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2007年7月22日 (日)

「義務と権利」VS「責任と自由」(3)

「責任と自由」は、人間の、というか個人がどこまでその存在を広げていけるか、という無限の拡張性を持った概念であり、最初の話に戻ると、「責任」を限りなく持てるという個人がいる限り、政府がダメだと言ったとしても、イラクに行く「自由」を人間は本質的に持っているという話で、その「責任」は、この場合、やはり殺されても政府には助けは求めないという重い「責任」であるべきなのでしょう。そういう重い覚悟があって、やっとコインの裏表のイラクに行くという「自由」が成り立つのでしょう。ジャーナリストなんかはそういう覚悟を持っていますよね。

一方、「義務と権利」は、国家もしくは組織と、その国家もしくは組織と関係を持つ個人との「契約」において語られる概念であり、それは法律の基本として最低限度にとどめられることだろうと思うのです。渡航禁止という措置が、渡航したときに国民としての資格を失うと書いていない限り、政府は国民を無条件で守る「義務」があって、それが重いとしても、それが国家の最低限の「義務」だと言えます。その義務は、「私の身になにか合った場合でも、私は政府に助けは求めません」と宣言したジャーナリストにも粛々と果たされるべき国家の「義務」ですよね。法律的にはそうであるべきです。

しかしながらそれは最低限の「義務」であり、「国益」とのバランスで考たうえでの、国民を守る程度だと思います。こういう話は苦手だけど「国益」を損なってまで、その国民を守らなければならない「責任」は政府にはないはずです。それでも、ものすごい緊張感のある判断があるのは理解していますが。政府が「自己責任」といったとき、それは、ボーダーラインを超えてまで自己を拡張していく「自由」を主張する人に対して、政府はそこまでの「責任」は持たないよ、私たちにはそこまでの「責任」はないよ、ということの、単なる国民に向けたエクスキューズだったのでしょうね。でも、やはりその文脈で「責任」という言葉が出てくるのは、「義務と権利」と「責任と自由」の2つの文脈を、あえて混同させた意図はあったように思います。

例えば、薬害エイズに関して言うなら、政府は薬事行政を独占的に行う「自由」を持っている。だから、政府は国民の生命を守る重い「責任」があるのですね。だから、政府は「責任」を問われるわけです。今回の件は、それほどの「責任」はないよ、とまずは言っておきたかった、という感じですね。

でも、間違えてはいけないのは、政府は薬事行政を独占的に行う「権利」を持っているから、政府は国民の生命を守る重い「義務」を持ってる、ではないことです。これは権利・義務の文脈では、政府は国民から税金を徴収する「権利」を持っているから、国民の生命を守る薬事行政を独占的に行う「義務」がある、なのです。薬事行政と国民の生命を守る、というのはセットです。なぜなら国民の生命を守ることが薬事行政の目的として、薬事行政の中に含まれるからです。

同じように、海外における日本人の生命の危機に対処する「義務」が政府にはあるのです。

但し、この件に関して言えば、政府は勧告する禁止するという権限は持っているものの、それをかいくぐって「自由」を行使する国民に対して、自国民のすべての海外渡航をコントロールする「自由」を持ち合わせていない、もしくはその「自由」をある程度制限されているのですから、その「責任」は「自由」に比例する。つまり、「義務」は自明だけど、「責任」はこの場合、その「義務」と比較して、かなり小さいと言えるのです。これは、平時のイラクで生活する自国民の生命を守る「責任」とは明確に分けられるべきです。感情論はともかくとして。

「義務と権利」の問題と「責任と自由」の問題をごっちゃに話すから、あの件は、なんかおかしな話になってしまったのではないでしょうか。あのイラクに行った人たちは、個人としては「責任と自由」のバランスがあまりに悪すぎた。その「自由」に対して、「責任」への覚悟がなさすぎた。もちろん、意義あることだから、という理屈もあるけど、政府の「責任」は小さいと思います。そういう意味では、私はわりあい山形浩生さんの考え方に近いです。ただ、私の場合、その論拠がコスト配分の適正化という観点ではなく、「責任」と「自由」の等価関係においてですが。

でも、だからといって、その人たちの「権利」まで剥奪される話ではない。政府の最低限の「権利」は受けられるし、政府は当然それ相応の守る「義務」がある。そして、守られる義務は、あの人たちは果たしていた。なぜなら、納税義務を果たす日本国民だから。

そして、私たちは、あの人たちが守られる「権利」さえないような言い方は、できないはずなのです。言えるとしたら、あまりに考え方が子供だよ、ホントに迷惑な人たちだ、この時期に、みたいなことだけです。それ以上の、たとえば、あんな人たちに守られる「権利」なんかないと、みたいなことを言ったり、あの人たちの家族に、国民に対して謝罪の言葉を言わせる雰囲気を作った時点で、「責任と自由」という、近代以降の個人が、長い歴史をかけて勝ち得た概念を、自ら捨て去ることになってしまうのです。その時点で、個人の負けなんです。

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