なぜ日本人は『カントリーロード』を聴くと切なくなるのか。(2)
ジョンデンバーの『TAKE ME HOME, COUNTRY ROAD』とジブリ映画の主題歌『カントリーロード』の歌詞の差を論じたエントリー(参照)を書きましたが、いまテレビCMで新しいヒップホップ調の『カントリーロード』が流れてますね。「♪Country Road, way to home. 愛する場所に連れてっておくれ」とい歌詞の曲。この曲は、終わりまで聴いたわけではないですが、歌詞はおろか、メロディも全く違います。でも、この歌詞は、原曲に近いメッセージがあります。やはり世代の違いなのでしょうか。それにしても、日本人は、どうも『TAKE ME HOME, COUNTRY ROAD』をそのままやりやがらない気質がありますね。
You Tubeで検索してみると、いろいろな『カントリーロード』があります。もちろん、本家ジョンデンバーのものもあり、小野リサさんがボサノババージョンで歌っているものもあります。これも、寂しげな感じ。小野リサさんは、『ムーンライトセレナーデ』もボサノバで歌っています。平熱な感じが、かっこいいです。
故郷に帰るときの気分を歌った曲は、たくさんありますが、ひとつあまり有名な曲ではありませんが、ぜひご紹介したい曲があります。オフコースの『ロンド』です。この曲はシングルのA面なのですが、あまりヒットしませんでした。すごくいい曲ですが、ベストを含めてアルバム未収録で、鈴木康博さん曰く「オフコースらしくないという理由で忘れ去られた曲」。オフコースが『さよなら』でブレイクする前です。
ロンド
作詞:鈴木康博
忙しさに 身をまかせて
母の日さえ とおに忘れてた
幼い頃の私を 懐かしむ気持ちがわかる
あなたの人生には いつも私がいるのに
新しい年を迎えるたび 離れていく
母はいつまでも 子供に追いつけない
日差しが 部屋の奥まで
差し込む頃までに 会えるだろうか
いまこうして 生きてることさえ
あなたの望んだ 道じゃない
ようやく 人の世が
見える 年頃になり
いまもう立ち止まっていては
ひとときが惜しい
あなたの人生は いつも待つことばかり
それでも慰めの言葉は いらないだろう
母はいつまでも 子供に追いつけない
私にとっては、身につまされるというか、言葉のひとつひとつが心に沁みてくるのですね。私は、大阪の某有名私立進学校に進んで、そこで落ちこぼれた口で、大学は一浪してなんとか辻褄をつけたものの、「いまこうして生きてることさえ あなたの望んだ道じゃない」というのは、すごくわかります。
ここでも、やはり故郷へ帰ることの複雑な気持ちが表現されています。自分の道が、故郷=母が望んだ道ではない、と少しばかりの後ろめたさを持ちつつ、だけど、自分の選んだ道が、すでに母にはわからない価値、つまり「立ち止まっていては ひとときが惜しい」価値を持っていて、そして、鈴木康博さんは「母はいつまでも 子供に追いつけない」と結論づけるのですね。
これは、自立というテーマですね。自立という概念と、個人主義、近代的自我は強く結びついているように私は思います。原曲の『TAKE ME HOME, COUNTRY ROAD』の主人公も、自立はしているけれど、故郷という自分の育ってきた場所とのバランスは個の中でうまく取れています。しかし、『ロンド』では、そのバランスがうまくとれていない、というか、まったく別の価値を持つものとして、個の中では激しい矛盾を起こすものとして捉えられています。
いまテレビCMで流れている新しい『カントリーロード』は、そのバランスがうまく取れているような気がします。ときどき帰って、元気になってまた自分の世界に戻ってくる、みたいなことがうまくできる人として描かれているような気がするのですね。やはり、故郷というものと自分の世界が、矛盾してしまうという独特の感覚は、世代的なもので、そこにはどこかで断絶があるのでしょうか。
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