外資系広告代理店ブームが去って、いま思うこと。
少し前に広告業界には、外資系広告会社ブームみたいなものがありました。フィー制の導入が叫ばれたり、アカウントプランナーという新しい役職が脚光を浴びたり、ストラテジーという言葉が流行ったり、マーケティング局がストラテジック・プランニング局になったりしました。また、クリエイティブエージェンシーもたくさんできました。フリーでもなく、クリエイティブブティックでもなく、クリエイティブエージェンシーというところが、この時代ならではなんですね。
クリエイティブの世界でも、いわゆるエンドラインという作法で作ったCMやグラフィックが、意識的な制作者たちから生まれてきました。エンドラインというのは、いわゆるキャッチコピー的なものではなくて、その広告の「テーマ」になる短い言葉のことを言います。その多くは、長尺CMの最後に置かれたり、グラフィックだと右隅のロゴの上に置かれたりするので、エンドラインと言われます。テーマラインとも言いますね。
例えば、WOW WOWの「見たい番組がある。」のCM。ご覧になった方も多いでしょうが、裁判のシーンがあって、裁判長が男性の被告に名前を聞くと、被告は「じゅげむ」みたいに長い長い名前を述べると、裁判長は「長すぎる、もっと短く!」みたいなことを言い、被告は「じゃあ、キャンディって呼んで」というと、裁判官はキャンディと呼び、弁護士が無罪を主張するすると、裁判長は「無罪!」とすぐ答え、それに反論した検察が有罪を主張すると「有罪!」みたいな感じで、なにやら裁判長は裁判をすぐに終わらせたい態度をずっととっていて、弁護士、検察官ともに、「裁判長!なぜ、そんなに結論を急ぐのですか!」と詰め寄ると、画面が暗転し、その黒バックの中央に、ちいさく「見たい番組がある。」というコピーが入って、「WOW WOW」というロゴが入る、というようなCMなんですね。
これが、エンドライン、またはテーマラインの作法でつくった典型的なCMです。海外の長尺CMでは定番の、外資系的なクリエイティブの作り方です。この広告、じつは日本の大手広告代理店のクリエーターがつくりました。そのとき、私は、ああやられたな、と思いました。一頃、ファンタもその手の広告をやっていて、これも日本の大手広告代理店の制作なのですね。まいったな、と、ほんと思いました。こういうの僕らがつくらないと駄目なんじゃないの、って。
外資系広告会社ブームがあったとき、某外資系広告会社で働いていた私たちは何をしてたかというと、外資系の大型クライアントのチームで、グルイン(グループインタビュー)とか量的調査とか、へなちょこ営業がつくった甘い甘いクリエイティブブリーフ(広告戦略や守りごとの書かれた紙のこと)とにらめっこして、いかにそれを矛盾なくCMに入れるかに苦心していたんですね。
そんな論理的で理詰めだけど、何の面白みもない広告をつくりながら、やれ俺たちは論理的だの、タレントに頼らないだの、ストラテジックだの、科学的だの言う日本の外資系広告会社の広告屋を見ながら、ああ、このままでは、外資系のいい部分はすべて日本の大手広告代理店が吸収していって、我々外資系の広告会社はブームが去ったら駄目になるんだろうな、と自戒を込めながら、心の中で思っていました。そして、それが半ば当たってしまっているのが、今の状況です。
結局は、外資系だからといっても、同じなんですよね。面白いものは、面白いし、つまらないものは、つまらない。タレント広告は効くし、表現なんてものは、誰もができるわけじゃない。表現は科学じゃないから、学んでも、知識を入れても、できない人にはできない。かつて、「すぐれた落語はみんなが面白がれるけれど、だからといって、みんなが落語をできるわけじゃない。日本の広告は戦後民主主義の犠牲者です。」という言葉を残して会社を去っていった外資系広告会社のCDがいましたが、日本の外資系会社って、そういうとこがあるんですね。
で、私はどう考えるかというと、タレント広告は効くとか、連呼は効くとか、そういうことはまず肯定したいんです。現実だから。でも、それだけじゃ悲しいし、さびしいでしょ。海外には、そして日本にも、タレントパワーじゃなくて、クリエイティブパワーで勝負しているすぐれた広告がいっぱいあるよね。で、その広告は、目から鱗の新しい方法論でつくられてたりするよね。だから、それを吸収したいよね。で、できれば吸収した上で、新しい方法論をつくりたいよね、という感じです。
私にはある体験があります。洗剤AのCM。私のCMアイデアは、家で、お母ちゃんが洗濯物をたたんでいて、かたわらで高校生くらいの娘が白い靴下を履いている。その白い靴下は真っ白なんですね。でも、親指のところに穴があいている。で娘が「お母ちゃん、これ穴あいてるで」と。するとお母ちゃんは「これ、Aで洗ろてるから、真っ白やろ。靴はいたらわかれへんがな」と。それを聞いた娘は「それもそやな。行ってきまーす!」
大型プロジェクトだったから、NYからCDたちが飛行機乗って来るわけですよ。で、私のこのコンテ、日本のスタッフからはボロカスだったわけです。こんなアイデア、NYのCDに見せられないと。で、NYから有名なCDがやってきました。少々ごり押しで見せました。すると、NYのCDたち大笑いなんですね。私、英語はしゃべれないんですが、NYのCDたちは「この台詞のOSAKA'S DIARECTって、アメリカではテキサスなまりみたいな感じかい?」とかなんとか言って、私は私で「YES! YES!」と言ってね、大盛り上がり。まあ、大阪方言はテキサスとはちょっと違うなとは内心思ってたんですがね。
結局、海の向こうも、同じなんです。穴空いた靴下、靴はいたらわからないっていう、貧乏くさい発想もするし、こういう情景、子供の頃のいい思い出の中に絶対あるし。私にとって、あえて「私は外資系広告会社のクリエーターです」という自負心は、そういうところにあります。かっこよく言えば、現実は現実であるけど、拙者は表現を信じる、みたいなね。武士は喰わねど高楊枝、みたいなね。そういう意味では、いろいろ外資系とはこうであるという結論を出したかったけど、書いてみると、本音は、外資系であろうとなかろうと、そんなもんどうでもええがな、ということですな。まあ、いろいろ現実はしんどいけど、明日もがんばっていきましょ。
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コメント
何度も頷きながら読みました(笑)。
今わしがいる会社はドメドメではありますが、まさにソレで、うわべの形式的なとこだけ外資の真似っこして、「センリャク的には」だの「もっとインサイトの追究を」だのと偉い人たちの虚しい言葉遊びが繰り広げられます。そしてあげく、できあがるのは、まいど毎度”取説動画版”みたいな無味乾燥なCMなのでしたとさ(笑)。ま、クライアントもクライアントではあるのだけど‥。
投稿: 名有りのごんべ | 2007年7月13日 (金) 17:09
どうもです。まあ、どこも似たようなものなんですね。ストラテジーとか、ベネフィットとか、セグメントとか。でもたいがいは、口がいいたがっているだけのような気がしますね。
投稿: mb101bold | 2007年7月19日 (木) 22:20