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2007年12月の24件の記事

2007年12月31日 (月)

やってみないと分からないこともあるなあ。そんな、2007年でした。

 2007年の私にとって、個人的に大きな出来事は、やはりブログを始めたことですね。まあ、わりあい平和な1年ではあったということですね。きっかけは、mixiにとある人に招待していただいて、mixiを始めて見たものの、私にはなぜか合わずに、同じ書くなら不特定多数に発信できるブログの方がいいな、ということでココログでブログをつくってみたということでした。ココログにしたのは、プロバイダが@niftyだったから。

 始めた当初は、ブログのことやネットのことは、常識程度にしかわかりませんでした。これまでは、当然ブログ界みたいなものも良く知らず、あっ、このブログはいいなあ、とか、この人の考え方は面白いなあ、なんて思いながらローカルPCにせっせとブックマークしていました。そんな定期購読に至ったブログとの出会いは、たいがいgoogleでした。気になるワードを入力して、たまたま出会うという感じです。

 そんな感じでしたので、始めた当初は、まあ私のブログもgoogle経由で見つけられるんだろうな、なんて思っていたら、結構そうでもなく、はてなブックマークだったり、個人で運営されているニュースサイトだったり、いろいろでした。これは、今振り返れば当たり前のことですが、私には驚きでした。ブログを始めた当初は、ほんと何も知らなかったんですよね。

 そういう意味では、巷で言われているGoogle覇権のイメージは、リアルなネット社会の中ではそれほどでもなく、もっともっと多様な世界なんだなと思いました。しかしながら、検索サービスでは覇権に近いし、目に見えにくい広告配信システムで言えば、細かいところで、Ads by Googleであるという現実があり、これはいろいろな意味でも、もっともっと多様な世界にならなければ、きっとウェブは息苦しい世界になるだろうな、という思いがあります。

 その驚きとともに、ウェブのコインの裏側も次第に見えるようになったりもしました。私自身も、このブログで何度か触れたこともありました。私にとっては、ブログやウェブのあり方についてのエントリーは、話題の中の一部分ですが、結構、ブログの話題のメインストリームであることも、ブログを始めて初めて気がついたことです。

 ブログ論、ウェブ論がよく書かれ、そして、よく読まれるのは、それが社会論のアナロジーだからだと私は思っています。自分たちの住む社会のあり方をどうしていったらいいのか、という切実な問題だから、よく書かれ、よく読まれる。そういうことなんじゃないかな、と思います。それに、ウェブはまだ新しい世界だし、規模的にもまだまだ小さいし、過渡期だから、不完全な部分が大いにあるし。

 今年、私が書いたのは、主に匿名・実名の問題と、はてなブックマークの2つでした。いろいろ考えて、いろいろ変化もしていますが、私自身は、これからの社会をどうしていったらいいかということのアナロジーの部分でこの問題を考えたいので、基本は、多様な人々がそれなりに楽しく暮らしていける社会づくりという目的をベースにしたいな、と思います。

 匿名・実名で言えば、人それぞれであっていいと私は思っています。それを一方の価値観で強制していくのは、匿名であっても、実名であっても、なんとなく嫌だなという感情がベースになっています。いろいろな価値観があっていいけど、いろいろな価値観をそれぞれが尊重されるというのは、それぞれの価値観を尊重するという態度があって成り立つことだと思います。

 実名の方がよく問題にされる、匿名の責任制のなさというものがありますが、2ちゃんねるにおいても完全匿名が難しくなりつつある現状で、少し無理があるのではないか、と思うんですよね。批判するなら名を名乗れ、というものは倫理の問題に過ぎないので、倫理を原則全員に強制していくのは間違っています。しかも、多くの匿名(ここでは筆名も含みますが)は、普通に楽しくやっていて、その普通のサラリーマンが、ネットでアニメファンとしてニックネームで慕われる楽しさを、倫理で奪っていくのは楽しくないなと思うんですよね。

 それ以外の問題については、いろいろあるだろうけど個人のいさかいの問題だろうなと思っています。それは、倫理と倫理の戦いだろうな、と。どっちの倫理が支持されるか、という問題だろうなと思います。その個人の論争の経緯では、全体は語れない。そんなふうに思います。個人の資質が関わることだから。だから、いま話題になっているあるブロガーさんの実名暴露の件は、ご本人も書かれていたとおり、一事例として、そしてかなり切実な問題として、匿名でやっている自分も学んでいこうというと思った次第です。

 私は匿名ですから、匿名のお気楽な感じと、匿名ならではの自分の利益に還元されないというか、とあるブロガーさんの受け売りですが「自己への配慮」というフィルターを通さずに済む、ある種の社会性というか公益性みたいなものは、いいものではあるなあと思っています。an anonymous beingとanonymousの違いですね。しかし、だからといって、実名の方や、匿名の方もときどき感じる、an anonymous being的な匿名が集合的に現れてくるときの暴力性には違和感があります。それは、やはりシステムの問題でもあるのだろうな、というのが今も変わらない思いです。

 Web2.0のシステムは、発言の敷居を下げ、どんどん可視化していきます。それはいいことだと思うし、私自身は、SBMの最大手の「はてなブックマーク」につくコメントは、自分自身でもよく読んでいますし、それで今の息づかいを確認したりします。そして、書き手である私もいろいろなことを確認したりします。でも、これも実名・匿名論と同じで、私自身ではそれを倫理と倫理の戦いにはしたくない思いがあるのですね。私は、極論を言えば、システムがあれば、そのシステムをどのように使おうと、人の勝手だと思っています。使い方はいろいろで、その使い方を倫理で裁くことはできません。私はそういう立場です。はてなブックマークの正しい使い方論なども興味はないし。

 結局は、システムの問題に行き着くのだろうな、という気がするんですよね。それで、ブログ本人がブックマークされないことを選択できる機能を、SMB自身の機能として実装するというアイデアを書きました。Web2.0が信じる不特定多数の可能性は、それを信じるという行為の責任において、それを信じない人に対する気遣いを持つべきであるというのが、社会論のアナロジーという視点から見た私の考え方ですね。これは、ウェブにとどまらず社会全体でも言えることだと思っています。

 私が書いたエントリでいただいた、「はてなブックマーク」のコメントにあった素敵な言葉ですが「みんながニコニコできる」システムを、SBMが「つくりたいか/つくりたくないのか」ということだと思っています。で、私は、その機能に実行性がないとしても、社会に対してのあるスタンスを示すことで、不特定多数の可能性という、私自身も信じたい、新しい価値観を社会に堂々と示せる効果はあるのではないか、と私は思っています。そのへんの考え方は、多分に広告屋的発想あるとは思いますが。私は、「はてなブックマーク」というサービスやそこに集う人たちに親近感があるし、そのコミュニケーションはいいものであると思うからこそ、この素晴らしいサービスがいい方向に発展していけばいいなあ、と思っています。

 そんな感じで、ブログを始めなければ考えなかったいろいろを振り返ってみました。まだまだ未熟な部分はあるかと思いますが、これについては、ウェブが大衆化するこれからにおいて、その未熟さをスルーすることはできないんじゃないかと考えています。だから、これは未熟であるがゆえに意味があると本気で思っています。

 私にとって、ブログはコミュニケーションツールではなく、パブリッシングツールであると、このブログで何度も言ってきたような気がするんですが、そんな私でも、いろいろな方々と楽しいコミュニケーションを楽しませていただきました。それは、本当に、やってみなければわからなかったことです。今年は、みなさん、いろいろありがとうございました。2007年のエントリは、このエントリで最終です。いつものように、深夜の更新です。みなさんにとって、2008年が素晴らしい年でありますように。それでは、みなさん、よいお年を。

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2007年12月30日 (日)

じつを言うと、私、長い休みが苦手なんですよね。なんででしょうね。

 なんとなく長い休暇が苦手です。こういう国民のすべてがお休みになる年末年始とか。別にみんなと一緒がいやってわけじゃなくて、なんとなく焦燥感があるというか、休みで何もないと余計なことを考えるというか、今年も何もできなかったな、とか、あのときこうしとけばよかったな、とか、いろいろ。こういう気分を表明する人は多くないでしょうが、こういう気分を持っている人は、きっと多いと思います。「リア充」という言葉なんかも、そういう心情をうまく表現していましたよね。

 なんとなく、しみじみするみたいな感じが嫌いじゃないけど苦手なんですよね。どちらかというと、ドーパミン依存体質なのかな、なんて思ったりもします。仕事とかは、それなりに頭使って、課題を解決したりする中で、きっと頭の中でジュワンとドーパミンが吹き出ていて、それが気持ちいいな、という習慣がついてしまうと、そこから抜け出せない、みたいなことかもしれません。寛平ちゃんが吉本新喜劇でお爺さんの格好をして杖を振り回して「ワシは止まったら死ぬんじゃ〜」と言ってましたが、そのギャグの心情に近いです。そんな寛平ちゃんもマラソンランナーですし、休み下手体質なのかもしれません。

 ジャズマンなんかも、このタイプが多いですね。私も学生時代はそれなりにジャズをやったりしましたので、少しはわかります。いい感じで演奏が出来たりすると、それはそれは気分がハイなわけです。表情もなんかにやけ気味になって、完全にいっちゃってる感じになります。で、その感覚が気持ちいいから演奏を同じ方法論で続けていると、いつの日か、同じことをやっても気分がハイにならなくなってしまうんですよね。

 でも聴衆は同じことを求めますよね。毎日聴いているわけではないし、ファンというものは、同じことを求めます。そうすると、自分の中に矛盾が起こるわけです。素人で下手っぴなジャズでしたが、なんとなく、ああこういうことね、という感覚はありました。なるほど、こうしてジャズマンは法を犯してハイを手にいれるんだなあ、なんてことを思いました。自分の中でつくれないドーパミンを人工的に作り出すんですよね。いけない薬で。この悪循環にはまらなければ、ビル・エバンスの個人的な人生はもっと幸せなものになっていたのに、と思います。余談ですけど。

 こういう気質を感じるなあというブロガーさんもいらっしゃいますよね。そういう方は、何でもないよういサラッと更新されています。いつもと同じだよ、という感じで。でも、ちょっとだけ気分が下がり気味な感じが文章に出ていて、逆にそんな文章を読むのが今の時期の私にはありがたいというか。ああ、同じ気分を共有している人がいるなあ、なんて思います。そういう人は、きっとブログというものの何かを信じている人なんでしょうね。私も、そんな感じですが。その信じる何かは何なのかは、私にはわかりませんが。

 いま私は大阪にいるんですが、あいかわらずブログを更新したりして、何やってるのかな、なんて自分でも思うんですが、ブログを始める時は1年間は1日1エントリと決めながら、仕事の関係上、早々とそれも果たせなかったし、そんな自分がちょっとなあという気分もあるし、まあこういう取るに足らない現代人の心情なんかを記録していくことも、この先の100年200年の人類にとって有用なのかも、なんて大きなことを思いながら、つらつら書いています。まあ、そんなたいしたもんでもないけど。

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2007年12月29日 (土)

2007年の広告業界を振り返って。

 とは言っても、私が所属する某外資系広告代理店、大ざっぱに言えば中堅広告代理店まわりの出来事から見た、私の印象レベルの話です。あらかじめ断っておきますね。広告業界といっても所属する会社や、役職によって、見える風景は随分変わってくるでしょうし、これは、私から見た個人的な2007年の広告業界だと思って読んでいただければ幸いです。

