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2007年7月22日 (日)

「義務と権利」VS「責任と自由」(1)

少々重い話題かもしれませんが、書いてみようと思います。私自身、まだ整理されてない問題なので、ちょっと躊躇しますが、「整理もせずに書き綴る」がモットーでもあるブログですので、しばらくお付き合いいただければ幸いです。

少し前に「自己責任」という言葉が流行しましたね。

外務省は危険だからイラクに行くなと言った。しかし、危険を承知でイラクに行った人がいた。危険な目にあった。政府は「自己責任」と言って不快感をあらわにした。その人の家族は国民に謝った。人々は、身勝手で甘いとその人をなじった。それ見たことか、と言った。そんな人のために税金が使われ、政府が微妙な判断を迫られるのは迷惑だ、という文脈の話が世間を賑わした。その一方で、「自己責任」の名の下に政府の「責任」を放棄するような言い草は「無責任」だと批判する人もいた。そんな話でした。

その出来事があって、ライブドア株をたくさん買った人も「自己責任」と言われたりもしました。いくら無知とは言え、「自己責任」で買ったのだから、しゃあないわな、というニュアンスですね。また、昨今の若者に対しては、「義務」も果たさず「自由」に振る舞ってる奴らなど「自己責任」でやっているんだから保護される「権利」などないよという人もいますね。

この話は、その人の立場によっていろいろな見方がある問題なので、錯綜しがちです。戦後民主主義や近代的個人と国家の関係など、様々な要素が入り交じって、わけがわからなくてってきます。円地文子の『食卓のない家』という小説でも、このような話がモチーフになっていたりしました。この小説では学生運動でしたが。

この問題をどう考えるべきなのかは、いろいろな人が話されてます。私にはそれを断定的に語る知識のバックボーンもありませんし、どういう判断であるべきなのかは、自分自身では結論は出ていません。でも、ひとつだけ言えるのは「義務と権利」という概念と、「責任と自由」という概念は、まったく別物のように思われるのですが、その違う概念が、少なくとも感情的にはごっちゃにされてしまっているのは、だめなんじゃないだろうか、ということです。

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