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2007年10月31日 (水)

「たかがブログ」と書かれたコインの裏側には、「されどブログ」という言葉が書いてありました。

 かつて私は「たかがブログじゃないですか。」(参照)というエントリを書きました。そんな私が言うのも何ですが、「されどブログ」でもあるんだよなあ、と今じみじみ思うんですよね。私は、やると決めたらひつこいところがあって、どれだけ疲れていてもとりあえず何かが見えるまでは、ほぼ毎日書いていこうと考えているので、期間はまだまだ短いけれど、このエントリで約150のエントリを書き散らしているんですよね。まあ、自分で言うのも何ですが、折れない心といいますか、自分でもちょっと感心するところがあります。よく飽きずに続くもんだなあ、なんて。

 されどブログという意味では、ブログを始めて変わったなあ、と思うことも確かにあるんですよね。まずは、酒量が減った、なんてのは冗談ですが、ちょっとこの点にも言及しとくと、本業の時間を削るわけには絶対にいかないので、そうなるとお酒とかを減らすしかないんですね。お酒を飲んで愚痴を言ってる暇があったらブログを書こうという気になるんです。これ、意外だけど、本当のこと。健康にブログはおすすめ、ですよ。

 それと関連することかも知れませんが、愚痴を言わなくなったんですね。しょこたんこと中川翔子さんが「それがブログを始めて楽しいことばっかり書くようになったら、実際に楽しいことしか見えなくなって、ブログで本当に変わった部分があるんですよ。」とインタビュー(参照)で答えていましたが、そうだなあと思います。そりゃ、日常ではやなこともいっぱいありますよ。でも、それを愚痴っていても現実は何も変わらないですものね。だから私は「愚痴」という名のブログを書くようになりました。

 それに私の場合、ブログにマーケティングを入れないようにしたんですね。広告ブログっぽいタイトルですが、基本的には何でもあり。これ、広告ではやっちゃいけないことなんですよね。認知の速度が落ちますし、結局何よ、というのが見えにくくなるんです。テーマを絞る。これが基本ですよね。でも、私の場合、ブログは、基本的に書きたいことをなんでも書こうと思ったんです。商売でやってるわけではないしね。そうじゃないと続かない気がしたから。

 でも、ここで問題が。私のエントリのスタイルは、いわゆるコラム指向なんですね。特にココログの方は。それは私が広告制作を仕事にしているからだと思いますが。要するに、それ以外の書き方がわからないんです。(後から始めたはてなの方はもうちょっと日記というかメモというか、そんなスタイルですが。慣れてきたからね。)そうなると、毎日、いろいろ考えないといけなくなるわけです。広告のことだけじゃ、書けなくなるんですね。それがよかった。本当にいろいろ考えるようになった。そうなると自分の世界がぐぐっと広がるんです。あっ、そうか、こういう見方があったなあ、なんて、日常の世界が少し違って見えるようになりました。

 それと、これがいちばん大きなこと。ウェブの世界は、基本的に思考にリミッターがないんですよね。速度制限がないんです。学生の時、それなりに現代思想キッズでした。フーコーやら、マルクスやら、フロイドやら、吉本隆明やら、そんな話を安アパートで一晩中語り合うみたいな。社会に出て、そんな話が通じる人がまわりにいなくなって、基本的にはそんな話は煙たがられるから、いつしかその手の話は避けるようになったんです。でも、ウェブの世界はそんな感じではなかった。私なんかより、語って語って語りまくる人たちがいる。それは、私にとって希望に見えました。

 ちょっと勇気を出して、昔から愛読していたfinalventさんのブログにコメントをしたりしたら、真剣にコメントに向き合っていただいて、その上、新しい視点までいただいたりして、大阪人だから、感謝の気持ちを素直に述べるのは得意じゃないんですが、そういう大人というか先輩がこの世界の中にいることが、すごく驚きだったし、世の中とか人生とかも捨てたものじゃないと思ったんです。なんか生な話ですが、加工も調理もせずに日々のログとして、このことは照れずに書いておきたいと思います。この価値観は、ウェブの先輩方が長い時間をかけてつくってきた価値観だと思うんですね。その恩恵は、やっぱり計り知れないんです。ウェブの世界では当たり前のことでも、また半年くらいの新規参入組の私には、すごい驚きなんですね。(それと、ブログのコメント機能はやっぱりまだまだ敷居が高いですね。なかなか慣れないです。)