 ここ数年、広告代理店の再編成がありましたよね。まずは欧米のWPPとかピュブリシスグループとか、国際的な広告代理店グループの再編成があって、それに遅れて、日本の広告代理店も企業グループを編成したりしました。媒体部門の統合があったりしました。そうしてできた新しい秩序を維持したまま、大きな変化もなく2007年を終えようとしているという印象です。2008年は、その秩序がどういう風に変化していくのか、ということでしょうね。そういう意味では、来年も大きな変化はないような気がします。

 2007年は、旭通信社と第一企画が合併してADKが出来た時のような大きな変化もなく、かつての萬年社のような大型倒産もありませんでした。一頃元気のあった外資系広告代理店やクリエイティブエージェンシーも、なんとなく元気がなく、一頃叫ばれたフィー制への移行もあまり進まず、ゆるやかな衰退という感じがあります。とりわけ中堅広告代理店の存在意義みたいなものが問われているような気がします。昔だと、小回りが利く、エッジがある、細かいところまで行き届いたサービスができるといった中堅の良い部分も、大手とあまり差別化できにくくなっているような気もします。

 そうした危機感は、どこの中堅広告代理店もきっとあるように思います。媒体コミッション中心の収益構造が変わらない以上、この危機感はなくなることはないでしょう。どこも、他者とは違う差別化ポイントを探しているというのが現状です。業界を見てみると、大手と、媒体社系列や企業系列の広告代理店が元気で、いわゆる普通の中堅広告代理店は、どこも厳しい感じだと思います。

 しかし、媒体コミッションは一頃の過当競争で下がってきていて、ますます苦しい現状があります。これは私の状況でしかないかもしれませんが、媒体コミッションが下がる一方で、広告制作費も下がり続けています。このままでは業界自体が弱ってしまうのではないかという思いが私にはあります。

 ちょっと悲観的なことばかり書いてきましたが、2007年で少し良くなってきたかな、という部分は、企業が何かやらなければという機運が見えてきたことでしょうか。例えば、理系大卒・大学院卒人材の不足から、人事施策案件が増えてきていること。これは、来年に向けての少しばかりの希望かもしれません。これまで、中堅が活動を凍結してきただけに、一気に雪解けとなればいいな、と思っています。

 普通の広告代理店の制作マンから見た2007年は、ネット系の仕事がいよいよ当たり前になってきたことですね。ネット系の仕事に早くから取り組んできた制作マンは、前からいらっしゃいましたが、今年あたりから、そういう人でなくてもネットの仕事が当たり前のようになってきました。それとともに、いわゆるSPもですね。SPとマスは別部隊、みたいなことがいよいよ本格的に成り立たなくなってきました。これは、私はいいことだと思っています。企業の視点で見ても、これは当たり前ですよね。制作側の都合でしかありませんでした。

 例えば、CMがありますよね。これは大事ですね。でも、例えば、資料請求をされた方がいちばんはじめに目にするパンフレットは、もしかするとその企業のブランドの入り口として、CM以上に大事なツールになるかもしれませんよね。あるいは、最終的な店頭コミュニケーションやサービスが杜撰だったりすると、緻密につくられた広告コミュニケーションも無になります。特にCGMが発達した今の環境では、そうしたことは致命傷になり得ます。もう、これからは、その当たり前の事実に背を向けられないでしょうね。

 私はCMしかできません。私はグラフィックしかできません。私はパンフレットしかできません。私はウェブしかできません。そういうクリエーターは、少なくとも広告代理店においては成り立たない時代がやってきているような気がします。来年は、そうした価値観がもっと加速するような気がします。

 中堅という規模を考えた場合、私のいる中堅広告代理店のメリットは、CMからパンフレットまで、すべてのツールをクリエイティブディレクターが管轄できるというとろこにあるのかもしれないな、と思うんですよね。そういう視点で言えば、無印良品のコミュニケーションは、ある意味で、私たち中堅のお手本になるのかもしれないなと思っています。店頭からマス広告まで、同じクオリティでコミュニケーションを作っていくためには、同じ人間がすべてを管轄することが必要になると思います。それができるのは、中堅企業であり、中堅広告代理店であるんだろうなと思うんですよね。そして、このことが中堅の面白さであり醍醐味であるだろうな、と私は思っています。

 ダイナミックにマスをドライブしていくコミュニケーション。最新のデータと理論で構築された、ストラテジーベースの緻密なコミュニケーション。しかし、それも微分して見ていけば、それぞれの小さな制作物のクオリティに還元されていくはずです。そして、その小さな制作物ひとつひとつをつくっているのは、じつは人なんですね。これだけは、広告が高度化しようと、変わらないと思います。ありきたりですが、人の部分をどう豊にしていくか、ということを、来年の課題としていきたいなと思っています。

 そのためには、まず私自身が豊かにならないといけないな、と思うんですよね。それと、自分にいつも余裕をつくっておくことが大切だな、と思います。どうしても量に飲まれてしまったりしてしまいますから。こうして書いていくと、なんとなく2007年は、いつもの年と違う気がします。なんとなく抜本的な改革とか、圧倒的な流れとか、斬新な理論とか、そういうことには興味がいかずに、もっともっとベーシックな部分というか、根っこの部分を見つめ直すというか、そんな感じです。なんとなく凡庸な気もするけど、それが2007年のリアルな気分なのでしょうね。

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2007年12月28日 (金)

そういうことなんやあ。

 前回の「2chと言うと、何を思い浮かべますか。」というエントリを取り上げてくださった、まなめさんのニュースサイト「まなめハウス」に書いてあった驚愕の事実。

 「元々、2ちゃんねるとはゲームをやるときのチャンネル。ファミコンを起動するときは2ちゃんねるにしてからやっていたものです。」

 えーっ、そういうことなんやあ。びっくりです。知らなかった。

 2ちゃんねるというネーミングは、日本放送協会というお堅い立派な放送局が持つ倫理性に対抗するものとして、日本放送協会=NHK=東京では1チャンネルのアンチテーゼというコンセプトから来ているものだとばかり思ってました。理詰めではそのくらいは理解できたし、それも正解だろうけど、肌感覚として、大阪で育った私としては、ファミコンをやるチャンネルが2チャンネルという感覚はまったく持ち合わせていませんでした。

 そんでもって、2ちゃんるは、私の世代ではAVですね。昔は、レンタルビデオ屋さんでは、再生専用のビデオデッキを貸し出してくれてたんですよ。ね、そうでしょ、そうだったでしょ。確かに、ビデオは2チャンネルで見てた。「僕の太陽」とか。女性読者の方、ごめんなさい。男の子って、そんなもんですわ。

 大阪人の感覚では、それは1チャンネルか3チャンネルやんか。私は、大学が東京だったから、AV=2チャンネル体験はしているけど、2ちゃんねるがそんな文化背景を持つことまではまったく想像力が及びませんでした。

 すごいよなあ。ビバ・インターネット。ビバ・Web2.0。ビバ・CGM。ビバ・まなめハウスさん。このへんの肌感覚、大阪育ちの人間には、めちゃおもろいと思います。ちょっと感動。東京以外の人、2ちゃんねるというネーミングが持つこの感覚、知っていました?私は、ブログを書く前から、ふつうの人よりネットはよく見ていたほうだと思うけど、知らんかったです。なるほどねえ。そういうことなんや。それにしても、「2ちゃんねる」って、よくできたネーミングだなあ。そう思いませんか。

追記:2ちゃんねるの正式な語源はどうなんだろ、と調べてみると、はてなキーワード「2ちゃんねる」にこんな記述がありました。

ちなみに2chの由来は、2chが関東ではビデオやゲーム用のチャンネルであり(関西では主にNHKが映る)様々な話題を扱う掲示板にふさわしいということ、という説もある(ある本の中で、管理人ひろゆき氏が自分で述べている)が、当初はだれもが「あめぞうが1chであり、その後継」の意味で受け取っていた。ちなみにそれをふまえて、反2ch陣営の一部が1ch.tvを開設しようとしたこともある。

 案外、本当の語源っぽいみたいです。自分用のチャンネルですよ、的なことですね。うまいネーミングですねえ。(まなめさん、ご指摘ありがとうございました。よいお年を。来年もよろしくです。)

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2007年12月27日 (木)

2chと言えば、何を思い浮かべますか。

 今日、職場で盛り上がった話などしてみたいと思います。

 私は、東京の広告会社に勤めています。でも、生まれも育ちも大阪です。でね、今日、ミーティングでみんなで新聞のテレビ欄を見ていたんですよね。朝日新聞の大阪本社版。すると、ある東京出身の営業が「えっ、NHKって2チャンネルなの?」と。マスメディアを扱う広告マンたるもの、そんなことではいかんですが、まあそのへんはご愛敬というか、案外、気にとめないの部分なのかもしれません。

 「そうだよ。大阪では昔からNHKは2チャンネルだよ。NHKのことを2チャンと呼んでいたもん。」なんて話を私はしたんですが、そう言えば、東京ではNHKのことを1チャンとは言わないですよね。大阪ではNHKのことを、エネーチケーと発音したり、2チャンと言ったり、BKと言ったり、いろいろですね。BKというのは、NHK大阪放送局のコールネームがJOBKだから。このBKという呼び名は、業界人や芸能人でなくても、そのへんのおっちゃんおばちゃんがBKと呼びます。だから、東京でフジテレビがCXと呼ばれる感覚とは少し違います。もっともっと庶民的。ふつうの大阪人がNHKと呼ばずにBKと呼ぶのは、東京制作の全国ネットと大阪制作を分けて考えたい気持ちがあるのかもしれません。

 朝の連続テレビ小説なんかでも「今年はBK制作やから面白いで」とか「今日な、大手門のBKの前通ったら仁鶴さん出てきはったわ」なんて話したりしましたし、大阪の人の感覚では、全国放送のNHKはエネーチケーで、大阪制作はエネーチケーではなくてBKである、みたいな感じがあるのだと思います。

 NHK教育テレビは、東京では3チャンネルですよね。大阪では12チャンネルです。これも12チャンと言ってました。12チャンネルは、東京ではテレビ東京ですね。その昔、東京12チャンネルと言ってましたよね。それでもって、4チャンネルは東京では日本テレビで、大阪では毎日放送。毎日放送は、ほとんどの人がMBSと言います。6チャンネルは東京ではTBSで、大阪では朝日放送。こちらもABCと呼ぶ人がほとんどです。8チャンネルは東京ではフジテレビ、大阪では関西テレビ。こちらは関テレと呼ばれます。10チャンネルは東京ではテレビ朝日、大阪ではよみうりテレビ。これはよみうりテレビときちんと呼ぶ人もいれば、よみうりと略す人もいるし、YTVと言う人もいます。

 朝日新聞って、大阪本社版と東京本社版で、朝日新聞の表札のバックの絵柄が違うのご存知ですか。大阪本社版はバック地が稲穂で東京本社版は桜(梅かも)です。東京では読売新聞と朝日新聞がシェア争いをしていますよね。下町は読売新聞が強くて、山の手は朝日新聞が強いなんて言われてますよね。大阪は、私の感覚では朝日新聞が強いなんて勝手に思っておりました。で、営業にそう言うと、その営業が「いや、それは違う。ちゃんと資料を持ってくるから、待ってろ」と。

