そういえば「たまごっち」にも死のイメージがありましたね。
今日は、祝日なのでテレビで「今日は何の日」を見たりしています。今日は、たまごっち誕生日らしいです。世界で7200万個売れたそうです。すごいなあ、なのか、ああいう小さいものなので、案外少ないよなあなのかは微妙な数字ですが。
前に『「死」のイメージがどこかに隠されていると、広告はヒットする。』というエントリを書きましたが、あのとききっかけになっていたのが、東京ガスのCM「信長篇」で、そこから思い出したのは、「ぴちょんくん」や「およげたいやきくん」や「だんご3兄弟」なんかでした。コメントでいただいたのが「ピクミン」。あと、私が知らないアニメかゲームなんかを連想された方もいらっしゃいました。でも、忘れてました。広告ではないですが、この「たまごっち」がありましたね。というか、これ真打ちですね。
気に入らないキャラに育つとリセットできるっていうところが社会問題になったとのことですが、まあ私はそこの部分はそんなに気にならなくて、それよりも、あの当時の、価格設定とかの諸条件から貧弱なテクノロジしか使えないという前提で、その中でインタラクティブなゲーム性を出していくときに、ほったらかすと死ぬというところに見いだしたところに興味がわきます。
あのゲームの肝は、小さなモノクロドット液晶の中のペットが、あたかも生きているように感じるというところだと思うんですが、それを追求する結果として、生きていることを表現するために死を設定するということに行き着いたことです。これは、社会評論なんかで既出かもしれませんが、あらためてなるほどなあ、と感心しました。
それとともに、「生は自分の領域であるけれど、死は自分の領域ではない」という吉本隆明さんの言葉を思い出したりもしました。今日は勤労感謝の日ですが、日頃の勤労に感謝しつつ仕事です。パワポで企画書を書いてます。忙しいときの祝日って、ある意味きついんですよね。特に年末進行で動いているこの時期は。ああ、しんど。
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