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2007年9月25日 (火)

自己表現とブログ。

 広告屋さんという職業は、ひとのために書く職業です。企業になりかわって書くわけです。普通に真っ当に考えれば、そこに書き手の自我が介在する余地はありません。広告表現を極限まで持っていけば、それは企業と書き手はほぼ同一化することになります。

 少し前、東京コピーライターズクラブの年鑑のテーマに「コピーは私だ。」というものがありました。コピーライターが時代の花形職業だった頃のことです。その頃には、今のブログと同じように、コピーは、コピーライターという一個人の思いがたくさんあふれていました。仲畑さん、糸井さんといったスターコピーライターの思いが、商品を超えてそこに確かにありました。

 私はそうしたフリー全盛時代を少し過ぎ、広告は広告代理店が作るものだと言われ始めた頃に、この業界に入りました。そういう意味では、私の世代は迷える世代であると思います。そして、時が経ち、広告システムというブラックボックスが可視化される時代に。広告は文化である、と以前のようには牧歌的には語れない、身も蓋もない時代になりました。そういう時代に、私は広告の仕事をしているという自覚を持っています。

 ある時期から、従来の方法では、もはやリアルな広告をつくれないかもしれないと模索を始めました。それは、自分のしんどい状況とも符合しているので、状況次第でこんな面倒なことを考えずに広告という徒花文化を謳歌していたかもしれないという意味において、一概に時代の真実を見極めて試行したとは言えないところはありますが、でも、ある意味では時代に突き動かされた試行だったような気がします。

 私が思ったのは、出来る限り自我を消していきたいということでした。企業活動としての、ビジネスとしての広告活動そのものが、リアルに面白いという作り方をしようということです。これまでのやり方とは逆のやり方で広告の力を蘇らせる方法です。もちろん、これは私の独創ではなく、世界でも、日本でも、そのような傾向を持った広告が、最前線の広告として生まれています。私は、単にその流れの中にいるだけだとも言えると思います。

 でも誤解しないでほしいのは、私が言っていることは、理論でがちがちの広告をつくるということではないことです。そこに、クリエーターの表現が介在する余地はありすぎるほどあるのです。そして、私という個の経験や感性も含めて。そうなると何が起こるか。「うれしくもないのにうれしいCMなんか作れない。」という言葉を残してこの世を去っていったクリエーターと同じことが起こるのです。そのクリエーターは広告表現の本来の姿に忠実だったのだと思います。彼は「コピーは私だ。」などと思ったことはないはずです。幸い、私はそれほど才能にも恵まれていませんし、繊細でもないので、そうはなりませんが、それでも、程度は違えど同じような自己矛盾が自分の中に生成されます。

 そして、いつの間にか、自分のことは書けない自分ができあがるのです。他人の恋文はうまく書けても、自分の恋文は書けない。他人の身なりや話し口には批評的に分析できるけど、自分を客観的に見ることができない。自分の蓄積した経験や感性のすべてが、他人のために表現する単なるリソースにすぎないような感覚。村上春樹の小説っぽい世界ですが、現実はそんなにかっこいいものではなく、単に自分がからっぽな感じ。私はつまらないやつという自己否定感です。

 そんなとき、何の因果か、ブログを書くようになりました。最初は、正直言えば、エッセイというかそういうたぐいのものが私に書けるのかという恐怖がありました。エッセイみたいなもの、それはつまり自己表現ですね。ブログは多かれ少なかれ、自己表現だと思います。そういう表現に入っていけるのか、という恐怖でした。普通にみんながやっている自己表現としてのブログが私にとっては、もしかするとできないかもしれないというものだったのです。良エントリが書けるかというレベルじゃなくて。この感覚、もしかするとコピーライターや、アートディレクター、クリエイティブディレクターの方の中には分かる人がいるのかもしれません。

 今だにそういう感覚に襲われることがありますが、最初の頃より自然に書けるようになったかなと思います。いまのところ、広告がつくれなくなるという逆作用はないようです。(まあそうなれば食っていけないから禁ブログにしますが。)ということは、単に慣れの問題なのか。だとすると、なんとなくつまらない結論になりそうですが、自己表現があふれる世の中で、逆説的におおらかで自然な自己表現が難しくなっているという現象は、もしかすると私の状況固有の問題ではない気もしたので、未消化のまま書き連ねました。それは、浜崎あゆみやミスターチルドレンの、あの実存主義的な歌詞に感じる、苦し気な自己表現に感じる現代性でもあるのですが、それはまた別の機会に。では。

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コメント

この感覚、よくわかります。

投稿: | 2007年9月29日 (土) 01:52

どうも。そうですか。なぜか、少しほっとしました。

投稿: mb101bold | 2007年9月29日 (土) 04:53

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