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2007年9月 6日 (木)

消費者金融のマス広告は是か非か。

 少しデリケートな問題だと思いますが、書いてみます。バブル崩壊後の1995年に、テレビCMのゴールデンタイム放映が解禁され、消費者金融のテレビCMは、一気に人気テレビCMに躍り出ました。しかしながら、様々な問題のため、現在では、朝の時間帯とゴールデンタイムは放送できなくなって、深夜枠も本数が制限されるようになってきました。また、ビルの大型看板などの自主規制が検討され、業界自らが「ストップ!借りすぎ」キャンペーンを実施するなど、以前のような宣伝合戦は鳴りを潜めてきているようです。大方の流れは、消費者金融のマス広告を制限していく方向になっているのは事実だと言えそうです。

 しかしながら、いわゆる銀行系のローンなど、新しい消費者金融サービスの進出で、結果としては、世の中のノイズ量ではあまり変わらないような気がします。

 私自身は、消費者金融は世の中に必要とされているものだとは思っています。警察が必要で、弁護士が必要で、パチンコ屋さんが必要で、キャバクラが必要なように、消費者金融は必要。困ったことは、あってほしくないけれど、やはり現実にある。だから、警察も弁護士も必要。パチンコだって、キャバクラだって、息抜きには必要でしょう。でも、それは、社会の表舞台で、積極的な利用を促進するような種類の必要ではないと思うのですね。

 消費者金融のマス広告は是か非か、というタイトルをつけましましたが、個人的な感情で言えば非です。しかし、現実に照らして考えた場合、今、消費者金融のテレビCMは流れている。現実として、消費者金融の仕事は、私の仕事になる可能性もある。その中で、表現屋としてどう考えていけばいいのだろうか、ということを時々考えます。

 私見ですが、かつて流れていた武富士ダンサーズのテレビCM。あれは、結局、何も言っていない広告ではあるけれど、私は、マス媒体を使って消費者金融がメッセージをする場合、比較的望ましい形であると私は思っています。あくまでCM表現の話であって、企業活動の内実の話ではありませんが。

 一方で、広告業界でも評価された、「どうする?アイフル」の犬のチワワのテレビCMは、私にとっては、どうしても抵抗感があるのです。あの広告のメッセージは、お金がないけど犬を飼いたい、どうしよう、そんなときはアイフルで、というメッセージです。いいのかな、と思うんですね。お金に困っているとき、犬を買うことは我慢すべき事柄ではないのか、というのが社会というものではないかな、と思うんですね。CMとしては、見事でたいへん面白いけど。

 それと、現在進行形でいえば、駅などで展開している、ディックの「勇気だけでは足りないから。」という広告。広告の仕組みとしては、勇気だけでは足りないから、時間よ味方になってくれ、だったりするストーリーが展開され、そこにディックというロゴがあるという、直接的なメッセージではなく暗示によるメッセージ発信の方法なのですが、それは、広告のメッセージとしては、勇気だけでは足りない、お金のバックアップが必要だ、借りてでもそのバックアップはしたほうがいい、ということですよね。アイフルも同じですが、消費者金融という企業から見た場合、犬がほしい、勇気だけでは足りない、といった、語弊はありますが、切実ではない理由で、気軽にお金を借りてもらうことが事業の拡大に繋がります。でも、それはどうしても、私にとっては抵抗があるのですね。

 広告のセオリーとしては、「お金を借りる」という、金融という商品性の本質を描ききるのが本道です。私も後輩には「商品から逃げるな」とよく言うのですが、その意味では、今流れている多くのCM「お金にもマナーを。」「人生はバランスが大切。」「ご利用は計画的に。」などは、広告としては本道ではありません。その観点から言えば、社会的な観点や倫理的な観点を除外して、純粋に広告の表現技術として見た場合、アイフル、ディックの広告は、絶対的に正しいのです。

 でも、そんなメッセージを社会に向かって発信することはいいのだろうか、と思うのですね。確かに、そのメッセージは、エンターテイメントという衣に包まれているし、人間の弱さがしっかり描けています。見た印象に不快さはありません。消費者金融は、実質、資金のバックボーンは銀行だったりしますし、金利という面が違うだけで、銀行でお金を借りるのと変わらない行為なのかもしれませんし、業界としては、そうした地位向上を目標にもしているのだろうと思います。

 角度を少し変えて考えてみると、例えば銀行がお金を簡単に貸してくれるようになったとして、銀行が「気軽にお金を借りればいいじゃない」的なメッセージをテレビCMで発したとすれば、やはり違和感はあるんですね。私にとっては。ひとつは、社会的な影響。もうひとつは、その業界の矜持の問題としてです。それは、業界の矜持として、禁じ手ではないのかな、と思うのですね。

 私の個人的心情としては、こうした考え方を持っていますが、現実に、その仕事をやらざる得ない場合、私はどうするのだろうと考えるのです。たぶん、「マネーにもマナーを。」的なコミュニケーションであれば、自分を納得させることができる。しかし、本質を描いていく、つまり、直接的にコミュニケーションの力で、敷居を下げて顧客拡大をせざる得ないとき、クリエーターとして、断れるかどうか。かつて、中島らもさんが、自分の信条にかかわらず依頼にはすべて応えるのがプロのコピーライターであると言っていましたが、それははたして正しいのだろうかと考えます。

 別に、自民党の広告と、共産党の広告は、ひとりのクリエーターは両立できると思います。どちらの言い分も、利点も見つけられるのが、プロのクリエーターだと思うから。そのレベルでさえ、プロである限り、個人の信条は超えられると思います。どちらもできるのが、プロだと思うのですね。しかし、やはり悩ましいのが、アイフルやディックのケースです。ああいう広告を見ると、かつての問題作を思い出すのですね。自衛隊の隊員募集の広告です。

 戦争を知らない僕がいま、ファントムに乗る。

 うまいコピーです。私が若かったら、もしかするとファントムに乗りたいと思うかもしれません。書き手の理屈としては、自衛のために、という言葉が隠されているのでしょうが、それよりも何よりも、その見事なレトリックのパワーは、戦争への憧れを刺激するのです。隊員募集という目的は、きちんと果たすでしょう。しかし、それでいいのだろうか。私には、いまだ明確な答が出せないのです。

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コメント

ディックが途中からディップになってます。ディップも実際にある会社だけに訂正されたほうがよろしいかと。

投稿: ka | 2007年9月 6日 (木) 14:29

ご指摘ありがとうございました。修正しました。

投稿: mb101bold | 2007年9月 6日 (木) 15:08

難しいテーマやね。コピーライターに
とって永遠の課題。自分に今、消費者金融の
仕事がきたら、断れへんやろな〜。

ウドの出てるCMは,単に映像としていいと思う。
前の竹山バージョンは、もっと良かった。でも、
消費者金融の名前が出た瞬間、なんかイヤーな
気分になるな〜。

投稿: BRUCE from OSAKA | 2007年9月 6日 (木) 16:39

ども。本当に難しいです。永遠の課題ですね。特に会社員の場合。とくにキックオフから時間がたって、場の空気が変わってきたとき、どう判断していったらいいのか、とか。
あのCMは、いいですよね。なんかちょっと泣きそうになるいいストーリーです。私としては、ああいうのは、CMができる現状ではいいんじゃないかと思うんですよね。急な入院とかがテーマになってたり、誠実だと思います。

投稿: mb101bold | 2007年9月 7日 (金) 12:03

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