「死」のイメージがどこかに隠されていると、広告はヒットする。
まあ、これはたわごとだと思ってください。だから何、という話なので。
ヒット広告の中には、ある種の共通性があって、そのひとつは「死」のイメージだったりするのよう気がします。前回のエントリで取り上げた東京ガスのCMにも、それがありますよね。歴史によって死を運命付けられた信長が、ガスパッチョな楽しい現代の生活と別れを告げるときに「達者でな」と言うんですよね。私、あのCMを見て、ゾクッとしました。
フロイドの精神分析などを借りると、一応、エロス/タナトスみたいな説明はつけられると思いますけど、とりわけに日本の場合は、その死のイメージを想起させる広告が多いような気がするんですね。これは、欧米に比べ、日本が感覚的なコミュニケーションが好まれるからのような気がします。欧米は、かなり知的な説得が好まれるような気がします。これは、欧米のCMが長尺が多く、日本は30および15秒の短尺が中心であることにも起因していそうですが、それだけではない国民性による傾向があるような気がします。欧米の広告代理店のクリエイティブディレクターは、世界各国で活躍して成功を収めますが、なぜか、日本、そして韓国だけは成功できないそうです。
ダイキンエアコン「うるうとさらら」のCMはご存知ですよね。キャラクターの「ぴちょんくん」は大人気ですね。あのキャラクターが人気になった理由は、あの愛くるしいビジュアルだけではないような気がします。デビューのときのCMで、コマソンが使われていました。その中の歌詞で「♪もとめられて~捨てられて~ああ、どうにでもして~」とあったんですが、そこに死のイメージが見え隠れするのです。ぴちょんくんがエアコンに吸い込まれて消えていく映像が使われていました。明るく楽しい音楽に、無常にも「いらないもの」とされてしまうぴちょんくん。あのCMはまず子供が反応するような気がします。死のイメージにもっとも敏感に反応するのは子供だと思います。
CMではないけれど、元CMプランナーの佐藤雅彦さんがつくった「だんご3兄弟」もそうです。「♪串にささって団子!」とか「こんど生まれてくるときは~」とか「♪うっかりねすごし朝が来てかたくなりました」とかね。こっちは、ものすごくわかりやすい死のイメージです。最初、NHKか何かで聞いたとき、うわっ、すごく残酷な歌と思いました(だから駄目って話ではなくてね)。たぶん、そういう死のイメージが表現されているからこそ、子供が子供だましだと感じずに心の底からあの歌を愛せるんだと思うんですよね。
その「だんご3兄弟」とよく比較される歌。子門真人さんが歌った「およげ!たいやきくん」という歌をご存知ですか。私の世代だと、みんな知っている大ヒット曲です。この歌にも、強烈に死のイメージがあります。あの曲の結末は、「♪やっぱりぼくはタイヤキさ すこしこげあるタイヤキさ おじさんつばをのみこんで ぼくをうまそにたべたのさ」なんですよね。私は、子供ながらに、なんともいえない複雑な気持ちになったりしました。だから怖い、というのではなく、なんと言えばいいのかわかりませんが、楽しいんだけれど、心に得体の知れない何かが残るというのか。
私が日本のテレビCMで最も好きな作品のひとつ「たかの友梨ビューティークリニック」の「ココロのうさぎ」。篠原ともえがうさぎの妖精に扮して女の子を「ホントはキレイなんだから」と励ます広告です。あのうさぎの妖精も、女の子がきれいになることで消えてしまうことを運命付けられた存在ですよね。あのCMシリーズの最終話も、うさぎは消えてしまいました。もし、見る機会があれば一度ご覧になってください。いい広告だと思います。
もちろん死のイメージが内包されていなければ広告はヒットしないか、というとそうでもないとは思うのですが、ある種のヒット作には死のイメージは確実に内包されているような気がします。私は、このようなことを考えるとき、昔体験した出来事を思い出すのですね。それは、アニメ映画「銀河鉄道の夜」を見に行ったときのこと。あの映画は非常に難解ですよね。大人が見ると、もしかすると混乱してしまうんじゃないかと思うほど。アニメだから、映画館は子供でいっぱいなんですよね。最初は、けっこうおしゃべりをしていた子供たちが、映画が進むにしたがって、館内が静かになるんですよね。そして、ちらほら子供たちの泣く声が。あの難解な映画を、子供たちはしっかりと受け止めているんです。死のイメージが隠されているとヒットする。その鍵は、子供の持つ感受性に関係があるのかもしれないな、と私は思っています。
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コメント
学生時代通っていた広告講座で教えてもらっていたCMプランナーの方で、任天堂ピクミンの曲を作られた方がいました。
引っこ抜かれて、あなただけについて行く
今日も運ぶ、戦う、増える、そして食べられる♪
CM見てた時も感じたのでが、この歌詞も非常に悲しさを含んだ部分が多いな~とブログを読んで勝手に思い出してしまいました。
投稿: マサキ | 2007年10月22日 (月) 10:40
マサキさん、どうもです。
そうそう。ピクミン、ピクミン。あの歌もすごく気になりましたね。あの曲は広告屋さんの作なんですね。なるほどなあ、と思いました。
投稿: mb101bold | 2007年10月22日 (月) 12:23
特に驚くような内容ではないですよね。
最近こそハッピーエンド至上主義などと吹聴する人もいますが
元々日本人は、無常感というか、万事移ろい行き悲劇に終わってしまったものへの感傷が大好きな文化を持っています。
それこそ、古事記にすら死の臭いのするエピソードのオンパレードです。
有名な所では、自分を疎んずる帝の要求に健気に答えつつ、最後には敗北し非業の死を遂げるヤマトタケルのくだりなどがあります。
源義経しかり、新撰組しかり、忠臣蔵もまたしかり(これは敗北とは少し違いますが)
