僕らの名前を覚えてほしい、バブルを知らない大人たちさ。
私の世代を一言で言うなら、バブルを知らない世代と言えるのではないでしょうかね。同期で言えば、清原、桑田。あのなんとも変な時代である80年代の終わりを貧乏大学生で過ごし、それなりにポストモダンやら、逃走やら、戯れやら、空虚な言葉をもてあそび、将来、何の役にも立たない現代思想本を読みふけり、巷のサラリーマンがベルファーレで踊りまくって、六本木で散財しているのも知らずに、六畳のアパートで朝まで、世界とは何か、存在とは何か、と論議を重ね、なんとか卒業し社会に出たら、バブルは弾けて、もうほとんどなくなっていました。
私は、若いとき、絵本とかをつくってて、小さな賞などをもらって、その賞を運営していた人の奨めもあって、出版社に原稿を持って売り込みに行ったりしたことがあるんですね。バブルの終わり頃のことです。ある出版社の女性編集者にアポをとって、原稿を見せたんですね。すると、彼女、何原稿持ってきてんのよ、って感じで。
彼女から言われた言葉、今も忘れません。「今度から企画書を持ってきてね。あとね、小学生向けって言ってたけど、今はね、絵本は女子大学生が読むものなの。そこんとこ、間違えないでね。」間違えてるのは、おまえやろが、って今でこそ思うけど、その頃は、そんな時代だったんですね。
その出版社は、いい絵本をたくさん出していたんですが、バブル崩壊後、倒産してしまいました。
広告業界に入ってからも、景気が悪くなる一方で、おいしい思いなんてしたことありませんでした。百貨店の新聞広告を作ったりしてましたが、私がやってるときが流通広告が元気だった最後のほうで、今や三越と伊勢丹が経営統合してしまう時代なんですよね。
私などは、一般的にオールドメディアに属するマスコミ関係というくくりになるのでしょうが、苦しくなる一方ですね。でも、まあね、そんな「バブルを知らない僕ら」だから、バブルを知ってる幸せな時代を過ごしてきた先輩広告マンたちが考えたこともないようなことを考えてきたわけで、それなりの自負もあるわけなんですが。
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