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2007年8月25日 (土)

なぜ日本人は『カントリーロード』を聴くと切なくなるのか。

 なんか新書っぽいタイトルですが、前に「耳をすませば」というジブリ映画の主題歌(挿入歌でもありますね)『カントリーロード』のを聴くと泣きそうになるお話(参照)を書いて、あれ以来、原曲の『TAKE ME HOME, COUNTRY ROADS』が気になって気になって。で、いろいろ調べたり考えたりしたことを書いてみたいと思います。
 まずは、鈴木麻美子さん作詞の「カントリーロード」から。この曲の歌詞は、ずいぶんと意訳されているというか、もうほとんど創作に近いですね。リピート部分は除いていますが、こういう歌詞です。

カントリーロード
作詞:鈴木麻美子

カントリーロード 
この道 ずっとゆけば
あの街に つづいてる
きがする カントリーロード

ひとりぼっち おそれずに
生きようと 夢みてた
さみしさ 押し込めて
強い自分を 守っていこ

歩き疲れ たたずむと
浮かんで来る 故郷の街
丘をまく 坂の道
そんな僕を 叱っている

カントリーロード 
この道 ずっとゆけば
あの街に つづいてる
きがする カントリーロード

どんな挫けそうな時だって
決して 涙は見せないで
心なしか 歩調が速くなっていく
思い出 消すため

カントリーロード
この道 故郷へつづいても
僕は 行かないさ
行けない カントリーロード

カントリーロード
明日は いつもの僕さ
帰りたい 帰れない
さよなら カントリーロード

 この歌詞に貫かれている世界は、いわゆる個人主義というか、近代的自我みたいなものですね。この映画のプロデューサーが宮崎駿さんであるということを考えると、なるほどね、と思います。評論家で劇作家の山崎正和さんが追求する「個人主義」に近いものがあります。「鴎外 たたかう家長」という本を前に読みましたが、そこに描かれている、近代以前の共同性と、近代的自我という新しい考え方の葛藤に近いものがあります。あの後、山崎正和さんはその現代適応版の「柔らかな個人主義の誕生」という本を書きました。
 こういう主題は、わりあい日本人的だと私は思います。だからこそ、この歌を聴くと、私は切なくなってしまうんだろうと思うんですね。自分の中にも、少しそういう気持ちがありますし。こういう主題は、私が好きなオフコースにもあります。『生まれくる子供たちのために』という曲の中に、「多くの過ちを僕もしたように 愛するこの国も 戻れない もう戻れない あの人が その度に 許してきたように 僕は この国の 明日を また思う」という部分がありますが、ここでは、共同体は「国」や「あの人」と表現され、自立した「僕」はやはり戻れないのです。
 このジブリの『カントリーロード』も同じ考え方です。「帰りたい」けれど「帰れない」ものとして「故郷」を考える「僕」は、「ひとりぼっち恐れずに生きていこう」と「夢」見る人で、それが「強い自分」であると考える人なのです。少し古くなってきた嫌いがありますが、それは、近代的な個人です。学生運動が華やかだった頃、日本の多くの若者は、そのように個人を考えていたはずです。
 小田和正さん、宮崎駿さんも、大ざっぱに言えば、そのように「個人」というものを考える世代だと思います。山崎正和さんもそうですね。そして、彼らに影響を受けてきた私などの世代(67年生まれ)は、そのように「個人」を考えてしまう最後の世代なのかもしれません。

 それは、鈴木さんや宮崎さんが、原曲の『TAKE ME HOME, COUNTRY ROADS』を聴いて、そう感受してしまったということを意味しますが、必ずしも、それは、このカントリー歌手のジョンデンバーが歌い、そのあと、オリビアニュートンジョンがカバーしたこの原曲がそのようなメッセージの歌であることではないのです。そして、私は、そこが面白いなあ、と思いました。で、原曲の歌詞がどのようなものかを、一度、しっかりと見てみたいと思います。

TAKE ME HOME, COUNTRY ROADS
作詞:B. Danoff, T. Nivert, J. Denver

Almost heaven, West Virginia
Blue Ridge Mountains, Shenandoah River
Life is old there, older than the trees
Younger than the mountains, growin' like a breeze

