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2007年11月28日 (水)

広告の原体験

 中央線が止まって、神田駅で足止め。車内は満員で雑誌を読むわけにもいかず、期せずして何もない時間ができてしまったので、ぼんやりと、私の広告やデザインの原体験って何だろうと考えていました。何でそんなことを考えたのかいまいちわからないんですが。

 こういうとき、キヤノンの「ただ一度のものが、僕は好きだ。」とか、そういうことを言うと格好いいのでしょうが、でも、きっと、本当はそういう広告は原体験とは呼べないですよね。デザインで言えば、バウハウス(ドイツのデザイン研究所で、機能性を重視した現代デザインを切り開いた)とか、DDBのフォルクスワーゲンキャンペーンとかって、広告で生きていこうと思ってから勉強するものであって、確かに衝撃ではあったけど、後付けの知識なんでしょうね。

 何かな何かな、仁鶴さんの「たったの3分親子丼♪」かな、いや違うな、と考えていくと、ひとつの広告に行き当たりました。子供の頃から見ている広告というかデザインというか、かなり衝撃を受けた記憶がはっきりとあります。その広告は、デザインと言葉のメッセージが類い希なほど融合していて、なおかつシンプル。見たら決して忘れない強さを持っていて、かなりコミュニケーションとしては理想的ではないかと思います。こういうの、作ろうと思ってもなかなか作れるものではないかと思います。

Hisayadaikokudo ご存知ですよね。これです。ヒサヤ大黒堂です。大阪は北浜にある、痔瘻専門のお薬屋さんですね。私は、この「ぢ」の看板を何度も見てきました。それにしても見事ですよね。痔は「じ」なのですが、血の「ち」に飛び散る濁点をつけて赤い「ぢ」としたアイデアは、街中に堂々と掲げられる大胆さの是非はともかく、相当なものだと思います。Photo_2それに、これは優れたタイポグラフィーであるとともに、すぐれたコピーでもあるんですよね。その痛みをどんな言葉より雄弁にメッセージしてくれています。この赤いロゴを真ん中に置いただけの新聞広告を想像してみてください。 相当いい広告になるような気がします今でも、相当インパクトがあると思います。(追記:なんとなく気になったのでパワポでさくっとつくってみました。甘甘ですけど‥)

 子供心に、この「ぢ」のロゴは強烈な印象を残していて、銭湯の桶や大阪市営地下鉄駅階段の「ケロリン」とともに、心に焼き付いてしまっています。ちょっとどぎついけれど、コミュニケーションの確実さ、押しの強さ、人を選ばない幅広さ、わかりやすさは、とかく玄人受けをしがちな私たちクリエーターにとって、もしかすると迷ったら戻るべき広告・デザインの故郷なのかもしれません。

 少し話が離れますが、こういう和物のベーシックデザインって、案外いいものが多いんですよね。三越のロゴとか。隙がなくて計算され尽くしていますよね。しかも、これが作られた頃は、海外からモダンデザインが入ってきた頃に重なりますから、細部の処理やバランスの取り方なんかにその影響が感じられ、非常にデザインが豊潤なんですよね。Mitukoshi一周して機能美に回帰した現代のデザインより、デザインとしては豊かな気もしないではないです。それよりも何よりも、設計の完成度が高いから、こういうロゴは古くなりません。英語文化圏のデザイナーが見てもきっといいと言う気がしますし、アメリカ人のCDにこのロゴを見せると、彼はグレートと言っていました。

 あと、よくブランドを語るときに、ルイビトンやシャネルなどのパワーブランドを例に語りたがる傾向が、いいカッコしいの広告マンにはあるけれど、ブランドというものを形成する方法が、ぶれない信念の継続的なコミュニケーションであるとすれば、忘れてはならない例があると思うんですよね。例えば、桃屋のアニメとか。Momoya_2あの変わらなさはすごいものだと思うんですよね。あのCM、噂ではご年輩のあるクリエーターしかあの味が出せないとのことで、ずっとその方が作っているとのこと。真偽の程はわかりませんが。でも、それが本当だとすると、クリエーターとしてはこれほどの幸せはないんだろうなと思うんです。私もがんばらないと。ではでは。

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コメント

ロングセラーを作っているマーケターに、ロングセラー化にとっての困難は何かを尋ねると、「リニューアル時にいかに変えないかだ」と言います。なるほどですよね。

これも、「ぶれない信念の継続的なコミュニケーション」だなぁと思いました。

投稿: 喜山 | 2007年11月28日 (水) 08:43

はじめまして。夏ごろからずっと読んでます。おそらく同い年ではないかなと思いながら。私自身も「ぢ」が原体験なので。30年近く前ですね、初めて新聞広告見たのは。習字の時間に「ぢ」と書いて廊下に立たされたことまで思い出しました。朱赤で表示されると、リアルこの上ない。

もうすぐ、小田さんの「自己ベスト2」が届きますね。カテゴリにオフコースがあったので、ちょくちょく読んでますよ。

投稿: あみーご長嶋 | 2007年11月28日 (水) 12:09

喜山さま、こんにちは。

そうですよね。ほんと、そうです。変えることの理由はそれなりに見つけられるけど、変えないことの理由を説明するのははなかなか難しい。だけどブランドには変えちゃいけないとこってあると思います。その見極め共有が重要なんでしょうね。

それと、桃屋。あのコンテ、変えないところは変えないけど、ストーリーの中では貪欲に新しいものを取り入れてるんですよね。ケータイとか、女子高生言葉とか。そこも魅力。桃屋を見るとブランドを成長させるってこういうことなんだと思います。

投稿: mb101bold | 2007年11月28日 (水) 14:50

あみーご長嶋さま、はじめまして。

習字の時間、やりました、やりました。30年近く前というと同い年かも、ですね。

小田さんのCMもなんだか元気だなあ、と思いました。オフコース時代には、あんな陽気なおじさんになるなんて思いもしませんでしたよねえ。

今後ともよろしくお願いします。

投稿: mb101bold | 2007年11月28日 (水) 15:11

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