 で、調べてみました。大阪は、読売、朝日、産経、毎日の順でシェアが僅差なんですわ。びっくりです。大阪市内の区や市町村別のシェアも出ていましたが、案外頑張っているのが産経新聞。トップシェアの地域もたくさんありました。大阪ではサンケイホールという施設もありますし、案外、産経新聞はがんばっているんですね。もうなくなりましたが、大阪新聞も後に産経新聞系列になりましたし、結構大阪の文化に馴染んでるんだなあと思いました。

 新聞って日本全国をネットするマスメディアのイメージがありますよね。でも、それは実体とは少し違います。愛知県では、ほとんどの人が中日新聞を読んでいますし、愛知というか名古屋では、大マスメディアなんですよね。東京で売っている東京新聞と東京中日スポーツも、中日新聞発行です。長野では信濃毎日ですし、その他にも地方地方で圧倒的なシェアを持っている地方新聞はたくさんあります。その地方の人にとっては、新聞と言えばその地方新聞なわけで、その新聞が新聞なんですね。よく全国紙、地方紙と区分けをして話してしまいますが、実体は違います。これは、いろいろな新聞メディア論を語るときに忘れてはならない視点かもしれません。

 新聞メディアで日本全国をカバーできるのは、じつは日本経済新聞だけなんですよね。購読者数は、全国紙と言われる新聞に較べると少ないですし、ターゲットもかなりセグメントされますが、広告メディアという視点で見ると、本当の意味で全国紙と言えるのは、ほぼ日経だけなんです。新聞メディアで全国をカバーしようと思うと、前述の中日新聞や信濃毎日を組み合わせるのが定石です。

 その点では、ネットというのは全国カバー率100%のメディア。これは、考えるとすごいことなんですよね。よくマス広告とネット広告というように二分法的に語られますが、マスという言葉がリーチを意味しているのであれば、その二分法は間違っています。私の感覚では、Yahoo! JAPANのトップページは日本有数のマスメディアです。

 ネットメディアは、ユーザの属性で切るメディアですよね。はてなはプログラマーや理系的な職業が多いとか、MSNは案外、ネットの初心者が多いとか(これは、PCを買ったときの設定をそのままで使うことに起因しています)。でも、これからは、ユーザがそのメディアに接触するときの心理的な要因で切るメディアプランニングが必要になるような気がしています。多くの人は、ココフラッシュを見るときと、はてなブックマークを見るときと、mixiを見るとき、asahi.comを見るときの心理は違います。見るメディアによって、心理状態は同じ一人の人でも違うはずです。であれば、広告のアプローチは違ってくるはずなんですよね。

 その考え方は、他のメディアにも当てはまるんですよね。例えば、日経コンピュータや日経エレクトロニクスのような専門誌。普通に考えれば、そこでは情報を探しているという心理状態ですよね。だから、広告も情報を載せる。正解です。でも、もうひとつの可能性があって、その読者は、プログラマだったりエンジニアだったりしますが、彼らにとって、専門誌は日常でもあるのです。日常は、人間が人間らしくいられる場所です。ならば、その専門誌で人間を描く。つまり、日々の厳しい業務の愚痴から入ってみる。

 とあるバックアップソフトウェアの広告で「社長、もういっぱいいっぱいです。」という人間くさいヘッドラインの広告を掲載したとき、たくさんの反響をいただきました。広告主から、顧客企業のIT担当者の机に切り抜きを貼っている人がいたなんてうれしい報告も聞きました。製品も売れましたし、なんか情報ばっかりの専門誌の中で、ひとつの抜きになったんだろうな、なんて今思っています。

 ちょっとまとまりがなく、ブロガーとしては、それぞれをひとつのエントリにして、分けて書けば明快でいいんだろうな、なんてことも思わなくはないですが、まあ好きでやってるブログだし、書いてる本人の頭の中がぼんやりしてるので、こんなごった煮な感じもいいかな、なんて思いますし。私はどちらかというとAMの深夜ラジオ的なんでしょうね。まあ、それはそれでしゃあないかなあ。ほんとはもっとなんというか、クールに知的に書きたいんですけどね。ではでは。

関連エントリ「そういうことなんやあ。
関西と関東で2ちゃんねるという言葉の肌感覚が違うんですよね。きっと2ちゃんねるというネーミングは関西では生まれなかったんでしょうね。よろしかったら、あわせてどうぞ。

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2007年12月26日 (水)

小田さんとプロフェット5

 ちょっとシビアなビジネスの話をした後、自宅へ戻りテレビをつけると小田和正さんが山口百恵さんの「秋桜」を歌っていました。老けたなという思いと、変わらないなという思いが交差しながら、なんだか複雑な気分になってしまいました。私は、小田和正というアーティストをずっと追いかけてきたわけではありません。正直言えば、オフコースが4人になった時点で、私は小田さんの音楽を追いかけることをやめてしまいました。

 さだまさしさんと小田さんがオフコースの話をしています。お互い軟弱って言われてたね、なんて。オフコースは上手かったな、俺たちはしゃべるしかないもんな、というさださんの謙遜。

 アコースティックギターを抱える小田さん。オフコース解散後、小田さんはソロアーティストとして素晴らしい才能を発揮しました。今、さださんと「Wow Wow」という曲を演奏しています。私にとって、もはやこの曲はCMの曲だけど、こうしてあらためて聴くといい曲ですね。なんとなく、コード進行が「NEXTのテーマ」に似ていますね。

 私にとっての小田和正さんは、白髪交じりの物静かな表情で、プロフェット5を弾く小田さん。オフコースの小田和正さんです。アコースティックギターも、アコースティックピアノも、テレキャスターも、自分のために弾く楽器です。けれども、アナログシンセサイザーの名器、プロフェット5は、小田さんにとって、きっと、オフコースというグループのために弾く楽器。

 「ドラム、大間ジロー。ベース、清水仁。ギター、松尾一彦。鈴木康博。小田和正。オフコースでした。どうもありがとう。」あんなにおしゃべりが下手だった小田さんが、今や、当代きってのおしゃべりおじさん。時の流れは、人を変えてしまうのか、それとも、あの頃からそうだったのか。きっと、正解は後者でしょうね。

 そんな小田さんは今も歌います。

 「あなたに会えて、本当に良かった。うれしくて、うれしくて、言葉にできない。」

 オフコースというグループは、いま思えば変わったグループだったと思います。アルバムのタイトルに「Three and Two」という自分たちにしか関係がない名前をつけるくらいですから。小田とヤスのオフコースから、5人のオフコースへ。それを、「We are」という前に、まず「Three and Two」と宣言することから始めるのですから。そんなもん、知らんがな、です。でも、そんなところがオフコースらしいな、小田さんらしいな、と思います。

 小田さんとプロフェット5。

 あの頃の小田さんにとって、プロフェット5は、個人が個人主義を超えていくための触媒みたいなものだったのでしょうね。世界でいちばんのオフコースファンは、きっと私でもなく、あなたでもなく、小田和正さんだったような気がします。今、その幸せな、そして、悩み多き青の時代を経て、ひとりのソロアーティストとして、音楽仲間とともに歌う小田さん。クリスマスの約束2007。いいテレビ番組ですね。本当にいいテレビ番組だと思います。

 小田さんがもう弾くことがなくなったプロフェット5。私は、あの、ある意味ですごくチープな音だけど、なぜか妙な味のあるアナログシンセサイザーの音が大好きです。

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2007年12月25日 (火)

コピーとデザイン。

 コピー。コピー機のコピーと意味は一緒。copy=対象を正しく再現するということ。デザイン。de=否定、再構成。sign=記号。つまり、design=記号の再構成。今ここにあるものを否定し、再構成する営み。人間の心の複雑を切り取って、できればそのまま再現したいコピーライターと、そんな混沌を再構成して、整理して、新しい世界を作り出したいデザイナー。なるほど、広告には、人間の欲望のすべてがいい案配で入ってますねえ。

 緻密に正確に生々しく感情や現象を表現したいという欲望と、そんな混沌とした感情や現象を整理して再構成したいという欲望。矛盾する二つの欲望は、ちょうどコインの裏表のように人間に存在しているように思います。コピーする。デザインする。それは言葉とビジュアルという表現の手段を超えた、表現の方法のような気がします。言葉によるデザインもあれば、ビジュアルによるコピーもある。ただ、言葉は指示性が高く、ビジュアルはそのもの自体が対象になりうるので、言葉はコピーが得意で、ビジュアルはデザインが得意ということはあるけれど。

 現実の混沌を具体的な事実性から抽象化する言葉は、デザインという行為なのでしょうし、現実の混沌を心の具象として描くビジュアルは、コピーという行為なのでしょう。しかしながら、コピーという行為は、現実の再構成というデザインという行為を含むし、デザインもまたしかりです。コインの裏表である。ということは、面には必ず裏があるということを意味しているからです。

 例えば、なぜこんなことを私は書きたいのかを考えてみるとよくわかります。きっとそれは、自分の頭にある混沌とした思考をできるだけ正確に書き写したい、つまり世界に伝えたいということであるけれど、それは、その混沌とした思考を言葉によって整理、再構成し、現時点での、私にとっての新しい世界を、言葉によって出現させたいということかもしれません。

 マーケティングの一手法としての広告が、なぜコピーとデザインを基礎とするのか。それは、きっとものを届けたい企業の欲望の混沌と、ものを手に入れたい消費者の欲望の混沌を、できるだけ正確に生々しく再現したうえで、新しい欲望のカタチとして再構成するという、コピー/デザインが必要だからのような気がします。ちょっとこじつけっぽいけれど、広告とは、企業と消費者の欲望が統合された、新しい人間の欲望と言えるのかもしれません。その新しい欲望の誕生する瞬間は、市場と呼ばれるものが誕生する瞬間なのかもしれません。

 そうした視点でもういちど、自分のつくった広告を含めた、世の中の広告を眺めてみると、そこに企業の欲望と消費者の欲望が統合された、新しい欲望のカタチであることが、よく見えてくるような気がします。それとともに、まだ言葉にはできないけれど、よくできすぎた広告があまり効果を生まずに、隙がある広告が、作り手の意思を超えて受け入れられる、奇妙な出来事の理由がわかるような気がしてきます。新しい欲望のカタチである広告、それがまさに人間であるとするならば、ちょっと隙があるくらいのほうが受け入れやすい、みたいなことなんでしょうね、きっと。

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2007年12月24日 (月)

