『永遠の三角形 Bill Evans Trioの音楽』ノート(5)
ビルエバンスの初リーダー作は、1956年の『New Jazz Conceptions』(参照・試聴)です。エバンス27歳の作で、ベースがテディコチック、ドラムがポールモチアン。この演奏を聴くと、当時のほとんどすべてのジャズピアニストがそうであったように、エバンスもまたバドパウエルの影響下にあったことが、はっきりと感じられます。ベースも、4ビートのランニングが多く、モチアンもジャンプ感のあるハードバップ的なドラミングです。
1940年代にチャーリーパーカーを中心に起こされた、新しいジャズスタイルであるビ・バップ。諸説ありますが、ビ・バップとは、当時のジャズの中心スタイルだったビッグバンドのグルーブ感、重厚感を、ライブハウスのような狭い空間の中で成立する少人数のグループで可能にしたスタイルで、ビックバンドの音の重厚感の変わりに、音数が多く疾走感のあるアドリブを持ってくることで、ビッグバンドとは別の音楽的なクオリティを作り出していきました。そして、天才的ソロサックスプレーヤーであるチャーリーパーカーの才能に負ったビ・バップのスタイルは、瞬く間にニューヨークのジャズ界を席巻していったのです。
そのムーブメントの中で、天才ソロピアニスト、バドパウエルが登場します。彼もまた、当時では超絶的であった疾走感のあるピアノソロでスターになっていきます。今日のモダンジャズの基礎は、この二人の天才によって作られたといっても過言ではありません。グルーブ、スウィング、ファンキー、ジャンプと言った、半ば禅問答のような感覚的な概念は、この二人の演奏が持つ感覚をベースにしています。言ってみれば、この二人が生み出した音楽的な感覚が、これらの言葉の原器になっているのです。
当然ながら、このようなバップ的なグループ編成においては、必然的に、ソリストの超絶的なアドリブソロを引き出すためにすべてが構成されます。ドラム、ベースといったリズム隊は、いわゆるソリストがその音楽的創造性を表出しやすい音楽的環境を生み出すことに専念することになりました。
そんな中で、最高の音楽的環境を生み出せる天才ドラマーやベーシストは、その独自の音楽的才能を、ソリストとして表現するために、リーダーアルバムをつくりだしていきます。例えば、ポールチェンバースの『Bass on Top』(参照・試聴)。このアルバムは、ジャズベースを志す人なら一度は聴くほど面白く、日頃ジャムセッションで延々と4ビートのランニングを弾かされ続けるベーシストにとって、とてつもない爽快感をもたらしてくれます。なにせ、ベースが主役なんですから。もう、全編、ベースソロだらけなんです。ベースが歌う歌う。そこのけ、そこのけ、ベースが通るです。
でも、このバップ期においては、この『Bass on Top』さえも、ソリストとリズム隊というグループ編成の原則の例外ではありません。要は、バドパウエルの変わりに、ベーシストのポールチェンバースがソロを担当しているだけなのです。ピアノ、ベース、ドラムのトリオに限定して論を進めますが、トリオの構図として、やはりこの『Bass on Top』も逆立した1:2なのですね。
エバンスの発のリーダー作『New Jazz Conceptions』においても、それは同じです。1:2のトリオなのですね。新しいジャズのコンセプション、というアルバム名ではありますが、それは、この段階では、彼が生涯固執し続けた3者が対等の関係性は見ることはできません。どちらかと言えば、そこに見られるのは、斬新なヴォイジングだったり、スタンダード曲の新しい解釈だったり、主にピアニストとしての新しいコンセプションなのです。
このアルバムは、発売1年たって約800枚しか売れなかったそうです。その後、彼は前衛的ジャズコンポーザーであり理論家であるジョージ・ラッセルの音楽を吸収し、1958年、マイルスデイビスグループに参加します。マイルスも、エバンスとは別の形で、脱バップの方向性を探っていたジャズプレイヤーでした。しかも、マイルスは当時、当時の若いエバンスとは比べものにならないくらいの大スターでした。しかも、マイルスにとっても、白人の無名に近いピアニストの起用は、白人社会の裏返しとして生まれた黒人中心主義の当時のジャズ界ではすごく勇気のいる行為だったと言います。
しかし、エバンスと同じように前衛的な理論家であったジョージラッセルの影響を受けながら、脱バップの方向を探っていたマイルスにとって、エバンスとの共同作業は必然だったのかもしれません。マイルスは、エバンスと一緒に音楽を作る中で、その後のマイルスの音楽、エバンスの音楽、それ以上に、その後のジャズを語る上で欠かせない「モード手法」を形成していきます。
モード手法は、簡単な説明しかできませんが、これまでの長調、短調といった古典的西洋音階の調性と、その調性が必然的に内包するコード展開に対して、それとは別の調性を持ってくることで、既成の調性とコード展開の持つ権力的とも言える支配を無効化し、もっと音楽を自由にしようという試みです。音楽の理論にはあまり造詣がないので、大ざっぱなことしか言えませんが、ちょと私なりに説明していきます。
例えば、ハ長調はドレミファソラシドですね。その調性は、例外なくコード展開の法則を持っていますよね。音楽が始まるときと終わるときは、かならずドミソだとか。そのドミソは、ドファラに行きたがって、ドファラは、シレソに行きたがって、シレソはドミソに行きたがる、みたいな引力を和音は持ちますよね。トニック、サブドミナント、ドミナントと言いますが、そういう和音の順列を調性そのものが持ってしまいます。これは、その中のコードを分解していっても、この順列構造自体はかわることがありません。
また、長調は元気で明るく、単調は悲しく暗い、という性格を調性は持っています。この2つの調しか選択肢がない限り、どれだけ作曲で感情のバリエーションをつくろうとも、その感情のベースである長調、短調からは絶対に逃れることはできませんよね。そこから別の調性を手にすることで、西洋音楽の感情表現の支配から自由になろう、という取り組みが「モード」なのです。
ジャズでよく使われるのは、ラシドレミフォソラという音階のドリアンという調性です。非常に不安定でとらえどころのない音階で、長調でも短調でもない感覚があります。このドリアンをつかって曲を書くというのが、大ざっぱに言えば、ジャズにおけるモード手法です。しかも、ここに十二音階的な旋律手法が取り込まれて、ほとんど古典的な和音構成は持ち込まれません。
このマイルスとエバンスの共演は、1958年『ジャズ・トラック』(日本版タイトル『1958マイルス』(参照・試聴)と1959年『カインド・オブ・ブルー』(参照・試聴)で聴くことができます。ちなみに、このモード手法を発展させていったのは、エバンスと同時期にマイルスグループに在籍したジョンコルトレーンです。彼は、モードを吸収以降、練習のとき、ラシドレミフォソラをただひたすら吹き続けたといいます。モードを語るとき、西洋音楽の和音中心主義に対する、旋律からの異議申し立てと言われることがありますが、このエピソードは、このことをよく物語っていますね。
少々、話がそれてしまいましたが、エバンスにとって、マイルスとの出会いが、彼の新しいピアノトリオの芸術にとって分岐点になったことは間違いはないでしょう。このマイルス体験があったのち、独立した彼は、自身のトリオのメンバーを変更していくなかで、当時23歳だった若きベーススト、スコットラファロと出会うのです。
『永遠の三角形 Bill Evans Trioの音楽』ノート(6)に続きます
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