 Web2.0とかフラット化とか言いますよね。それは、良く言えば、人の思考に対する敬意なんだと思うんですね。そのフラット化は、私の日常にも影響を与えています。思考に対する敬意でもって、人に対していきたいと思うようになってきたんです。はっきり言って年齢や経歴、肩書きは関係ない。あるとすれば、その思考を規定するバックボーンとして存在するだけ。それだけのこと。梅田望夫さんみたいですが、それは本当にそうですね。簡単なことだけど、思考を重ねている人は刺激的なんです。触発されるんです。今夜、そんな刺激的な方とお会いしました。その思考への敬意の前では、基本的には人はフラットなんですよね。問われるとすれば、思考の質です。そして、真剣な思考の質から立ち現れてくるのは、格差ではなく、個性であるのだと思います。というか思いたいです。

 そのウェブがもたらした新しい価値は、ウェブだけのものではなく、日常のリアルな社会にも影響を与えているような気がします。逆説的に言えば、ウェブをリアルと隔絶した限定した世界と規定すると、フラット化とかの価値は失われるような気がしています。Web2.0批判の論拠はすべてそれですよね。ウェブが現実とは違うアナザーワールドであることと同時に、ウェブが大衆化した新しい時代においては、リアルとウェブの境目がなくなってくるのは必然であるような気がしています。

 まだウェブの現状は、その段階ではないかもしれないけれど、私にはそこへ至る過渡期であるような気がするのです。まだ答えは出せないけれど、ウェブ広告のこれからは、その認識の中にあるような気がしています。その答の道筋は、きっと、コミュニケーションの仕組みも含めた広義の表現の問題に帰結するはずです。そして、その表現のブレイクスルーは、地味な話ですが、意外にテキストバナーのようなありふれた日常のウェブ広告の表現の変化であるような気がします。その地味な変化こそが本当の変化で、その地味だけど大きな変化を規定するのは、その表現が乗る場が規定するのだと思うんですね。マルクスの言う、上部構造は下部構造が規定するというテーゼはまだ有効だと思います。ウェブをひとつの世界と見るにしても、その世界の構造は、さまざまな「場」がつながっている、網目として捉えないといけないんじゃないか、と思うんです。

 mb101boldというこのブログを書いている人は、現実の世界で、激烈な納期の前であたふたし、中小代理店の存在意義ってあるのかなあ、と悩む「ある広告人」であり、最近、お髭に白髪が目立つ冴えない生活者です。ウェブの世界の人ではありません。そのへたれなおっさんの思考を、私は、リミットをかけずに日々のログとしてウェブに残していきたいと思います。

 

●追記(08年1月18日):なんかこのエントリにアクセスがあるなあ、なんでだろうと思ったら、ニュースサイト「駄文にゅうす」のfrom Eさんが取り上げてくださっていたようです。ブログの書き手としては、過去のエントリを取り上げてくださったことは、とてもうれしく、本当にありがとうございました。で、自分でも読んでみて、そうだなあ、こんなこと考えていたんだなあ、なんて思いました。コメント欄を読んでいて、自分でもあれっ、この新しいエントリって何だろうと思いましたので、そのエントリをリンクしておきます。
→「場・表現・インタラクション」ちょっと消化しきれていない感があるエントリですが、このエントリで書いていることは、いまだに日々考え続けています。もしよろしければ、コメント欄とあわせてご覧くださいませ。

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コメント

畑は違いますが、思考の中身に共感を覚えながら、感心しながら拝見してきました。
ブログのNP変換、リアルとウェブの融合など、今回もとても面白かったです。
これからも楽しみにしています。

投稿: 喜山 | 2007年10月31日 (水) 23:47

喜山さま、こんにちは。思考でつながるのがウェブがもたらした新しい価値かもしれません。これからもよろしくお願いします。

投稿: mb101bold | 2007年11月 1日 (木) 17:18

初めまして。少し前にこのブログを発見して以来、ちょこちょこ読ませてもらってます。質問させていただいてもよいでしょうか。

>意外にテキストバナーのようなありふれた日常のウェブ広告の表現の変化であるような気がします。

>ウェブをひとつの世界と見るにしても、その世界の構造は、さまざまな「場」がつながっている、網目として捉えないといけないんじゃないか、と思うんです。

このくだり、ちょっと理解できなかったのです。もしよければ例を挙げてご教授いただけないでしょうか??