音楽家になりたかった。

 私の場合、無制限に自我を拡張させると、そんな言葉が出てくるように思います。いつもは気持ちを抑圧しているから、出てこないけど。大人だからね。絵画でもなく、言葉でもなく、やっぱり音楽。言葉は指示性がつきまとうから、どうしても対象に対して語るという構造から逃れられないような。文学であっても、言葉は大きな意味で批評なのでしょうね。
 音楽。無意味なところがいい。音階の上下。その意味のない空気の振動による現象を意味づけ、体系化したのは、きっと言葉だとしても、その音楽という空気の振動で構成された芸術は、文芸みたいな個に還元されてしまうものではなく、もっと無意味で、だからこそ、文化や言語圏を超えるオープンな普遍化への道筋が含まれているように思います。なんだろう、この音楽という無意味な空気の振動が持つ共感は。
 ジャズ。それは、ある意味では言葉。誰かの格好いいリズムやフレーズを共有し、模倣し、その営みの中から新しいリズムやフレーズが出てくる、言葉の運動。4ビートという言葉の体系。ブルーノートスケールという言葉の体系。そんな言葉体系、文化体系を静かに壊していく者。マイルス・デイビス。ビル・エバンス。新しい言葉を見つけるために、新しい言葉の体系を創造するために、彼らが見つけたもの。それは、西洋が近代以前に持っていた言葉の体系だった。モード理論。例えば、Dドリアンというモードで演奏されるモードジャズは、コード進行から自由に解き放たれ、旋律の覇権を宣言したように見える。新しい興奮がそこに生まれる。言葉は、その興奮が、じつはCメジャー=ドレミファソラシドという覇権文化に対するDドリアン=レミファソラシドレという旋律の違和感でしかないことを暴き立てます。
 しかし、それでも、そこから生まれる音の振動は、何度も繰り返し演奏されてきた凡庸な12小節ブルース進行が持つ共感と同質の共感であること、音の絶対性の前で、すべての優れた音の振動が等価であることが、他の芸術にはない音楽の独自性のように思えます。ジョン・コルトレーンの音は、今も当時と同じ熱量で私に迫ってきます。そして、繁華街の道ばたで演奏される名前の知らない若いブルースマンの音も、そのブルースマンなりの音で迫ってきます。彼が明日奏でる音は、きっと違う。質の違いはある。けれども、所詮は空気の振動であるという等価性。音楽って何だろう。
 音楽は言葉によってつくられ、音楽は言葉を超える。そして、音楽は言葉になる。それを言葉の側から見るとき、いつも音楽は憧憬として映っている。それを音楽の側から見るとき、言葉はどんなふうに見えるんだろうと、ときどき思います。音楽家になりたかった。今、私が言葉を操ることができるくらいのちっぽけな能力くらいでも、音を操る能力が私にあれば、人生は違った風景に見えるに違いないのに。音楽の神様には愛されていないと心底悟らされた私は、音楽への憧憬を抱きながら、そんなことをときどき思います。そう言えば、もしもピアノが弾けたなら、という歌がありましたね。

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2007年12月23日 (日)

まなめさんの素敵な企てに私も参加してみよっかな。

 なんて気軽な気持ちで、まなめさん「304 Not Motified」の年末恒例企画(私の希望です!まなめさんよろしくです)にトラックバックをしてみます。私は、今年の6月からブログを始めたので、みなさんにくらべてまだまだ経験は足りないですが、始めた感想としては、始めて良かったなあなんて素直に思いますです。今まで考えなかったことも考えるし、自分で書くと、人さまのブログも、なるほどなあ、そう考えるのかあ、なんて感動も深くなりますね。

 私のブログはタイトルにもあるように広告系ブログっぽいんですが、こう振り返ってみると、広告の話はほんと少ないんですよね。ほんと、いろいろ。思いつくままにつらつら書いてます。わりかし頻繁に書くようにしていますので、読み返してみると、その日のココロの状態が反映されてて、この日はちょっとイライラしてたなあなんてエントリもありました。集中的にインタラクションとは何かと考えている時期もあれば、ジャズのことばかり考えている時期もあって、日々の生活感が見えるところなんかもブログっぽいなあ、と思います。

 で、いよいよ2007年の自選おすすめエントリーベスト3です。

1.人間のタイプをOSで言うと‥‥

 正直、このとき書くことがなくて困っていたんですね。で、昔から飲み屋とかで話す持ちネタを書いてみたんです。「はてなブックマーク」というサービスの存在を知ったのは、このときかなあ。このエントリもおすすめですが、「はてなブックマーク - 人間のタイプをOSで言うと‥‥」もおすすめ。ニコニコな気分になります。

2.「いいプレイをする奴なら、肌の色が緑の奴でも雇うぜ」by Miles Davis

 このエントリは私のブログでいちばん読まれたエントリです。でも、私にとって印象深いのは、はじめてビル・エバンスカテゴリーのエントリで注目されたエントリなんですね。じつは、ブログを始めた動機のひとつにビル・エバンスについての評論が書きたいというものがあったんです。でも誰も読んでくれなくて、他のエントリとくらべるとかける労力が少しばかり多いので、さみしいなあと思っていたんですね。でも、これマイルスの話なんですよね。天国でエバンスが苦笑してそうです。

3.プレゼンの時、声が震えて、心臓がバクバクして、汗が噴き出し、自分で何を話しているのかがわかんなくなって、会議室から逃げ出したくなることはありませんか。

 このエントリは、かつての自分に向けて、つまり、今仕事でプレゼンをしなければならないけど苦手だと思っている若い人に向けて書きました。ウェブって、プライベートなメディアだから、プライベートな悩みなんかを探したりします。例えば「声が震える」とか「心臓バクバク」とか。だから、あえてタイトルも長めにして、多くの人に届くようにしました。時たま、アクセスがあったりすると、名も知らないその人にがんばれよって声をかけてあげたくなります。

 という感じですが、いかがでしょうか。クローズなmixiのようなコミュニティも暖かくていいけど、オープンな場の中で、お互いがこうしてゆるやかにつながれる、こういうブログのつながりもいいものだなあと思います。こうして振り返る機会を与えてくださったまなめさん、ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。

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2007年12月22日 (土)

青空と人生と

 私の歌で何ができただろう

 という歌詞で始まるこの歌を小田和正さんが書いたのが、まだ20代後半。この頃、小田さんはきっとオフコースがあんな人気バンドに成長するだなんて、思いもしなかったはず。

 あなたが思うほど私は強くない

 そう、小田さんはそんな言葉をささやくような声で歌う。その思いは、きっとオフコースが時代を象徴する人気バンドになり、大切な友が去り、それでもなおオフコースというバンドを維持し、そして解散し、ひとりになって、60歳になり、それでもなおラブソングを歌い続ける今も変わらないだろう。

 「青空と人生と」は1976年に発表されたオフコースのアルバム「Song is Love」に収録されている。B面の3曲目。短くて地味な曲。朋友である鈴木康博さんの繊細のギターが、小田さんのか細い歌声に幾重にも重なっていく。見果てぬ夢。それは、きっと友である鈴木さんと一緒に見ていた夢だったんだろうと思う。

 それでも私は歌い続けてゆけるだろう

 青空と人生とあなたを歌っていたいから。短いこの命、終わるときまで。小田さんと鈴木さんの声がユニゾンで響き、この歌は終わる。オフコースはきっと再結成しないだろう。それは、いろいろな意味でさみしいことではあるけれど、それもひとつの人生なのだろう。それでも小田さんが歌い、鈴木さんが歌い続ける。それでいいのだろう、と私は思う。

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2007年12月20日 (木)

男らしいってわかるかい

 私が好きなミュージシャンのひとりに大塚まさじさんがいます。ご存知ない方も多いかと思います。その昔、大阪の難波に「ディラン」という喫茶店があり、そのマスターが大塚さん。そして、その仲間である永井ようさんと組んだデュオが「ディランⅡ」というバンドです。そして、「ディランⅡ」解散後、大塚さんはソロになりました。今もギター片手に全国を旅して歌ってらっしゃいます。ウィキペディアを引用するのもなんですから、昔、JICC出版局から1988年に出版された「大阪呑気大事典 大阪オールスターズ編」から、大塚さまじさん本人が書かれた「ディラン」の項を引用してみます。

【ディラン】でぃらん[個] 一九六九年夏、大阪は南、難波元町にできた喫茶店の名前、たった4坪という店としては最小のスペースだったが、夜には行き場を失った若者達が集い、時にはライブハウス、ある時はギャラリー、又ある時は芝居小屋と、まるで走馬燈のように、時代をそこに写し出していた。一九七〇年から十年間つづいたコンサート、”春一番”もこの店から始まった。当時誰もが口ずさんだ名曲「プカプカ」もこの店で西岡恭蔵が書いた。もう一九年も前の話、僕はまだ十九だった。この店もいまはもうない。(大塚)

 これが書かれた1988年から19年の月日が経ち、やっぱり今も喫茶店「ディラン」はないけれど、「春一番コンサート」は復活しています。私は、大阪の服部緑地公園でゴールデンウィークに行われるこのコンサートで大塚さんの歌を聴くのが毎年の楽しみのひとつです。お亡くなりになった西岡恭蔵さんがお書きになった「プカプカ」も大塚さんのヒットナンバーです。「♪俺のあんこは煙草が好きで いつもプカプカプカ」という歌です。聴いたことのある人も多いかもしれませんね。その昔、「東のはっぴいえんど、西のディラン」と言われていたんですよ。

 そんな大塚さんの曲の中で、私が大好きな曲があって、それが「男らしいってわかるかい」という曲。この曲は、ボブ・ディランの「アイ・シャルビー・リリースト」を大塚さんが日本語訳したものです。けれども、この歌詞は、原曲の歌詞とはまったく違う、大塚さんの世界なんですね。喫茶店「ディラン」で大塚さんが勝手に歌詞をつけて歌っていたんじゃないかなあ、なんて想像しているのですが、どうなんでしょうか。

変わっていくなんて きっとないぜ
君の世界なんて ほど遠い
でも俺をこんなに 変えてくれた
昔の友がいるんだ
 
朝日は もう昇るよ
少しずつだけどね
そのとき その日こそ
自由になるんだ
 
ヤツらは楽な方を 取るのさ
誰とでも 手をつなぎながら
でも 俺は断じて俺の
考え通りに生きるんだ
 
朝日は もう昇るよ
少しずつだけどね
そのとき その日こそ
自由になるんだ
 
男らしいって わかるかい
ピエロや 臆病者のことさ
俺には聞こえるんだ 彼らの
おびえたような鳴き声が
 
朝日は もう昇るよ
少しずつだけどね
そのとき その日こそ
自由になるんだ

 いい歌詞だと思いませんか。私は、いつも心が弱ったときに、この曲に励まされます。人のいない夜道なんかでは、歌いながら歩いたりすることもあります。近所迷惑ですね。「男らしい=ピエロや臆病者」というのがいいですよね。私、最初にこの曲を聴いたとき、ちょっと誤解して解釈してました。男らしいなんて、所詮、ピエロや臆病者のことなんだよ。男らしいなんて意味がないっていうふうに。でも、違うんですよね。男らしいとは、心で泣いていても、どんだけ心が臆病になていても、そんな自分を人に見せずに、誰にでもやさしい笑顔を見せるピエロみたいなものなんだよ、という意味なんですよね。

 ずっと誤解して聴いていたこともあって、それに気づいた時、私はそう解釈していた自分をものすごく恥ずかしいと思いました。いつも不機嫌にしていた自分が、文句や理屈ばっかり言っている自分が、情けなくなりました。男らしくないなあって。今日も、あと数時間で朝日が昇ります。これを読んでくれた人をとりまくそれぞれの環境が、少しでも自由になりますように。ではでは。

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2007年12月19日 (水)

ゆうこりんさんがこりん星の話をするとき、ネタですって顔をするのが少しさみしい師走です。

 なんとなくそう思いました。落ち。特にありません。忙しいですね。師走ですからね。最近のお気に入りは、YUKIさんの「ワンダーライン」です。オリコン初登場3位でした。あのメロディや音づくり、アレンジは、私の世代の耳にやさしい感じがします。90年代サウンドという感じでしょうか。私は、あの曲を聴いて、小川美潮さんを思いだしました。小川さんは、今年の春一番コンサートで観ました。久々の小川さんは、よりアバンギャルドになっていました。

