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2007年9月29日 (土)

吉本隆明さんの「対幻想」だけは、私には理解できないのです。

 まあ、私なんかは、どう弁明をしても吉本隆明フォロアとか吉本信者に類型される人間だと思うんですよね。そう言われるとそうじゃないと言いたくなるのも、吉本信者の特徴ですので、この際、吉本信者でいいです、ということにしておきます。というか、今や、若い人にとっては、そんなの関係ねえ、という感じかもしれませんね。吉本隆明、誰ですか、みたいなね。吉本隆明さんという人は、吉本ばななのパパで、戦後最大の思想家と言われたりしていますが、そう言われると「よせやぃ。」って言ってしまうような、日本を代表する、すごくいい感じのおじいさんです。

 吉本信者の中では、私は年齢的にはかなり若い世代に属しますが、時代を遡る形で吉本隆明さんの著作を自分なりに読み込んできました。吉本隆明さんの三大著作と言えば「共同幻想論」「心的現象論序説」「言葉にとって美とは何か」ですね。その三作は、難解で、何度読んでも分からない部分があるものの、まあ書いてあることはなんとなく概念として理解はできますし、なるほどなと納得できるのです。

 たとえば「心的現象論序説」だと原生的疎外と純粋疎外。「言語にとって美とは何か」だと指示表出と自己表出。そういう概念を持ち込むことで、世界が違う相として現れてくるのは、なんとなくですが理解できるんですね。説明しろよ、と言われると、うっと黙ってしまいますが。

 そして、この本が出版された当時、「吉本の著作の中で最も売れて最も言及されたけれど、実際は最も読まれていない著作」と言わしめた問題作「共同幻想論」。彼は、遠野物語等を紐解きながら、人間が作り出す幻想領域(私は、これを般若心経の言うところの色即是空、空即是色の空みたいなもんだと理解してます)を、個的幻想、対幻想、共同幻想の3つの領域に分けるんですね。

 個的幻想は、個人の幻想で、文学とか芸術に鋭角的に現れ、対幻想は、いわゆる恋人同士とか夫婦とかで、家族とか性に現れます。共同幻想は、これはもう、最も鋭角的に現れるのが国家ですね。角川文庫の表紙にも、「国家とは幻想である」みたいな言葉がセンセーショナルにデザインされていましたよね。この本が読まれた主たる要因は、この「国家とは幻想である」というフレーズと、その国家に対峙するものを、性的な関係性を持つ幻想領域である「対幻想」(ついげんそうと読みます)と設定したことにあると思います。有名な言葉で言えば、「共同幻想は対幻想と逆立する」という言葉ですね。めちゃめちゃ格好いいですよね。

 でも、私は、どうしても「対幻想」が理解できないのです。もちろん、対幻想という概念は理解できますよ。「共同幻想は対幻想と逆立する」と言うあの感じがどうにもわからないのです。むしろ、私には「共同幻想とは対幻想を、個人と国家という装置の二項関係に転換させたものである」という感じに思えるのですね。もう少し格好良く言えば「共同幻想は対幻想を原初として生成される」みたな感じでしょうか。こういう疑問を持つ人、学者さんとか評論家さんとかで誰かいないかな、と思って吉本批判本を読みあさってはみたものの、ほとんどないところを見ると、やはり私が吉本の著作を読み込めていないだけなのかも。

 私としては、三項関係が、共同幻想と対峙し逆立するものとしてしっくり来るのです。共同幻想としての国家が持つあの甘いロマンティズムと、恋愛の甘さと心地よさはとても似ているような気がするのです。だから逆立すると言うとすれば、それは似たもの同士というか。

 例えば、第三項排除という概念がありますよね。二項関係の安定のために、絶えず第三項を見つけだし、徹底的に第三項を排除するという暴力論の概念。要するに、三項関係は成り立ちにくいのです。けれども、だからこそ、奇跡として立ち現れる緊張感のある三項関係、あるいは二項関係の収斂へと向かって、吉本隆明さんの言葉を借りると「人生の最大の事件」であるところのあの三角関係こそ、共同幻想に逆立するものとして設定されるべきものじゃないかな、と思うんですね。それをどういう幻想と呼べばいいのか分かりませんし(三角幻想じゃネーミングとして弱いですしね)、ちょっと暗い不幸な考え方だけど。私は、そういう、三角関係の幸福な奇跡という視点でビル・エバンス論を展開しています。うまくいっていませんが。

 この疑問を解決するためには、もっといろいろなことを知らなければいけないのですが、とりあえず、えいやって書いてしまいました。一年後、このエントリを自分で読み直して、なるほどね、でもお前、なにも分かってないなと思えるのかもしれませんが、自分の中に、第15次吉本隆明ブームが到来しているので。では。

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コメント

対幻想を同性愛の問題にまで拡大すると理解が進む気がしますが・・・

投稿: | 2013年5月 1日 (水) 22:53

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