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2007年10月20日 (土)

すごいテレビCMを見ました。

 東京ガスの「ガスパッチョ」のテレビCMシリーズで、今回は織田信長篇。いつものパターンで、歴史上の人物である織田信長が現代の部屋にやってくるという設定。
 現代の「ガスパッチョ」な生活を思い切り楽しんだ織田信長が「そろそろ本能寺に戻るよ」と。すると部屋の住民である若者が「それは、戻らないほうがよろしいかと‥」で、織田信長が微笑んで「じゃあな。これやるよ」と印籠を渡す。その印籠には若者と一緒に撮ったプリクラが貼ってある。若者はプリクラが貼られた印籠を手にして「信長さん‥」と信長を見送る。そういうストーリー。
 CMを見た後、ちょっと泣きそうになって、そのあと、同業の端くれとして激しく嫉妬。素晴らしい。あんな広告をつくれたら、と思う。ここんとこ広告の未来に悲観的になっていたけど、これで少し吹き飛んだ。時代は動く。きっとよい方向に。過去に戻って運命通り死んでいく信長に恥じないよう、がんばっていかないと。

「ピピッとコンロ・信長本能寺篇」2007y10m21d_170948550

 

 

 

 
関連エントリ
『「死」のイメージがどこかに隠されていると、広告はヒットする。』

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コメント

いつも楽しく拝見しています。
ぼくもたまたま今日、このCMに目が留まり印象に残りました。

その割にもう忘れていますが、そして忘れているくせに言うのも何ですが、信長が去り際に残した言葉が特に響きました。

フィクションの世界を見ているつもりが、突然、事実に接地したようで、それでドキっとしたのでしょうか。

投稿: 喜山 | 2007年10月20日 (土) 18:24

喜山さま、はじめまして。
そうですね。あのシリーズ、楽しくちょっとふざけたトーンアンドマナーが素敵なんですが、そのトーンアンドマナーのままで、ああいうストーリーだったので、より一層、フィクションから事実への突然の接地の驚きが際だっていましたね。
話は変わりますが、ブログを拝見させていただきました。与論島の話もマーケティングの話しも、すごく興味深く読ませていただきました。これからも楽しみにしております。今後ともよろしくお願いします。

投稿: mb101bold | 2007年10月21日 (日) 03:06

信長が残した言葉は「達者でな」でしたね。

投稿: mb101bold | 2007年10月21日 (日) 17:07

はい、「達者でな」、そうでした。ありがとうございます。
ぼくもあの後、CMに再び出会い、なんでこんな大事な台詞、忘れるんだろうと我ながらあきれました。

死を喚起させるCMは、CMの目的からすれば逸脱があって、それが返って見る者をはっとさせるところがあるかもしれないですね。

投稿: 喜山 | 2007年10月22日 (月) 21:39

広告は、目的から少し逸脱してるほうが届きやすいのかもしれませんね。ただ、逸脱を目的にしちゃうと、これはまた広告としてはリアルな力は持てないし。

実制作の過程では、広告目的原理主義でつくって、それによって生まれた逸脱した魅力の部分はその魅力を信じてそのまま投げ出す、みたいなのがいいのかな、と考えています。いろいろ難しいですが。

投稿: mb101bold | 2007年10月23日 (火) 16:08

こんなに感動したCMは、“藤岡弘、”さんの「せがた三四郎 真剣遊戯」以来です。

投稿: かずきよ | 2008年7月21日 (月) 16:41

かずきよさん、はじめまして。せがた三四郎、なつかしいですね。セガサターン。あの頃が、広告の分岐点だったようです。良くも悪くも。

投稿: mb101bold | 2008年7月21日 (月) 20:22

youtubeで見てみましたけど
ぜーんぜんどこがいいのかわかりません。

投稿: | 2009年10月14日 (水) 22:33

ま、そういう方もいるかとは思います。それはそれでいいのではないでしょうか。

投稿: mb101bold | 2009年10月15日 (木) 00:24

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