 そう言えば、某ビジネス誌に、どこかの飲料メーカーが広告効果の試算したとの記事が出ていましたが、テレビ、交通広告が消費喚起には効いて、ネットはいちばん低かった、とのこと。ネット広告万能の死角という見出しが踊っていましたが、まあ、ライバル飲料メーカーの広告戦略とかの文脈なんでしょうが、ちょっと煽りすぎの感が。広告業界の中でもホリスティックとかの用語が一人歩きし始めて、禅問答的になっているので、ちょっと冷やしたい気分もあるのでしょうけど。

 CGM的な環境の中では、広告のライバルは面白コンテンツだから、広告はあたかも広告でないような振る舞いを強いられるし、その感じは、広告であることを強いられがちな今の環境から観ると福音っぽくみえるから、広告制作者にとっては魅力的ではありますが、私は、広告でございますよって顔をして、それでもって広告として面白い、を目指したいな、と思います。当たり前田のクラッカー、みたいな。たったの3分親子丼、みたいな。

 年末進行、年末進行、であっという間に今年が終わりそうですが、来年はそんなこんなを、もっと整理して考えて実践していきたいな、と思っております。新幹線のチケットを買わなきゃ。新大阪まで立ち席は、そろそろつらいお年頃ですから。みなさま、よいお年を、と締めたい気分になってきましたが、年内、まだまだ書くと思いますので、みなさま、お風邪などひかないようお気をつけて。では、では。

追記(14時):
で、新幹線のチケットを買いに行ったら29日は、
東海道新幹線下りの指定席がほとんど埋まっていました。
グリーンは直前まで大丈夫っぽいけど、
新幹線のグリーンはなんかあまりあの価格差を
出すだけのメリットなさげ。
なので早起きして朝8時ごろ東京発ののぞみに乗る羽目に。
帰省等でご予定のある方は、
お急ぎになったほうがいいかもしれませんよ。

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2007年12月16日 (日)

かつて、ビル・エバンスがアメリカの片隅で日本の芸術のことを書いたように。

 ビル・エバンスは、自身がピアニストとして参加したマイルス・デイビスのリーダーアルバム『カインド・オブ・ブルー』(1959年)のライナーノーツに文章を書いています。このアルバムは、ハードバップ全盛時代に、モード手法といった新しい音楽理論のジャズへの適用など、新しいチャレンジに満ちた、現代ジャズを考えるとき、決して外すことができない、とても重要な記念碑的な名盤。すごくクールで美しい音楽に満ちています。ぜひ、聴いてみてください。ジャズを知らない人でも、聴きやすいと思います。エバンスの書いた文章の出だしの部分を引用します。

Improvisation In Jazz by Bill Evans
 
There is a Japanese visual art in which the artist is forced to be spontaneous. He must paint on a thin stretched parchment with a spacial brush and black water in such a way that an unnatural or interrupted stroke will destroy the line or break through the parchment. Erasures or changes are impossible. These artists must practice a particular discipline, that of allowing the idea to express itself in communication with their hands in such a direct way that deliberation cannot interfere.

 
(私訳)ここにひとつの日本絵画がある。その絵画において、描き手は、無意識であること、自然であることを強いられる。ごく薄くのばされた紙に、特別な筆と黒い水を使って描いていくその絵画では、筆運びが少しでも不自然だったり失敗したりすれば、たちどころに線は乱れ、紙は破れてしまう。そこでは、もはや消去や修正は不可能なのだ。描き手は、特別な鍛錬を積まねばならない。自らの手と交感しながら、頭の中に生まれた着想を瞬時に紙の上に定着するために必要な特別な鍛錬を。

 この日本絵画とのアナロジーから、若き白人ジャズマンであるビル・エバンスは、ジャズにおけるインプロビゼーション(即興)の概念を語っていきます。西洋音楽の素養を持つエバンスはきっと、西洋音楽の建築的な構築性のアンチテーゼとしてのジャズのインプロビゼーションを、西洋絵画の建築的な構築性のアンチテーゼとしての日本絵画に、その構造的な同一性を見いだしたのでしょう。エバンスの音楽に魅せられる日本人としては、この文章は誇らしくもあり、日本人がジャズを語る(あるいは演奏する)意味みたいなものを与えてくれます。一気に、エバンスに親近感が沸くというか。なんか、単純にうれしいですよね。

 エバンスが、当時のキャリアと照らしあわせてみて、少しばかり背伸びした文章を書いた背景には、当時のジャズという音楽を取り巻く空気があったとのことです。それは、ジャズは黒人だけの文化であり、芸術であるという空気です。(詳しくはこちらのエントリーをご参照くださいませ。)要するに、白人であるエバンスは、ジャズを音楽性や芸術性のコンテクストに引き戻したかった、みたいなことです。

 マイルスにとって、エバンスという白人ピアニストを起用するのは勇気のいることでした。それにエバンスは、若いときは無口で少し暗めで繊細な「硝子の少年」だったそうです。録音の時も、少し毒舌気味のマイルスは、そういうエバンスの緊張をほぐすために、よくからかっていたそうです。そんなエバンス青年の少し背伸びした、そして当時の空気を考えると少し勇気のいったに違いないこの文章を自らのリーダーアルバムに掲載するマイルスもなかなかなもんだなあ、と思います。マイルスが、この文章を読んで「エバンスらしいよなあ」と頬を緩ませている姿が目に浮かびます。

 少し話は脱線しますが、エバンスは、通説によれば、急進的な黒人運動家たちのバッシングにあって、マイルスバンドを脱退します。エバンスとマイルスは、その後、演奏家としては交わることはありませんでした。エバンスは、アコースティックジャズを貫き(中期にはローズを使った妙なアルバムもありますが)、マイルスはエレクトリックジャズの先駆者になりました。お互いに才能と個性のあるジャズマンですから、啓して遠ざかるという感じなんだろうなと思います。

 でも、ああいう陽性な性格のマイルスですから、いろいろやんちゃなエピソードもあったようで、例えば、『モントルージャズフェスティバルのビル・エバンス』で共演したドラマーのジャック・ディジョネットは、このライブの直後にマイルスに引き抜かれます。マイルスらしいなあ、と思います。マイルスは子供っぽい無垢さがある人ですからね。エバンスはああいう性格ですから「まあ、マイルス兄さんが引き抜かはったんやからしゃあないわなあ」みたいな感じだったんではないかと想像します。でも、エバンスファンとしては、あと3枚くらいはゴメス、ディジョネットのエバンストリオを聴きたかったなあ、と思うんですがね。歴史にたらればはないですけど。

 それにしても、訳してみて思ったのは(本当は全文を訳してみようと思ったんですが、力尽きました。いい文章なので、それは追々やっていきます。)、彼が残した書き言葉には、やはり孤独なひとりの人間としてのビル・エバンスが見えますね。特に、それが書かれた状況や背景に思いを馳ながら読むと。インタビューにはない書き言葉の特徴ですね。

 思考(=書き言葉として現れるもの)というものは、本質的に孤独なものなんだろうと思います。そんなことはこの英語の原文には少しも書かれていなかったのであれですが(笑)、なんとなくそんなことを読みとってしまいました。私にとって、ブログを書くことは、ログを重ねるという時間の連続性の中で、孤独な思考を書き綴って、自分自身の成長の糧にするというか、そんな感じです。48年前のビル・エバンス青年の孤独な思考に、48年後の日本の片隅でブログに書き言葉を綴る私は、ほんの少しだけ勇気づけられた気がします。

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2007年12月14日 (金)

吉田という男の話。

 その男は、大学時代の同級生で、弁護士を目指していた。同じ関西出身ということもあり、すぐに気があう仲になった。
 吉田は弁護士になり、私は広告屋になった。
 私が再び仕事で東京に出るときに、東京での住まいが決まるまで、当時、司法修習生だった吉田のアパートに一週間ほど居候をさせてもらった。それが、吉田との最後になってしまった。
 あれから、お互い仕事が忙しくなって、連絡もとらなくなった。便りがないのは元気な証拠なんて気取っていた。吉田が亡くなったのを知ったのはネットだった。毎日新聞神戸版のニュースになっていた。
 あのニュースを見てから二年が経って、弁護士時代の吉田を知る弁護士さんのブログを見つけた。吉田を、人間として、弁護士として敬愛し、哀悼する言葉がそこに綴られていた。
 吉田の口癖は、いつも、「がんばっとるか」だった。大学時代、ふさぎこんで六畳一間アパートにしばらく引きこもってると、深夜、なんの連絡もなく、酒と食べ物を持ってアパートに来てくれた。第一声は「がんばっとるか」だった。そんなことを思い出した。
 おう、吉田、がんばっとるよ。そっちはどう。こっちは、いろいろあるけど、それなりに元気にやっとるから、心配すなよ。風の噂じゃ、あれから一生懸命がんばったみたいだから、しばらくゆっくり休めよな。じゃあ、またな。

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2007年12月13日 (木)

孤立無援の思想

ところで、その青年に対して自然の美に心を奪われるよりは政治問題について考慮すべきだと薦めうる確固たる論理が本当にあるのだろうか。 (中略) これも拒絶し、あれも拒絶し、そのあげくのはてに徒手空拳、孤立無援の自己自身が残るだけにせよ、私はその孤立無援の立場を固執する。

高橋和巳『孤立無援の思想』より

 もしかすると私の世代が最後かもしれませんが、学生なら、とりあえず高橋和巳さんの『孤立無援の思想』とか、高野悦子さんの『二十歳の原点』を読んどけ、みたいな感じがありました。とは言っても、大学時代が1987年からなので、バブル期でもあったし、社会人はみな浮かれていましたし、大学でも、少なくとも私のまわりでは政治のせの字もなかったのですが、それでもなんとなく必読書のような感じになっていました。

 この文章の背景には、当時の学生運動や社会運動が、その共通の目的を逸脱し、党派性の問題に擦りかえられていたということがあります。それに、当時は、学生であれば政治運動に関わることが好ましいとされた空気があったことも重要です。政治的にポリシーを持たない学生を「ノンポリ」と揶揄する環境でした。

 団塊の世代やその上の世代を中心に、なにやら昔の学生運動を懐かしんだり、今の若者は戦うことを知らない腰抜けだ、みたいなことを言う人がいらっしゃいますが、私は、その時期に、こうした本が読まれたということを考えても、彼らの言説には、なにか違和感があるんですね。個を圧迫してしまう党派性の問題を捨象しているような気がしてならないんですね。なんとなく、そういう暢気なことを言う人は、この党派性の問題を見ないことにしているような気がします。少し旬を過ぎてしまったけれど、赤木智弘さんの『「丸山真男」をひったたきたい』という論文が投げかけた波紋(『けっきょく、「自己責任」ですか』)を眺めていて、あえて、反論を書かれた文化人ではなく赤木さんを支持するとすると、その部分です。

 というのは、前に『「関係の絶対性」という言葉をあらためて考えてみました。』というエントリを書いた際に、コメントでいただいたのが、いま赤木さんが投げかけている「格差社会」に関連するものだったので(それは、エントリを書いた本人としては予想外でしたが)、今一度、赤木さんの本を読み直したりしたんですね。

 赤木さんの根本的な問いかけに関しては、抽象的すぎてわかりません、というのが私の答えですが、面白く読めたし、赤木さんの現在の立ち位置はいい感じだなあと思えました。格差ということに関して言えば、本当に個人的な経験からしか私は言えない気がしますし、こうして広告代理店の制作マンという職を得ている時点で、何を言っても成功者から(ちんけな成功ですが)の暢気なたわごとになってしまうような気がするんですね。