天国のような ウェストバージニア
ブルーリッジ山  シェナンドー川
木々より長く 山々より若く
そよ風のように 人々は暮らしている

Country roads, take me home
To the place I belon
West Virginia, mountain momma
Take me home, country roads

カントリーロード 僕を連れていってよ
僕が育ったあの場所へ
ウェストバージニアの 母なる山々へ
僕を連れていってよ カントリーロード

All my mem'ries gather' round her
Miner's lady, stranger to blue water
Dark and dusty, painted on the sky
Misty taste the moonshine, teardrop in my eye

思い出すのは あの娘のことばかり
あの青い水をたたえた故郷から いま遠くはなれて
目ににじんだ涙は 大空を暗く塗りこめ
月明かりを かすませる

Country roads, take me home
To the place I belon
West Virginia, mountain momma
Take me home, country roads

カントリーロード 僕を連れていってよ
僕が育ったあの場所へ
ウェストバージニアの 母なる山々へ
僕を連れていってよ カントリーロード

I hear her voice, in the mornin' hour she calls me
The radio reminds me of my home far away
And drivin' down the road I get a feelin'
That I should have been home yesterday, yesterday

その朝 僕には聴こえたんだ あの娘が僕を呼ぶ声が
ラジオから聴こえる音は 僕の心を あの場所まで運んでくれる
はやる気持ちで 車で飛ばしながら 僕は思った
ああ なぜ僕は いままで帰ろうとしなかったんだろう

Country roads, take me home
To the place I belon
West Virginia, mountain momma
Take me home, country roads

カントリーロード 僕を連れていってよ
僕が育ったあの場所へ
ウェストバージニアの 母なる山々へ
僕を連れていってよ カントリーロード

 日本語訳は、原詞になるだけ忠実に私が訳しました。なので、もしかすると決定的に誤訳している可能性もなきにしもあらずですが。
 簡単に訳せるかなと思ったら、案外、詩的な表現が多く、難しかったです。Life is old there, older than the trees Younger than the mountains, growin' like a breezeは、直訳すると「人生は古く、木々たちより、より古く、山々より若く、そよ風のように育む」という感じになりますが、私は「木々より長く 山々より若く そよ風のように 人々は暮らしている」としました。All my mem'ries gather' round her Miner's ladyは、herは、きっとウェストバージニアとかかっていると思いますが、あえてそう表現しませんでした。Miner's Ladyは「抗夫の娘」という意味だと思うのですが、だとすれば「彼女は、抗夫の娘さんなんだけどね」というくらいの意味だろうと思うので、あえて無視しました。
 そして、最も重要な部分And drivin' down the road I get a feelin' That I should have been home yesterday, yesterdayは、shoud have beenでyesterdayなので、直訳すると「もっと前に故郷に帰るべきだった」となります。私は意味から考えて「ああ、なぜ僕はいままで帰ろうとしなかったんだろう」としましたが、問題はそこではなく、車に乗っていること、shoud have beenであること、upではなくdown the roadであること(まさか、田舎へと行く道を日本とは逆に下りとは言わないでしょう)から、主人公の「僕」は故郷に戻るところで間違いがないと思います。
 ここが誤訳していたら、このエントリーのすべては水の泡なんですが、要するに、この「僕」は故郷に帰っている途中で、しかも「もっと前に帰ればよかったなあ」と言ってるんですね。少なくとも、「僕」は故郷に帰ることに罪悪感は持っていないのです。

 YouTubeで、ジョンデンバーが歌っているところを見ましたが、この部分から、喜びに満ちあふれるんですね。「やっと故郷に帰ることができる。さあ、僕を早く故郷に連れていってよ、カントリーロードよ」という歌なんですよね。はっきり言えば、ここまであのジブリの「カントリーロード」と違うのか、と驚きました。まったく違うと言っても言い過ぎじゃないですよね。逆じゃないですか。
 ということは、ジョンデンバーやオリビアニュートンジョンが歌うこの歌を、この「カントリーロード」という歌をつくった鈴木さんや宮崎さんは、自分と重ね合わせて、原曲が表現するものとは逆の状況を思い浮かべていたことになります。「さよならカントリーロード」ですから。
 原曲も望郷の歌には違いはないのですが、少なくとも原曲の『TAKE ME HOME, COUNTRY ROADS』は「僕」が走ってはいけない「道」としては設定されていないですよね。でも、ジブリの『カントリーロード』は、自立した大人の「僕」が走ってはいけない「道」と設定されています。そして、そのことに、私がジーンときた。なんなんだろう、これは。この先は、難しそうで、面白そうなので、後にとっておきたいと思います。本日はここまで。

