「実名匿名論争」雑感
■私なりに「実名匿名論争」をまとめてみました。
弁護士の小倉秀夫さんとライターの松岡美樹さんを中心に繰り広げられてる「ブログ実名匿名論争」を興味深く読んでいます。「たかがブログじゃないですか。」(参照)では、私なりの実感を書いてみましたが、ちょっと具体的に言いたくなってきたので、今日も書きます。
私なりにまとめると、小倉さんは、実名には「社会的評価の向上や人脈の豊饒化等の現実社会でのメリット」があり、匿名は「他人を誹謗中傷する人」にさせる「魔力」を持っていると主張されています(参照)。一方、松岡さんは「インターネットは有名・無名にかかわらず、ネットユーザの創造性を育ててきたクリエイティブな世界」であると述べられ、実名制は、匿名者がいくら「能力があっても価値がゼロになる暗黒時代」であると主張されています(参照)。
この論争は、もともとekkenさんと小倉さんの論争をきっかけに生まれました。ekkenさんは、小倉さんの「ネガティブコメントを批判されるのがいやならば、ネガティブコメントをしなければいい」という問いに対して、「意見を述べるブロガー」としては「NGだなあ」(参照)と述べられています。ちなみに私はekkenさんのブログ(参照)でモヒカンという言葉を知りました。
■私が「実名匿名論争」に興味を持った理由。
まあ、そんな流れの論争なのですが、私がこの論争を見て、すこし自分の問題として興味をもったのは、別の部分です。私は、ここ最近ブログをはじめた人間ですし、ブログ論壇みたいなものに興味があったわけでもなく、単に自分の興味を文章にして、それだけじゃなんだから、niftyのIDを持ってるんだしココログでもやってみるか、という感じなんですね。
それは、言ってみれば、おじいちゃんの盆栽ブログみたいなもんかもしれません。それに、私はW-ZERO3[es]というウィルコム端末を愛用していて、この端末を使いこなすにあたって、それこそ匿名のブロガーさんたちにすごくお世話になったりしたポジティブな経験もあって、なんとなく実名主義みたいなマッチョな感じに違和感をもったのです。
それに、私は外資系広告代理店に勤めているのですが、そういう会社勤めの場合、まあ実名は気分的には使いたくないわけで、前例としても、広告代理店のあの人だなとある程度想定される書き方で、匿名(正しくは顕名)を使われてネットでのびのび書かれているのを楽しんできたんで、この実名主義が徹底されると、それこそ「暗黒時代」だなと思ったのです。
確かに、匿名の暴力というのはあります。それは、リアルでもありますし、ネットでは顔が見えないことと、24時間発言が残り続けることから、より陰湿になるのもわかります。とりわけ弁護士さんにとっては、相当許せない状況でもあると思います。そういう状況に、危機感や嫌悪感を持っている社会の空気もあります。このまま行くと、「漂泊言論」の福田さんが言うように、匿名が許される状況を「あっさり手放さざる得ない」時(参照)が来るのかもしれません。
■2つの「匿名」。そして「等価交換」。
でも、ここで疑問です。でもよく考えると、ここで「匿名」という同じ言葉の中身に2つの種類があることに気づくんです。小倉さんが問題にする「匿名」って、コメントにおける匿名ですよね。その人が匿名でブログをやっていても、ほとんどはプロバイダのIDは持っていますよね。
ですから、実名はってブログをやられているお気持ちはわかりますが、ブログが持つ名もなき人も読んでくれる流通力を享受しているわけだから、ある程度は、ekkenさんがおっしゃる匿名でのネガティブコメントも、メリットとデメリットの「等価交換」であるのが望ましいとすれば、それはしょうがないのではと思います。甘受すべき範囲内なのではないかと思います。けっこうしんどいですが、やっぱり基本は「等価交換」だから。そうじゃないとある特定層が利することになりますよね。