 私個人としては、社会人になってからの歩みを考えると、少し身につまされる部分はあって、大阪のデザイン会社を退職して東京に出てきた時、東京に職があったわけでもなかったので、次の会社がなかなか決まらなかった時は、本当に、このまま自分はどうなってしまうんだろうという不安がありました。貯金が尽きていくし、お金の部分でどんどん追い込まれていくんですよね。

 新しい会社がなんとか決まって、働き出したとき、交通費を別にして、所持金が300円くらいしかなく、昼飯を抜きにしたりして給料日までなんとか耐えようとしてたときに、上司からクライアントまで届け物をもって言ってくれと言われたときのことを今も思い出します。当然、上司には交通費がないから勘弁してくださいとは言えず、行ってきます、と元気に出て行くわけです。さて、どうしようか。警察に財布を落としたと言ってお金を借りようか。そのとき、私がとった行動は、身に着けていたスウォッチを道行くサラリーマンのお兄さんに500円で売ることでした。今では笑い話ですが、当時はもう脂汗びっしょりなわけです。

 具体的にアドバイスできるとしたら、やっぱり、ネガティブスパイラルから抜け出すためにも、自由になる10万円をがむしゃらに貯めてから、具体的な行動を移すことが大切なことと、借金をつくらないために、質屋さんを積極的に利用することでしょうか。思想的にというか、ごく個人的には、これくらいしか今、私からは言えないです。もし、今、経済的なネガティブスパイラルに陥っている友人がいれば、私はそうアドバイスします。それと、お金をかすかどうかは「関係の絶対性」が決めるんでしょうね。そして、私にはまだあまりにも認識が薄すぎて何もいえないですが、格差を軽減するためには、具体的な社会システムの問題として具体的に提言していくしかないのだろうなと思います。

 最後に、『孤立無援の思想』が入っている旺文社文庫(今はもうないんですよね)を本棚から引っ張り出してきて読んでみた感想。学生のときより、今のほうがよくわかる気がします。なんとなくですが、大塚まさじさんの『男らしいってわかるかい』みたいな感じですね。この曲は、ボブ・ディランの『アイ・シャルビー・リリースト』を大塚さんが日本語訳(といってもほぼオリジナルな感じですが)したものです。

奴らは楽なほうをとるのさ 誰とでも手をつなぎながら
でも俺は断じて俺の 考えどおりに 生きるのさ

朝日はもう昇るよ 少しずつだけどね
そのとき その日こそ 自由になるんだ

男らしいってわかるかい ピエロや臆病者のことさ
俺には聴こえるんだ彼らの おびえたような泣き声が

朝日はもう昇るよ 少しずつだけどね
そのとき その日こそ 自由になるんだ

大塚まさじ『男らしいってわかるかい

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2007年12月11日 (火)

変えないほうが、ほんとはたいへん。

2007y12m11d_214047988  変えることは、案外、簡単だったりします。ポジティブな理由がつけやすいし、なんとなく前向き感がありますし。一方で変えないことは、理由がつきにくいし、なんとなく保守的だねえ、なんていろんな人から言われそうですし、それに変えないことで儲かる人も少ないですし。

 でも、本当は変えないほうがいいことも世の中にはたくさんあるんですよね。スケッチブックやルーズリーフで有名なマルマンという会社のウェブページを見ながら、そう思いました。ちなみに、ゴルフクラブで有名なマルマンとは別の会社です。写真は、そのウェブページにあったスケッチブックのバナー画像。この黄色と黒の表紙、見たことある人も多いかもしれません。絵を描くのが好きな人は特に。

 広告屋さんは、変えましょうと言いたがる商売です。変えましょう、から始めないと、何も始まらないとこも多いんですね。競合コンペで、今までのままでいいんじゃないですか、なんて言えないんですよね。このスケッチブックのデザインって、見た目は、はっきり言って少し古くてやぼったい。普遍的でベーシックな、長持ちするデザインでもない。デザインをリニューアルするべきかどうかの検討材料に何度もなってきたことだと思います。きっと、私たちのような広告屋さんからも、何度も提案を受けたことでしょう。

 でも、このスケッチブックは変わらなかった。スペシャルサイトを見ていただくと、その変わらなかったことを祝福したい気持ちになってくると思います。ウェブ広告としては、新しい手法やテクノロジーを使っているわけではないけど、とても素敵です。真面目に、誠実に、商品を語っている、すごくいい広告だと思います。愛情がこちらに伝わってくるんですよね。

 どんな人がつくったのかはよく知らないけれど、これを作ったマルマンの人と、これにかかわった広告マンは、幸せな仕事をしているなあ、と羨ましく思います。50周年、おめでとうございます。そんな言葉を、多くの人に愛されてきた、この黄色と黒のスケッチブックにかけてあげたくなりました。

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2007年12月10日 (月)

オフコースは絶対に再結成しないと思うけど‥

 私はオフコースファンです。これ、私の世代では、男性が言うのは勇気がいることだったんですよね。あんななよなよした音楽が好きだなんて信じられない、と言われた時代がありました。きっと、タモリさんの影響ですよね。とりみきさんの漫画で、こういうのがありました。山下洋輔さんがフリージャズのコンサートで過激な演奏をして、終わって家に戻る。高級ステレオセットの前でブランデーグラスを傾けながら、山下さんが一言。「オフコースっていいなあ‥‥」

 あっ、若い人はわからないかもしれないので、いちおう言っておきますと、オフコースというのは小田和正さんがいてたバンド。いま「生まれくる子供たちのために」がカバーされてますが、あの曲は、もともとオフコースの曲。もともとオフコースというバンドは、小田和正さんと鈴木康博さんが中心になってつくったもので、ずっとずっと2人でやっていたのですが、後半は5人になって、人気絶頂の頃に鈴木さんが脱退。すこし休止して、4人の時代がありました。

 小田さんと鈴木さんは高校時代の同級生で、彼らはPPMとかのモダンフォークの影響を受けて音楽を始めました。モダンフォークというのは、ギターの演奏とハーモニーが緻密なフォークで、なんとなく知的で上品な感じがする音楽です。私は、このモダンフォークの影響が感じられる初期の頃から正式に5人になってロックっぽくなっていくまでのオフコースが好きです。アルバムで言えば「Song is Love」とか「Junktion」とか「FAIRWAY」とかの頃。4人になってからは、正直あまり興味がなくなってしまいました。

 要するに、私にとってのオフコースとは、小田さんと鈴木さんのオフコースなんですよね。鈴木さんはギタリストであり、ボーカリストでもありますが、とりわけ編曲のセンスに優れている気が私はしています。小田さんの曲でも、ソロになってからの編曲と、オフコース時代の編曲を聴き比べてみると、それがよくわかります。

 そんなオフコースですが、なんだかんだあって鈴木さんはオフコースを離れてしまうわけですね。その経緯なんかは、有名な話だし、本人たちはあまりおしゃべりではないから、尾ひれはひれがついて諸説ありますから、それを調べていただくとして、それを考えると、オフコースの再結成はないと思うんですね。別に、あいつとはもうやりたくないという感じではなく、関係の絶対性がそれを許さないというか。

 それはたぶん、私のようなファンには知り得ない感情でしょうし、それはきっと互いの人生の大切な何かが再結成を拒むということでしょうね。でも、なんとなくもう一度、小田さんと鈴木さんのオフコースを見てみたい気がするんです。できれば、2+3の編成で。私は実際に見たことはないけれど、田園コロシアムのコンサートみたいな感じで。もしくは「小さな部屋」みたいな感じでもいいし。でも、実際、もし再結成をするとなると、プロモーション側は、あの武道館の再現になるんでしょうね。そうなると、なんかそれは生っぽいなあ。4人のオフコース時代の曲はどうするんだという問題もあるし。そういうビジネスっぽい生っぽさも再結成を拒むんでしょうね。

 私が見てみたいコンサートのセットリストは、こんな感じです。

1曲目 「やさしさにさようなら」
2曲目 「心は気紛れ」
小田さんMC :こんばんわ、オフコースです。
3曲目 「恋を抱きしめよう」
4曲目 「ランナウェイ」
5曲目 「水曜日の午後」
小田さんMC :ずいぶん昔の曲ですが、やりますか。ヤス、準備OK?
鈴木さん、笑顔でOKサイン。
6曲目 「僕の贈りもの」
7曲目 「でももう花はいらない」
8曲目 「秋の気配」
舞台暗転。スクリーンに映像が映し出される。
9曲目 「思いのままに」
10曲目「SAVE THE LOVE」
11曲目「愛を止めないで」
(アンコール)
鈴木さんMC :じゃあ、最後にこの曲を。
12曲目「ヒーロー」

 とまあ、こんな感じです。あの曲はどうなのさ、という声もありそうですが、生っぽいので却下(笑)。最後の「ヒーロー」という曲は、アンコールにふさわしくないかもしれないけど、共作っぽい感じがあって、ほとんど可能性はないけれどたった1度の再結成の最後にはこれしかないと思っています。こう考えると、まるでファンタジーですね。久しぶりに「ヒーロー」を聴いてみたけど、いい意味でも悪い意味でもナイーブだなあと思いました。ほんとに、恐るべきナイーブさです。そんなオフコースには、やっぱり再結成は似合わないかもね。

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2007年12月 9日 (日)

報道特集、見ました?

 いやあ、すごかったですね。リアルでした。お米会社の社長が、家宅捜索が入る前の日の緊急社内会議で「行政とかにびびってどないすんのん?」って言ってましたね。あの録音は初出なのでしょうか。それとも、もう話題になってたりするんでしょうか。あんなリアリティはドラマや映画ではつくれません。あの感じ、なんなんでしょう。心に残る妙なしこりがあります。胸が苦しくなるような感じ。

 私は広告屋ですが、まあ当たり前に、ああいう不正に荷担したくないもんだなあ、ということと、もうひとつ、あの録音みたいなリアリティを表現でつくるのは無理だなあ、ということを思いました。広告もそうだけど、基本的にフィクションであるから、創作者のフィルターはどうしても通ってしまうしね。このブログで書いてきた「リアル」というものが目指すのは、リアリティのある表現ということなんだろうな、と思った次第です。どれだけ精密に設計して演出しても、あのリアルさは出せないですね。

 それと、もうひとつ。本当は、単一ブランド米もおいしいけど、米屋さんの厳選したブレンド米というのは、それを超えるおいしさだそうです。本当のコーヒーは、ブレンドだというように。目利きの人がブレンドしたお米は、それは本当に美味らしいですよ。ブレンド米で勝負しているお米屋さん、がんばってほしいな、と思います。

 このところ、こういう偽装が目立ってきていますね。社会的な背景とか、報道のあり方みたいな意見はうまく解説できませんが、なんとなく、一頃ブームだった「ブランド」ブームみたいなものの綻びなのかなあ、なんて思ったりします。今はそうでもないですが、一頃、マーケティングやクリエイティブの周辺で、口を開けば「ブランド」と言っていた時期がありましたよね。

 そのブランド論の指向性は、積極的に「ブランドをつくっていく」みたいなもんでした。その心意気はわかるんですが、ブランドって、実践とかコミュニケーションの結果を言う言葉ですよね。例えば、素敵な人がいて、その人がいないところで、その友人たちが「あいつは、ああいう奴なんだよねえ」とニコニコしながら話し合うみたいなこと。それがブランドだと私は思っていて。ブランドをつくろうだなんて、おまえは神かと思ってしまうんですよね。