追記:こちらもあわせてどうぞ。
『TAKE ME HOME, COUNTRY ROADS』の翻訳をめぐって。

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コメント

>少なくともジブリの「カントリーロード」は「僕」が走ってはいけない「道」としては設定されていないですよね。

"ジブリ"の「カントリーロード」ではなく、"原曲"の「カントリーロード」のことですよね・・・?

投稿: | 2007年8月28日 (火) 10:47

その通りです。修正します。ご指摘ありがとうございます。

投稿: mb101bold@管理人 | 2007年8月28日 (火) 18:41

All my memories gather’ round herこのherは わが故郷West Virginianaなんですよね!
Miner’s lady, stranger to blue water
このはMiner’s lady、は、炭鉱のわが故郷West Virginiana(lady)は、海に面していないから海を知らない!stranger to blue water!
Misty taste the moonshine、このmoonshineは月の光ではなく、どぶろくなんですね!密造酒!この味が、Misty tasteらしいですな!
もちろん、I hear her voice, in the mornin’ hour she calls meのherもSheも、わが故郷West Virginiana
Life is old there、このthereもWest Virginianaですな!みんな間違って訳している!

投稿: Mackie | 2007年9月18日 (火) 05:05

Mackieさま。はじめまして。管理人のmb101boldです。

herやshe、lady、thereがWest Virginiaであることはなんとなくつかめたのですが、stranger to blue waterのblue waterが海だということや、moonshineが「どぶろく(密造酒)」でその味がMisty tasteだなんて思いもしませんでした。

なるほど、この歌詞は奥深いですね。意味が複層的にかかっていて。West Virginiaの人は、この歌詞を聞くとにやっとするんでしょうね。

私自身、簡単に訳せるかななんて思っていたら、意外や意外、けっこう難解な英語で、その理由がわかりました。ご教示、ありがとうございます。

投稿: mb101bold | 2007年9月18日 (火) 11:34

歌詞もそうですが、やはりサビの途中で(ジブリ版では”ずっとゆけば”の部分、)メロディーが転調することも切なくなる理由として忘れないでほしいですね。

投稿: | 2008年7月31日 (木) 13:03

なるほど。

投稿: mb101bold | 2008年7月31日 (木) 18:53

公開不要です。
カントリーロードの意訳ありがとうございます。胸に沁みました。Take me home の意味を確実にとらえています。わたしが感じている「音声」を「意味」に捉え直してくれました。

投稿: 名無しの案山子 | 2011年9月 1日 (木) 16:29

少し前に書いたエントリですが、たくさんの人に読まれて、メールなどでもコメントをたくさんいただきました。
この場を借りて御礼申し上げます。
ありがとうございます。

投稿: mb101bold | 2011年9月 1日 (木) 17:59

まさか、田舎へと行く道を日本とは逆に下りとは言わないでしょう

とありますが、日本の道で下りとは、現在地から東京へと向かう道を上り、東京から離れる事を下りと言います。なので、下りは基本的に都会から田舎へと向かう道となります。

投稿: | 2013年7月11日 (木) 03:37

カントリーロード>かつての故郷天国(エデン)への道。自然回帰への道。

この道 ずっとゆけば

あの街に つづいてる>天国界、エデンの花園、自然世界などに続いている。 

きがする カントリーロード
ひとりぼっち おそれずに

生きようと 夢みてた>全ての魂は神様によって生かされているのに自分で生きていると夢見てた(勘違い、誤解、無知、不(未)分別など)。

さみしさ 押し込めて>真の神向、我慢、陽気、感謝、元気+思考などで。

強い自分を 守っていこ>高い次元、強い自分の魂を維持するために有難く厳しい+修行させて頂こう!。

歩き疲れ たたずむと>人生苦楽。小休憩。

浮かんで来る 故郷の街>高次元に頂く(厳しい+修行により天国界の方へ上って行くと)とかつて自分の故郷の天国界(街)、エデンの花園の様な世界がひろがっていく(顕現)。

