三者対等という理想を追求するものの挫折を強いられ、けれども探求を止めず、動き続けることで三角形であり続ける、その運動の中にあると思うのです。動き続けることによってしか維持できない三角形。それが、ビルエバンスの音楽における「永遠の三角形」であると私は考えるのです。

『永遠の三角形 Bill Evans Trioの音楽』ノート(4)に続きます

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