 ブランド広告と製品広告を分ける考え方にも違和感があって、我々がブランド広告と呼んでいるのも製品広告ですよ、と思うんですね。外資なんかだとAbove the line、Below the lineなんて呼ばれ方しますが、ああいう分け方もなんだか時代にそぐわないなと思います。私の日常では、その区分けはほとんどなくなってきました。そういうひとつひとつの実践やコミュニケーションがブランドをつくるのだから、区分けは意味ないです。人でも、TPOで違いがあれど、その人の同一性は保たれていて、その総体がその人をつくりますよね。

 とまあ、本日2つめのエントリを投稿してしまった、リア充できない私ですが、サザエさんも終わったし、さあ、明日は月曜日。もうすぐお正月だし、がんばって元気にいきましょう。ではでは。

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ボクは人の仕事を自分の仕事のように見せるのが得意なだけだよ。

 個人的なことで申し訳ないですが、ここのところ広告制作の仕事の流れみたいなものをどうするかをずっと考えています。個人の資質とかキャリアとかスキルとかパーソナリティがからむ事柄なので、決して一般化できるものではないですが、いろいろな開発手法のやり方をもう一度見直しています。

 膨大で緻密なプログラムを書かないといけなくて、さまざまな機能を盛り込まなくてはいけないソフトウェア開発と、たかが言葉と映像から出来ているだけの広告開発は違うと思うけど、例の「伽藍とバザール」にある「バザール方式」というのは気になるところです。

 リーナス・トーバルズさんは、リナックスプロジェクトにおける自身の役割を聞かれたとき「ボクは人の仕事を自分の仕事のように見せるのが得意なだけだよ」と答えたそうです。なるほど、リーナスさんらしい、いい感じの答え方ですよね。私は、自分の仕事の成果を、こんなふうに答えられるのかな。無理だろうな。やっぱり自我が邪魔しそうな気がします。もしそう言えたとしても、なんかそんなことを言う私って素敵でしょ、みたいな感じが出てしまうんだろうな。顔に思いっきり、私がやりましたって書いてある、みたいな。

 もちろん、広告はコピーレフトとは真逆の権利がちがちの中でやっているし、不特定な制作者を想定するわけにもいかないので、このバザール方式を取り入れるのは難しいとは思うのですが、自身の環境を考えたとき、バザール方式的に特定の制作者の権限や責任を大きくしていってコーディネートするやり方と、伽藍方式的にコーディネートする側が中心となり、細部の細部までコーディネターの指令で制作者を動かしていくやり方との決定的な違いはあるのだろうな、とは思います。

 最近、福岡のGC会社と仕事をしたけれども、それはまさに「早めのリリース。しょっちゅうリリース。」だったし、その甲斐もあって、いい仕事ができたように思いました。もちろん、この仕事はバザール方式でやっているわけではありませんが、こういうことは大事なのかもしれないな、と思います。案外、こういう態度は、近くにいてると出来ないもんなんです。それと、ここで大事なのは、やはりコーディネータなんでしょうね。リナックスでも、リーナスさんがコーディネートをやめていたら、リナックスはここまでの成果を得られたのかどうか。

 その部分については、Wikipedia「バザール方式」にはこうありました。「コーディネータはバザール方式では、重要な意志決定をするわけではないが、プロジェクトの成功に重要な役割を果たす。参加者を良い気持にさせ、褒めて、結果を受け取り採用する。」なるほど、なるほど。そうなんだあ。

 でも、私なんかが、ここで気になってしまうのは、「結果を受け取り採用する」の裏にある「不採用にする」なんですよね。考えるだけで、胃が痛くなります。やっぱり、リーナスさんの人柄なんでしょうね。きっと明るい人なんでしょうね。というより、このへんでエントリの問題設定に無理があるかな、と思えてきたのでこのへんで筆を置こうかな(ってキーボードで打ってるんですけどね)。しかし、組織論と言いますか、このあたりの諸々は、悩ましいですね。仕事より悩ましいかもしれないなあ。ではでは。

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2007年12月 8日 (土)

クリエイティブディレクターって、なんぞえ?

 たまにはブログのタイトルどおりのことを書くのもいいかな、なんて思ったので、広告制作におけるクリエイティブディレクターの役割についてうだうだ考えていこうと思います。

 クリエイティブディレクターというのは、広告制作チームの責任者のことです。例外はたくさんありますが、広告制作チームというのは、クリエイティブディレクター(CD)、アートディレクター(AD)、コピーライター(C)の3人がワンセット。外資系では、このワンセットでCMもグラフィックも作ります。これに日本独自の職種として、CMをつくる場合には、CMプランナー(PL)が入ります。知らない人も多いかと思いますが、欧米にはCMプランナーという職種はありません。

 ちなみに、アートディレクターは、なぜデザイナーではなくディレクターという名称かというと、アートの分野は、印刷やら写真やら、職種の本質がディレクションワークだから。アートの仕事は多岐にわたり、やることも多いから、アートディレクターの下にデザイナー(D)がいることが多いですね。一方、コピーライターは、ディレクションワークはそれほど多くないので、コピーライターのまま。よく、コピーディレクターという職種を広告の業界誌なんかで見かけますが、あれはあんまり意味のない職種です。若手のコピーライターのめんどうを見てるくらいの意味ですね。それと、そこにはコピーライターはアートディレクターと対等なのに、アートディレクターの方が名前的に偉そうじゃん、という気持ちが込められているのかも。

 クリエイティブディレクターは、他の職業の方にわかりやすく言えば、プロジェクトリーダーに当たるのかもしれません。もしくは、部長とか、課長とか。責任者ですね。広告業界がまだ大らかだった頃は、クリエイティブディレクターという職種は必要ありませんでした。アートディレクターとコピーライターの2人でつくるとか、中にはアートディレクターが1人で何でもやってしまうということもありました。キッコーマンのグラフィックで有名な向秀男さんは、そういうやり方でしたね。イラストも言葉もみんな1人でやっちゃう。私たち広告制作者の大先輩です。

 で、クリエイティブディレクターの話。2ちゃんねるなんかでも、必ずクリエイティブディレクターって何なのさっていう話は定期的に出てきますね。まあ、わかりにくいし、不信感を持たれやすい職種ではありますもの。よくいるのは、ラフをちょこちょこと見て「いいんじゃない?じゃ、みんなよろしく。」って夜の街に消えていく人とか。で、その広告が話題になってきたら、私がやりました、みたいな感じで前に出てきて、問題になってきたら、雲隠れ。そりゃ、「CDいらねえよ!」って怒りますわな。

 もうひとつの対極は、本当は、向さんのように1人でみんなやっちゃいたいタイプ。私はじつはこのタイプ。クリエイティブディレクターになる前から、そういうタイプでした。これはこれで問題があって、スタッフがすごく不満をかかえるわけですね。「俺たち、意味ねえよね」なんて。有名なCDは、たいがいこのタイプなんではないかな。

 でも、私の場合は、もっとそれが貧乏くさくて、めんどくさくてややこしい物件が出てくると、「もうええわ、時間ないし、あれやっとくから。」という感じ。気が弱くて、いらち(大阪弁で待てない人のこと)なんでしょうね。私事ですが、こういうやり方を昨日上司に叱られてしまいまして、少し反省。「もうちょっと余裕を持つようにコントロールしてくれ。なんでも自分でやったほうが早いというのはわかるけど、それ、CDとしてはすごく困るんだよ。俺見てたらわかるだろ、な。」なんて、ものすごく疲れ果てた顔で言っておりました。

 私見ですが、クリエイティブディレクターがなぜ必要なのかと言えば、やはり広告に「設計」の部分が重要になってきたからだと思うんですね。時には、広告は必要がないという選択肢も含めて、どういうふうにコミュニケーションをしていくべきなのかを「設計」していく必要が、社会的なコミュニケーション環境からも出てきたからじゃないかと思うのです。もちろん、組織としての責任者の明確化と作業の効率化という内向きな部分もありますが、積極的な意義は、この「設計」の部分だと思います。

 定着した点としての表現の「設計」はもちろん、時間軸の「設計」、空間軸の「設計」などなど、いろいろな「設計」をしていかないと、コミュニケーションが難しくなっている気がします。それに、今やその判断のタイミングはどんどん短くなってきている気がしますし、自分自身もCDの機能の明確化をしていかないと上手く乗り切れないかもな、という実感を持ってきています。アートディレクターやコピーライターの技法なんかは、それなりに歴史もあって、結構教わることはできるかもしれませんが、クリエイティブディレクターの技法なんかは、歴史も浅く、これからケースバイケースでつくっていかないといけないのでしょうね。ここ最近、ちょっとそんなことを考えています。

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2007年12月 6日 (木)

W-ZERO3[es]からココログを更新してみました。

W-ZERO3[es]からココログを更新してみました。
 今、横浜の撮影スタジオにいます。今週は編集やら撮影やらでずっと外出。そんなときこその[es]ではあるんですが、なかなかこれでブログを更新する気にもなれず。せっかくの[es]ですから、たまにはこれで書いてみるか、ということで、QWERTYキーボードでポチポチやってみています。案外いけるもんですね。

 ちなみWERO3メールで書いて、ココログのメール更新サービスを使って更新しようと思っています。写真も[es]で撮影したものを添付。さて、うまく更新できるでしょうか。ちなみに、写真は朝の7時頃のもの。この時間でも影がこんなに長いなんて、もうすっかり冬ですね。

 ところで、私のまわりではインフルエンザが流行りだしているようです。みなさまもお気をつけくださいませ。ではでは。

追記(12月7日):W-ZERO3[es]のメールからのエントリ送信、成功したようです。ただ、写真がでかいです。添付の写真は、そのサイズのまま(?)本文の上に表示されるようですね。こういうケータイメールからの更新を「モブログ」と呼んでいるそうですね。確かに、これくらい簡単だと実用には十分ですね。

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2007年12月 4日 (火)

「関係の絶対性」という言葉をあらためて考えてみました。

 人間は、狡猾な秩序をぬってあるきながら、革命思想を信じることもできるし、貧困と不合理な立法をまもることを強いられながら、革命思想を嫌悪することも出来る。自由な意志は選択するからだ。しかし、人間の状況を決定するのは関係の絶対性だけである。ぼくたちは、この矛盾を断ちきろうとするときだけは、じぶんの発想の底をえぐり出してみる。そのとき、ぼくたちの孤独がある。孤独が自問する。革命とは何か。もし人間における矛盾を断ち切れないならばだ。

吉本隆明『マチウ書試論』

 とまあ、ちょっと頭良さ気な引用から始まった今日のエントリですが、こういうことを書きたくなる日もあるってことで、付き合ってやろうという心の広い方は、気軽にお付き合いの程を。

 この『マチウ書試論』を吉本隆明さんが書いたのが1952年(昭和27年)。当時は、まだ印刷インキ会社の一技術者だったそうです。吉本隆明さんと言えば、共同幻想や対幻想などの概念が有名ですが、それと同じように有名なのが、この「関係の絶対性」です。この概念の初出となった『マチウ書試論』は、副題に「反逆の倫理」とあるように、ユダヤ教に対する、「原始キリスト教の苛烈な攻撃的パトスと、陰惨なまでの心理的憎悪感を、正当化しうる」根拠として「関係の絶対性」なのだろうという吉本さんの着想なんですね。