丘をまく 坂の道>天上真上真中心世界へ行かせて頂くための求心力働き左回りぐるぐる坂道。

そんな僕を 叱っている>神様の叱咤激励。

カントリーロード 
この道 ずっとゆけば
あの街に つづいてる
きがする カントリーロード

どんな挫けそうな時だって>失敗、へま、苦心、挫折などをしようとも。

決して 涙は見せないで>真に泣きたい時は遠慮せず泣くよ。

心なしか 歩調が速くなっていく>苦しみ、誤解、勘違い、執着、恨み、未練、後悔など無くなり高速上昇させて頂く。

思い出 消すため>現世、前世の嫌な記憶、思い出を(厳しい+修行で)消させて頂く。

カントリーロード

この道 故郷へつづいても>天国への道。三千世界(天国)へ続いていても。

僕は 行かないさ>行かせて頂きます。

行けない カントリーロード>行かせて頂きます。

カントリーロード

明日は いつもの僕さ>明日こそ神(真、新、芯)魂に(神聖、真正)!。真に悟れる(覚れる)さ!。

帰りたい 帰れない>帰させて(変えさせて)頂きます。
さよなら カントリーロード>左様なら 天国への道。

超自分勝手な(自己中解釈かもしれない?笑)解釈です(笑)!!!。

投稿: 陽氣者 | 2013年7月12日 (金) 07:07

そうですよね、、、
でもなぜか、私は、どっちも好きです

投稿: ぽちゃん | 2013年8月 5日 (月) 00:09

面白い記事をありがとうございます!

英語の歌詞はダブルミーニングの宝庫ですから、いろいろな解釈・捉え方が有って良いと思います。

かくいう私は、ブリッジ部分最後の二回繰り返す「yesterday」部分、二回目は、「YES、today(でも今日こそわ!)」だと信じて(笑)ります♪

投稿: さいとを | 2015年4月10日 (金) 17:03

私は日本語訳のカントリーロードは、ジブリ映画の主人公の様に、『夢を追って故郷から離れた人』の『夢を追って出たからには成功しないと帰れない』という心情を描いた歌なんだと思っています。
和訳が切なくなるのはそのせいではないでしょうか?

そして英語の歌詞は、大人になって意地を張るのをやめたのかな…と。今まで帰るタイミングを逃していたけれど『帰りたいなら帰ればいい、何で帰らなかったのだろう!?』とラジオを聞いて思ったのかなと…。

なので、私には両方ともしっくりきます。
きっと宮崎駿監督は、英語の歌詞の『 I get a feelin'
That I should have been home yesterday, yesterday』からなぜ帰らなかったのか、帰れない理由からカントリーロードの歌詞ができたのではないかと私は思いました。

投稿: star☆ | 2015年8月 4日 (火) 14:09

耳をすませば作中で日本語訳してたのは進路に恋に悩む中学生の女の子ですよね。
映画を見れば分かりますが作中で、「私たちに故郷はない」という趣旨の発言をしてます。中学生なので当然なのですが生まれた町でずっと生活しているのでまだ望郷という感情が理解できないのです。故郷を戻りたい場所ではなくてこれから巣立っていく場所と認識してるんですね。さらにイタリアにヴァイオリン職人になるため修行に行くという彼氏の「何年かかるかわからないけどモノになるまで帰らない」という決意を聞き影響を受けたと考えれば日本語訳も腑に落ちるのではないでしょうか。
作中では製作途中の歌詞を友達に披露する場面もありますが「待つ老いた犬」なんてのも元々の歌詞にはないものですから、純粋な翻訳をするつもりは無かったのでしょう。

投稿: 通りすがり | 2017年3月29日 (水) 15:23

ちなみに、カントリーロードという曲を作った人達は、ウェストバージニア州出身ではない上、曲を作った時点ではウェストバージニア州に行ったことすらなく、なんとなくイメージで作った。
 

投稿: ななし | 2021年1月 7日 (木) 16:34

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