CGMを軸にしてみた、広告のこれからと表現のこれから。
立て続けにCGMとかWeb2.0とか言われるものについて考え続けています。しかも、なんとなくちょっとそのテーマに絡め取られて、思考が止まらなくなってしまっています。そんなときは、書くに限るかな、ということでもうひとエントリー、CGM関連で。
ここ最近、『広告屋という立場でCGMについて真剣に考えてみました。』(参照)とか『ブログをやる人、ブログをやらない人。(1) (2) 』というエントリーを書いてみたり、2ちゃんねる管理人のひろゆきさんが出した新書『2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?』(参照)を読んだり、『次世代広告テクノロジー』(参照)という広告関連本を読んだり、めずらしくテーマを絞った読書などもしてみました。
『2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?』という新書は、ある種のWeb2.0批判本でもあるのですが、逆説的に、CGMとかWeb2.0とか言われる現象のリアルな実情が非常によくわかり、私にとっては興味深く読むことができました。たぶん、ひろゆきさんには、リアル/バーチャルという二項対立的な概念が頭の中にあって、その二項は別の世界であるほうがいいという思いもあるような気がします。そのバーチャルというのは、Web2.0的なものなのでしょう。それを突き詰めると「スーパーフラット」な場である「2ちゃんねる」になるのでしょうね。それは、すごく納得する部分でもあります。
実際、2ちゃんねるは「中野区のパチスロ店」や「PVが100以下の人のためのブログアクセスアップ」みたいなニッチな情報がカバーされているし、それは、今のところ、googleで検索してもなかなかたどり着けない情報だし、その中では、結構フラットにコミュニケーションがされている印象。まったりというのかな。
2ちゃんねるでは、すごく好きなスレッドがあって、それはパチスロ機種ジャンルの中の『ジャグラーのピエロだけど何か質問ある?』というもので、最初誰かが立てたあと、その本人は立ち逃げしちゃったときに、ある人が「ジャグラーのピエロ」に名乗りを上げたんですよね。それが結構キャラ的にいい感じで、人気が出たんです。「小生」という語り口と、ちょっぴりハードボイルドな感じで。ジャグラーというのは、ピエロがキャラクターの人気パチスロ台なんですが、あの人畜無害なビジュアルとのギャップがすごく楽しくて。今も続いてるかな。
『次世代広告テクノロジー』という本は、いろいろ示唆されるものがあるものの、私の興味の中心になっている「表現」の話はあまりなく、新しいメディア環境の中「広告」はいかにあるべきか論です。そう言う意味では、この本は、広告業界の最前線を走っている感があります。大ざっぱすぎる要約ですが、この本は、ターゲットセグメント論と効率論の最前線の本です。いま広告業界の話題の中心は、例えば「BURGER KING」の「サブサービエントチキン」キャンペーンのようなBuzz生成型なので、その手法に興味がある広告マンは必読です、なんてことも言えるのでしょうね。
私は、というと、それも面白いけど、その劣化輸入である「続きはWebで」みたいな広告が、どれだけIT環境が進化しても、一生活者としては、一日24時間しかないわけで、しんどいなあと思うし、生活者もそれほど能動的に広告につきあってくれるとも思っていません。その辺は、これからもあまり変わらないのではないかなあ、なんて思っていますが、楽観的(悲観的?)すぎるでしょうか。
私は、そんな環境の中でリアルに思える「言葉」って何だろう、みたいなことで、それは別にテレビCMだって、新聞広告だって、雑誌広告だって、ウェブバナーだって、パンフレットだって何でもいいんですよね。でも、その中にあるメッセージは、変わらざるえないんだろうな、時代が変わってるんやしなあ、なんていうぼやきなんですよね。で、数少ないその意識を持って取り組んだ制作物の中で、いくつかのものは、いまの時代でもわりと届いたんじゃないかなっていう少しの自負心もあり、そのへんの愚痴とも希望とも言えるような、ぼんやりとした闇の中でいろいろ考えています。
ひとつ答みたいなものが、今の私が出せるとすれば、人間というのはそないに変わるもんやおまへんで、ということで、今までだと、人間を描くのがマスで、そのほかの例えば専門性のある広告は、モノを訴求するみたいな区分けが「表現」にはあったような気がするけど、その専門性のある集団も、ミクロに見ていけば、そこにはやっぱり人間がいてね、そこにメッセージすればやはり言葉は届くなあ、と言うこと。でも、これもメディアをからめて言えば、ターゲットセグメント論の中での表現論かもね。
と考えていくと、私は「広告」というビジネスを面白くしたいというより、やっぱり「広告」という機能の中の「表現」や「言葉」を面白くしたい、という欲望が強いんだよなあ、と思ってる部分があって、そういう人はきっとたくさんいるんだろうけど、その「表現」は広告屋の独占物ではなくなってきているのははっきりしてきた今、その独占みたいなものに安住もしてられんやろな、どうせ近い将来、壊れるんだしさ、なんとかしないとね、そのへん、どう考えますか、みたいな感じでブログにうだうだと書いてるんでしょうね。
| 固定リンク
「広告の話」カテゴリの記事
- 2年前に流れていたテレビCMから「かんぽ生命不正販売」を考える(2019.09.11)
- 映画と広告と文在寅政権(2019.09.06)
- 本を書きました。『超広告批評 広告がこれからも生き延びるために』池本孝慈(財界展望新社刊・9月1日発売)(2019.08.21)
- 『世界一のクリスマスツリーPROJECT』について僕が考えていたこと(2018.01.04)
- 東京糸井重里事務所を退職しました(2012.01.26)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント