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2007年8月21日 (火)

メタ論議はものすごく楽しいんだけど‥

 例えば、広告をつくっている制作者が「広告とはいかにあるべきか」を語るとかね。酒が入ってきて、大きな気持ちになってきて、「オレね、いまの広告って違うと思うねん」とか「広告ってね、やっぱりこうあるべきなんじゃないかとオレはいいたいわけで」とか、そんな感じでおしゃべりするのって、すっごく楽しいんですが、なんだか空しい気もするし、いまこうしていろいろつくられている広告がすなわち「広告」であってね、それは「広告ではない」というはずはないんですよね。

 それは、いつも「オレから見たら」という言葉が隠されてて、その言葉の隠蔽は、いつも「お前が広告か広告でないかを決めるんかい」という突っ込みをうまく隠してしまって、事実とはどんどんかけ離れた絵空事になってしまうんですね。お酒の席では、エンターテイメントとして絵空事は楽しいけどね、やっぱりね、他人の批評を前提としない絵空事は、どんどん浮世離れしていくわけです。よくはわからないけど、これまでのユートピア社会論も全部そうで、現実の世の中とはまったく違う机上の論理になってしまって、その「理想の社会とはかくあるべし」という迷惑な正義が、どんどん現実に生きている人を苦しめていくような気がするんです。

 私自身も、そういうメタ論議大好き人間なんですが、なるだけ「オレがつくるなら」とか「オレはこう考える」とか「オレがこう考えてつくった結果、こうだった」とか、具体的な事実や、日々の行動なんかを入れて、最低限、「お前はそう考えるけど、オレはそう考えないし、オレがお前と違う考えでつくるとこうなるぜ」という批評は前提にしたいなあ、と思っているのです。で、「なるほどねえ、そう考えるのも面白いかもね」というくらいの余裕は自分の中に残しておきたいとも思う。

 そして、私が語ってしまいがちな「広告の未来」はなるだけ「オレがつくる広告の未来」のビジョンでありたいと思うのです。だから、なるだけ自分のつくった広告をからめて広告を考えたいと思うんですね。でも、現実のしがらみから、自作の紹介には限界あるし、ときどき「オレがつくる」なしの「広告の未来」を語ってしまってるかもしれないけど。

 ブログについて語るのも同じで、いまこうして書いているのもブログだし、いま同じ時間に知らない誰かが書いている無数のブログもブログですよね。そこで、ブログとは、みたいな話は、面白いけど、なんだかむなしい。「たかがブログじゃないですか。」(参照)というエントリーを書きましたが、そのときの気分は、なんとなくこういうこと。もっと感情的になってたけど。

 ウェブやブログ界隈のメタ論議って、ブログを書いてる当事者にとって、すっごく面白いんだけど、なんか時々、ちょっとなあ、って思うことがありますね。ブログというメディアから結果的に知的なものとか、新しい考え方とかが出てくるのは、文化としてすごくうれしいこと、よろこばしいことではあるんですが、それが逆になって、ブログとは知的生成の場であるみたいなことになると、「んなもん、知らんがな。」という気分になります。

 LinuxというOS開発のリーダーであるリーナス・トーバルズが著書の題名で言ってますよね。Just for Funって。「それがぼくには楽しかったから」という絶妙な邦訳がついてましたが、なんかそういう感じでいきたいなあ、と思うんです。やっぱり、楽しくないとね。

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