いずれ敗北し、死を迎える英雄譚は、民族的に非常に愛されます。滅びの美学とでも言いましょうか。
TVで「懐かしのアニメ」と言えば定番の「フランダースの犬」のラストシーン。
日本人は殊更これが好きなようです。が、以前アメリカで映像化された時は「ハッピーエンド」に作り変えたとか。
曰く「アメリカでは、そうしないと商売にならない」と(取り敢えず、原作を書いたイギリス人のメンタリティは置いておきます)。
ギリギリで何もかも間に合わなかった悲劇、これを「安っぽいお涙頂戴」と言うならば
間一髪間に合って、何もかも上手く行ってしまうラストも「安っぽいご都合主義的ハッピーエンド」とも言えます。
冒頭で述べたように、最近少しだけ変わってきたような気もしますが
どちらかと言えば、日本人は民族的に前者の「お涙頂戴」の方を好む文化を持っていると思います。
投稿: いづる | 2007年10月24日 (水) 18:19
いづるさま。コメントありがとうございました。
まあ、おおよそそんな感じもあるかもしれませんが、「死をテーマ」にすることと「死をイメージ」させるとこは、ちょっと違うかなあという気は私はしています。
もちろん、日本人は「死≒敗北をテーマ」にしたものも好きですけどね。ラストサムライなんかは、それを外部の視点からうまく描いていましたね。
投稿: mb101bold | 2007年10月25日 (木) 17:22
このエントリ好きです。
企業とか社会とかは、「死」とか「セックス」が表に見えることを嫌う傾向が強いので、広告でそういう匂いを感じさせるものを作れるというのは、表現者や説得者が優秀だということなんでしょう。あるいは選択者が。
逆に「答えが分かったところから、優れた問いを紡ぎ出す」というのは、なかなか難しいことですね。
「ココロのうさぎ」私も好きです。最終回がどうだったか覚えてませんが。
投稿: denkihanabi | 2008年7月29日 (火) 03:01
たしかに「死」とか「セックス」とかが匂う表現は、通すのが難しいですね。こちらが説明しなくても、感じ取れますから、ケチがつくことが多いです。
>答えが分かったところから、優れた問いを紡ぎ出す
これも確かに、です。みんな答えをほしがっているのではなく、優れた問いをほしがっているような気がします。その問いのためには、逆説的ですが優れた答えを用意する必要がある、みたいな。
投稿: mb101bold | 2008年7月29日 (火) 10:17
はじめてコメントさせていただきます。
僕は最近話題になったオトナグリコの第一弾CMを連想しました。
大人になった磯野家を豪華キャストで演じた訳ですが、最後は「それでは法事をはじめます」というお坊さんの言葉で締めくくられていました。
そのとき「さらっと残酷だな」という印象を受けました。
単純に祖先の供養とも考えられるけど、登場しいてないだけに波平さんやふねさんの法事なのかなと思いました。
メインキャラクターの死を連想させるだけにものすごい残酷さを感じました。
さらに、「タマ(3代目)」というのも、シュールな面白さがあると同時になかなか残酷でした。
投稿: タカシナカムラ | 2008年12月12日 (金) 02:09
タカシナカムラさん、はじめまして。
オトナグリコもそういう要素はあるかもですね。ちょっと今風ですが。でも、個人的には、少しばかり、こちらは制作者の意図的なものを感じるかな。ま、キャストも企画も優れたCMではありますが。
今後ともよろしくです。
投稿: mb101bold | 2008年12月12日 (金) 08:09
はじめましてこんにちは。
広告業界に対して漠然と華やかなイメージを抱くだけだったのが、こちらのブログと出会ってからは、記事を読むたびに新たな世界の発見があり、目から鱗が落ちる思いで一杯です。
文学を専攻していた学生時代は、生と死や男女といった果てないテーマを、ゆらゆらと考えては友人と議論するのが専らの楽しみでした。
貧しい語彙が憎くなるくらい、言葉にするのが難しくもどかしいですが、一生楽しめる議題として引き続き研究していきたいです。
今回の話題とは少しそれますが、TVCMではお酒の二階堂が素敵で大好きです。何度見てもついつい見入ってしまいます。
私の個人ブログに、今回こちらの記事をトラックバックをさせて頂いたことをご報告します。「死」のイメージの考察を参考にさせて頂きました。ありがとうございました。
投稿: ハライタ@ | 2009年2月22日 (日) 02:03
ハライタ@さん、はじめまして。
いろいろな人の普段着の考えがわかるのがブログのいいことろですよね。
>私の個人ブログに、今回こちらの記事をトラックバックをさせて頂いたことをご報告します。
管理画面を見てみましたが、トラックバックは受領していないようです。送信ミスとか、こちら側の受信ミスかもしれません。もしトラバを送信したのに、ということでしたら、もう一度送ってくださいませ。もし引用リンクや文章の引用でしたら、これからもご自由にどうぞ。
今後ともよろしくお願いします。
投稿: mb101bold | 2009年2月22日 (日) 02:34
はじめまして。大変面白く読ませていただきました。
そういえば、任天堂から出されたゲーム「ピクミン」の歌詞も、「引っこ抜かれて、戦って、食べられて、でも私達あなたに従い尽くします」という歌詞でした。
日本では「徒然草」のように無常感のあるものが人気になるのでしょうか。
投稿: オリマー | 2009年9月28日 (月) 23:16
ピクミンの歌は死を想起させますね。きっと、死を直接描くのではなく、想起させるっていうのがいいんでしょうね。子供は、大人のように死を実体化していないから、心がざわっとするんでしょうね。でも、それは大人も同じかな。
投稿: mb101bold | 2009年9月28日 (月) 23:47