投稿: hiros | 2007年11月 2日 (金) 02:43

hiroさん、はじめまして。

上記ご質問の部分は、じつは私自身が未整理のところが多くてうまく説明できるかどうかわかりませんが、チャレンジしてみます。

>意外にテキストバナーのようなありふれた日常のウェブ広告の表現の変化であるような気がします。

この点については、言わば極論を言ってみるとという保留がつきますが、我々のようなマスコミ系の広告会社がウェブという新しいメディアを目にしたとき、まずチャレンジしたのが、インタラクティブというかウェブの双方向性を生かした新しいコミュニケーションだったんですね。
例えば、スペシャルサイト系のアドです。カンヌを獲ったNECの「エコトノハ」のような感じです。https://www.ecotonoha.com/index.html
他にもいろいろ素晴らしいウェブ広告があります。「スラムダンク1億冊感謝記念サイト」であるとか。海外の事例ならバーガーキングの『サブサービエント・チキン』とかね。
それはすごく面白いですが、本質的には広告というよりも広告コンテンツの話かなと思うんですね。制作者としては、すごく興味があり、実際私も取り組んでいます。けれども、このエントリの文脈では、ウェブ広告全般の話で、その場合、そういう特化したコンテンツでなく、日常のウェブ広告の風景がどれだけ変わっていくか、たぶんここで言えば、高付加価値になっていくかということなんだろうなという仮説なのですね。
少し前に、某頭痛薬の仕事でヤフージャパンのトップページで小さなバナーを出したことがあるんです。それは、徹底的に小サイズに圧縮した15秒CMが動画で流れるだけのものでした。もちろん編集はしますが。なんの工夫もないバナーですが、ここで重要なことがあって、「通常のPC環境」で普段は静止画のところで動画が流れるということなんですね。あのバナーは、その時点でヤフーのあの小さなバナーではトップアクセスを獲ったと思うんですが、つまりはこの場合は、映像のリッチ化なんですね。「通常のPC環境」でということにこだわるのは、私は、ウェブで広告の力が最も発揮できる受動性をどこまで発揮できるかという視点があります。
それを突き詰めるとどうなるか。テキストバナーのリッチ化です。テキストバナーと言えば、現状「今なら50%OFF!」的な使われ方ですよね。それが、もうちょっと深い広告コピーがコミュニケーションとして成立してくると、これはウェブという広告環境が成熟してくることを意味してくるに違いない、みたいなことです。私がやった広告であれば「道にお金が落ちています。あなたはどうしますか。」というテキストでセキュリティソフトのサイトに引っ張ってくるみたいな。

>ウェブをひとつの世界と見るにしても、その世界の構造は、さまざまな「場」がつながっている、網目として捉えないといけないんじゃないか、と思うんです。

で、そういうコミュニケーションが成立するためには、それが成立する「場」が必要なのですね。それを説明するのはわりと簡単です。例えば日経新聞に載ってる広告を、コロコロコミックに載せても成立しませんよね。表現は場に規定される。それは、ウェブとて同じです。ウェブは最小単位をPCやサーバとしてそれが網目状につながるイメージですが、じつは、広告を基点にして言えばそうではなくて、たとえばasahi.comという場と、nikkei.netという場と、hatena.ne.jpという場と、nifty.comという場と、2ch.netという場が網目上につながっているイメージでとらえたほうがいいのではないか、ということなんですね。そういうイメージでとらえると、ウェブの媒体社は、その場をどう規定するか、という問題が出てきますよね。それは、年収や年齢、嗜好という軸、つまりターゲットセグメント論ではなくて、もうひとつの軸が必要ではないか、ということを考えていて、たとえば一人の人間でも、2chも見るし、asahi.comも見ます。そうなると人間のエモーショナルな軸で切っていかないと、場の付加価値を伝えていけないんじゃないか、みたいなことですね。それが十分に伝えられて、場の付加価値が認知されれば、そこの最小単位の広告であるテキストバナーが変わるみたいなことです。

書いてて、自分でもわからなくなってきましたので、この辺で。hirosさん、もしブログとかやってたら、よかったら教えてください。では、これからもよろしくです。

(もしかすると、このコメントの部分はエントリ化するかもしれません。)