その流通力を放棄して、会員制にするなりの方法がありますね。SNSを使うのも手ですね。そうすると、メリットとデメリットは「等価交換」になりますよね。つまり、全世界を相手にするような無限の流通性はなくなりますが、誹謗中傷というデメリットは少なくなる。全世界を相手にせざるを得ないネットにはきつさがあったから、あえて閉じるシステムとして、mixiが流行ったんではないでしょうか。私は、mixiから逆にブログに来ましたが。
松岡さんは、たぶん、そういうブログの流通性や自由との「等価交換」として、ネガティブコメントなどの荒らしはあるというデメリットがあるのがブログというかネットの現実なのだから、きっと、初心者にブログを実名ではじめるのを勧めるというのは無茶だと思われたからこそ、反論を書かれたのだと思います。そして、現実を生きる知恵として、「スルー力」を啓蒙されたのでしょう。
もうひとつは福田さんの言う「匿名」がありますね。これは、通常のプロバイダのIDを持たず、持っていたとしても身許が絶対にわからないようにした、いってみれば意識的に、かつ、意図的に、積極的に「匿名」であろうとする「匿名」とそのサービスです。これをどうするかは、ちょっと論議の分かれるところですね。それこそ、日本のネット文化は、どのラインで「等価交換」するのか。韓国のように、住民登録番号を必須にするところまでいくのか否か。それこそ高度な「グランドデザイン」が必要なのでしょうね。
■「匿名」の中身の違いをしっかり定義して論議したほうがいい。
この「匿名」の定義をしっかりしたほうがいいんじゃないかと思うんですよね。この2つの「匿名」は質的にもまったく違います。
たしかに、コメントスクラムは2つの「匿名」が入り乱れる集団ヒステリーみたいなものだと思いますが、これは「匿名」であることが引き起こす暴力というより、「集団化」という現象が引き起こす暴力の面が大きいと思いますが、こういった集団ヒステリー的なものは、実名制では規制できないと思うんですね。現実社会の、集団ヒステリーとかパニックと同じです。
そうでないと、始まりは完全匿名のネットワーカーによる無責任な非難中傷を問題にしていた話なのに、いつのまにかそれがすべての匿名の話になり、その話を過激に感じる人が反応し、その反応に対しては、また完全匿名の害悪で返すみたいな悪循環に陥ると思います。あとは、それぞれの論の矛盾や破綻さがしですよね。まあ、それはそれでエキサイティングではありますが。
私は、こういうことを書くのは例外だし、発言系ブログでもないと思っていますので、単に「匿名(この場合は顕名かな)」を楽しんでいる、私を含めた多くのブロガーさんたちが息苦しくならないようにしてほしいなと思っているだけですが。実名でやってらっしゃる松岡さんが擁護し、啓蒙しようと思う「匿名」さんの多くは、こういう人たちだと思うんですよね。きっと、後者の「匿名」さんたちじゃなく。
■私は、これからもひっそり書きたいです。
トラックバックとかしなきゃいけないのかな、と思いつつ、OS9で書いているので、リンクもすぐには貼れないので、「等価交換」にならないし。google様を信じて、トラバせずに投稿します。引用させていただいた方、失礼をお許しくださいませ。引用させていただいた記事のリンクは徐々にこつこつ貼っていきます。
うーん、そうか。私は、「ブログでコミュニケーション」という欲求がきっと少ないんだな。書いたものは、誰かがどこかでひっそりと読んでくれたらいいや、という感じです。ネットワーカーという言葉もぴんときませんし。昔のレンタル日記のメンタリティですね。でも、コメントとかトラバはやっぱりうれしいですけど。では、また明日からは好きなことを「整理もせずに」ぐだぐたと書き綴っていきますので、よろしくお願いします。
7月27日追記 : リンクを貼ったり、いろいろ修正。それと、松岡美樹さんの『すちゃらかな日常』にトラックバックしました。(どうでもいいですが、人生、初トラックバックです。)私は、こんなふうに思いましたが、どうでしょうか。
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