投稿: mb101bold | 2007年11月 2日 (金) 13:40

とても興味深い記事です。家に帰って、考えてからまたコメントさせていただきたいと思います。

インタラクションっていうのはやはりあらゆるメディアにとって重要な方向性なのでしょうか。ぼくの研究には、「没入型コミュニケーション」だとか「Mixed Reality」なんてキーワードがあるのですが、それらは仮想空間に対して新しいインターフェースを持って、よりリッチな情報を持つ、インタラクティブなコミュニケーションを可能とするようなアイデアです。その部分と重なる、もしくは参考になる考えが聞けそうなので、熟読してまた書き込みたいと考えています。

予想以上のコメントなので自己紹介させていただくと、ぼくは東京大学の理系の学生です。好きなジャズピアニストはGiovanni Mirabassi、楽器も色々やっております。残念ながらブログは書いていない(Mixiに日記を書いています)のですが、今後も意見の交換ができたら幸いです。それでは後ほど。

投稿: hiros | 2007年11月 2日 (金) 16:48

了解です。インタラクションにはそれほど言及しませんでしたが、私がリアルと言うとき、インタラクションが前提なのかもしれないな、と思いました。たぶんインタラクションのずれの中にコミュニケーションがあるような気が。この話は、今夜エントリを書こうと思っています。ではまた。

投稿: mb101bold | 2007年11月 2日 (金) 23:43

個人的には、WEB上の広告で一番衝撃的だったのは、『ミリオン・ダラー・ホームページ』でした。これは広告のデザインがどうとかではなくて、ただアイデアが衝撃的だっただけではあるんですが。。

>本質的には広告というよりも広告コンテンツの話かなと思うんですね。
でもこれも、コメントを読んでいるうちに、いわゆる「広告するための広告」という本来の意味ではなく、「コンテンツを作る場としての広告」なのだと感じています。ぼくも消化不良なのですが、あえてあまり整理せずに、同じく極論として意見するならば、それらはやはり本質的に広告としての価値は低いもので、広告が成熟した場所では必要とされるものではないのかもしれません。ただし、もっと違う、いろいろな要素が融合した広告が生まれるはずなのだとも思います。それもやはり具体的に何かはわかりませんが、そういう意味ではコンテンツが先行した広告にも積極的な意義を見出せる気がします。

>現状「今なら50%OFF!」的な使われ方
うーん、広告料の詳しい内訳を全く知らないのでなんとも言えないのですが、しかし情報量が少なく、目立たない広告だと思われるので、そうなのでしょう。アナログな部分で、意味のある情報を創造できたのなら、それ以上効率がいい価値の創造はない、とでも理解すればいいのでしょうか。。なんだか舌足らずなのですが。電話というリアルタイムで直接的なコミュニケーション手段があるにもかかわらず手紙という手段は古今東西、普遍(不変)の価値がある。みたいな。。でも結局のところ、こういう部分がコミュニケーション、ひいては広告の本質なような気がします。

>ウェブで広告の力が最も発揮できる受動性をどこまで発揮できるか
どうなんでしょう、技術がさらに加速していったら、やはりその受動性も際限なく広がっていくはずですよね。たった20年前には家庭用のパソコンすら普及していなかったわけですから。

前半の文章は理解しようと咀嚼するためのレスになってしまいました。後半はさらに興味深い話です。

昨今はいわゆる製造業の中で、ネットワーク化が進んでいるという話があるんですが、例えば車は内部のCPUを中心に全てがつながっていて、(ハンドルは直接車輪につながっておらず、あのような回す形にする必要も無い)すべての製品がネットワークの中にある、といいます。さらにIpodとつながったり、カーナビを通じて世界とつながったり。そんなことを思い出しました。

たしかに、ある人はネットワークの中にいくつものコミュニティを横断して存在していますよね。ぼくは、そういうものを可視化することに成功できたのがMixiのコミュニティなんじゃないかと思います。つまり、「あるアーティストの、伝説的なライブ」のコミュニティは、普段の生活の中には存在しない、2chのスレくらいにしかない存在だったのに、それがある種のリアリティを持って存在し、コミュニケーション(インタラクション)が生じている。なんてかっこつけて言ってみても、うーん、広告に関して還元できるアイデアは持っていないんですよね。。

なんだか宙に浮いたような文章を書いてしまいましたが、何かコメントがあればいただきたいです。勉強になります。

投稿: hiros | 2007年11月 3日 (土) 01:40

新しいエントリを書きました。仕事の関係で書きあがったのが遅くなってしまって、入れ違いになっちゃいましたね。

投稿: mb101bold | 2007年11月 3日 (土) 06:17

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