 もしある反逆に倫理があるとすれば、それは、その反逆する主体が不可避的に置かれている「関係の絶対性」によるしかない、ということですね。じつを言えば、引用の後半2行がいまだに私はいまいちよくわかっていないのですが、なんとなくこの「関係の絶対性」という言葉だけは感覚的に分かる気がします。

 吉本隆明さんのこうした言葉は感覚的に分かる、というところが魅力でもありたちが悪いところでもあって、なんとなく、理屈ではなく、詩的に感覚的に了解してしまうんですね。私もその口です。その吉本さんの詩的な感性を示す言葉は、こういう初期詩集の中にたくさんあって、例えば一節を引用してみます。

もしも おれが死んだら世界は和解してくれ
もしも おれが革命といったらみんな武器をとってくれ

吉本隆明『恋唄』

ぼくが真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせるだろうという妄想によって、ぼくは廃人であるそうだ

吉本隆明『廃人の歌』

 強靱な自由意志を持つ「自意識」がそこにあるような気がします。そんな、世界の真実を冷徹に見極めようとする揺るぎない「自意識」から発せられた「関係の絶対性」であるわけですから、もうこの言葉が吉本さんから発せられた段階で、それは詩的な言語なんですね。そこに、きっと私は惹かれるのだろうと思うのです。これは、詩的で個人的な言葉であるからこそ、駄目だと言われる方もいらっしゃると思いますが。

 こういう詩的な言葉は、人生の折々で様々な表情を持って迫ってきます。ある一方から見ると肯定できることであっても、もうひとつの方向から見ると肯定できないことは、よくあることだと思います。そのとき、個人はどう判断すればいいのか。それは、きっと「関係の絶対性」でしかなく、最終的な決断の一歩というのは、きっと「自由意志」なんかが介在する場所などないのだろうなと思うんですね。当然、この「関係の絶対性」に至るまでには孤独な「自由意志」の葛藤が前提ではありますが。

 私の場合は、こんな時代に生きて、それなりに暢気に生きていますので、革命とか反逆とか、そういう重い課題には直面してはいないですが、些細な日常の出来事からも、私の生まれる前に、吉本青年が生み出した、この「関係の絶対性」という言葉は、いまだに重くのしかかってくるんですよね。

 そして、この「関係の絶対性」という概念を基点に、「共同幻想」や「対幻想」、そして「重層的な非決定」なんかの概念に発展していきます。でも、それは理論の言葉ではなく、詩的な洞察なんだろうな、と最近思うんですね。そして、こんな商売をやっているとわかるんですが、論理の言葉は案外消費されてなくなってしまうけど、詩的な言葉はいつまでも残るんだなあ、と。なんでこんなことを書こうと思ったのかというと、まあ、日常の些細な出来事もあるし、世界情勢には疎い私ですが、今日の「ベネズエラ憲法改正案否決」のニュースなんかも関係していると思うんですが。

 結論を言うと、ある広告屋が2007年12月4日の深夜に、わけのわかんないことを思った、そのどうでもいい思考の記録というか、こんな未整理な感じの言葉を書くのも、ブログというパーソナルパブリッシングツールは適してるよなあ、と思った次第であります。

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2007年12月 2日 (日)

私のような感じの職業の人がブログを持つことの良さについてのお話です。

 私のような、というのは従来メディアで広告の仕事をしてる人とか、広告制作に従事している人とか、マーケティングやコンサルタントをしている人とか、出版関係とか、です。私に限らず、そういう人がブログを持っていることは多いと思うけれど、そういう人の多くはmixiに行っているんじゃないかな、と。業界の交流とか、似ている業界の交流という意味では、mixiに代表されるSNSのほうが有利なような気もしないではないです。ある程度は場が閉じられるので、話される話題も限定されるし、ある意味では密度が濃いとも言えますし。

 では、SNSではなくて、ブログの良さってなんだろうと考えると、やっぱり閉じられていないウェブという場所でブログという「個人メディア」を持てるっていうところかな、と思います。それは、デメリットもあるし、別にブログの啓蒙もするつもりも義理もないから、これはあくまで個人のつぶやきですが、私にとっては、「個人メディア」というのが最大の魅力で、私の場合は書きたいことが広告に限らないし、非常にブログは都合がいいんですよね。雑多なことが、書き手の同一性を根拠にいろいろ書けるので。そうでなくても、例えば広告の話題だけに限ったとしても(というかそうした方が効率はいいんですけどね)、ブログにはブログだけが持つメリットなんかもあったりします。

 普段、従来のメディアを使う側にいてたり、従来のシステムの中で雑誌とかをつくる側にいてると、メディアを認知させるプロセスなんかは実感できないですよね。例えば、新聞なら朝日、読売、日経をとりあえず選んでおこうとか、新しい雑誌を売っていくなら、マスで広告して、一気に瞬間風速をつくってとか。というか、そういう商売をしている本人がメディアを持って、そのメディアを運営していく経験なんか、今までなかったわけです。それが、期せずしてブログなんかを始めると、ああ、なるほど、個人メディアとはよく言ったもんだなあ、とすごく思うわけですね。

 よほどの人でなければ、ブログなんて、立ち上げたからといって誰も見てはくれません。まず、どんな人でもそこから始められるんですよね。今日も見たのは私だけ、なんて日々が続くわけです。正直、へこみます。で、書いていくうちでまぐれでエントリがヒットすることがあって、ウェブにはそういう名もなきエントリを見つけてくれるすごい読み手さんがいることがわかるし、そういうことが繰り返される中で、個人メディアであるブログが、ほんの少しずつ認知されるようになってくるんです。この微細な認知プロセスを数ヶ月かけて実感する機会なんて、私たちには今までなかったんじゃないかなと思うのです。

 そこから学ぶことは、言葉にはうまくできないけど確かにあって、やるのとやらないのとでは、ずいぶん違ってくるのではないかなと思います。当然、こういうことは日々の張り合いにもなるし、それに私のような職業にとっては、プリミティブな認知プロセスを、理論ではなく身を持って経験することは、私にとっては、「なるほどねえ、そういうことだったんだなあ」という日々を経験することでもありました。いま半年ですが、いまだに、「ああ、こういうことだったんだなあ」と思うことがあります。

 ウェブっていうのは、とかく私たちにとって、単なる無償で情報を得るだけの場になりがちです。だけど、自ら情報を発信するなれば、ちょっとだけウェブの違った風景が見えてくるような気がします。そうなると、今言われているマスメディアの終焉論なんかも、少し冷静に見られるかもしれません。私なんかは、「ああ、そうだなあ、されどマスメディアなんだな」とも思えてきています。それに、建設的な対処は、冷静な認識がなければできないとも思いますしね。

 それとね、これは個人的な考えかもしれませんが、ブログはさみしい感じがいいんじゃないかと。ブログはコミュニケーションツールとしての側面ではすこし他のツールより劣っている感じもあって、本質的にはパブリッシングツールであるような気がします。かつてのニフティフォーラムや2ちゃんねる、mixiをはじめとするSNSや、Twitterなどの新しいコミュニケーションツールとくらべると、ずいぶんコミュニケーションが苦手。コメントやトラックバックなんかも、あくまで付加機能という感じだし、基本は孤独に発表していくのが本質機能。だから、こういうさみしい感じがすきな人でないと続かないかも、ですが。

 最近、ブログ界隈で「ブログ終焉論」なんかが流行ってましたが、そんな感じのことが言われる今だからこそ、ブログを始める絶好の機会なんじゃないかと思うのですが、どうでしょう。とりあえず、私は、私と同じような職業の人たちの、日々の孤独なつぶやきなんかをもっと読みたいなあ、と思うんですが。ああ、同じようなことを考えている人がいて、だけど、私とちょっと違うなあ、その違いは面白いなあなんて思いたいんですが、どうでしょう。きっと、あなたの仕事に、間接的にかもしれないけど良いところがあると思うし。ね、ブログ、はじめませんか。


追記:そういえば、かつてこんなエントリも書きました。よかったら合わせてどうぞ。
→「ブログのさみしさ。

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2007年12月 1日 (土)

Linux! Linux! Linux!

Linux  広告の仕事でしかリナックスとは関わりがありませんが、そんなウェブ専門でもない一般的な広告屋さん的な私が持っているリナックスのイメージなど書いてみます。土曜日だし。

 リナックスと言えば、やっぱりオープンソースの雄というか、そんなイメージです。ウィンドウズを中心とすると、一方でマックOSがあり、一方でリナックスがある、みたいな感じです。なんかやっぱり、新しい考え方というか、リーナスという若者を中心にみんなが協力してあんなOSをつくりあげた、みたいな物語が、このリナックスのイメージを決定づけています。つまり、なんかカッコいい。

 このキャラクターのぬいぐるみがクライアントさんのショールームに置いてあって、あ、ほしいと思いましたけど、ちょっとそれは言い出せなかったですね。でも、女性の方には人気があるらしく、お客様からほしいと言われることも多いみたいですね。名前はないみたいです。

Photo  実際は、リナックスで運用するとなるとサポートとかでウィンドウズよりコストがかかってしまうみたいな論とか、いやいや、そんなことはなく、いまやリナックスの時代だとか、いろいろありますよね。広告屋さんとしては、どっちの論でもいい広告をつくりまっせ的なところがあって、けっこう節操はなかったりします。Windows Server 2003が発表された時には、こんな広告をつくり、リナックスがらみのときには、当然、「Linux! Linux! Linux!」とか「新入社員のリナックス君、元気に働いていますか。もし元気がなかったら、それはソフトウェアのせいかもしれませんよ。」みたいなコピーを書いたりするんですよね。

 まあ、そんないいかげんな広告屋でも、一生活者ではあるので、リナックスってカッコいいよななんて思うわけで、一緒にやっていたアートディレクターなんかも、リナックスって言葉がカッコいいなんて言ってたりして、なにもわかっちゃいないのに、飲み屋でこれからはリナックスだよなあ、なんて語り合ったりして、ほんとなんじゃそりゃですね。生活者から見たリナックスって、当然、PC用のOSだったりして、それこそターボリナックスやらレッドハットやら、ザウルスがリナックスになったという発表があれば、電気屋さんにさわりに言ったりして、ほんとミーハーな感じですわ。困ったもんですね。サイドバーでも紹介していますが、リーナスの『それが僕には楽しかったから』という本を読んだりして、いいよねえ、こういう感じとか思いました。

Midorilinux  となると、分かりもしないのにググるわけですよね。で、いろんなリナックスを探るわけです。で、昔、探り当てておっ、と思った画像があって、今もあるかなあと思って、あらためて見ると、ありました。ありました。これです。MIDORI LINUXですね。リーナスがいたトランスメタ社のリナックスOSですね。日本語の緑というところから名前を引っ張っているところもなんかうれしいし、何よりもこのブランドキャラクターです。なんか微妙にMIDORIというにはあれなんですが、これを見つけ出したときには、なんか遠い国でこんなのが開発されている感慨がありました。その頃は、ウェブと言えどもまだまだ距離感があったんですねえ。

 このMIDORI LINUXは、CASSIOPEIA FIVAというモバイルPCのサブOSとして搭載されましたよね。おおっ、これがあのって思いました。省電力が売りみたいだったので、音楽を聴いたりする用としてお使いください的な感じでした。私は、このFIVAにするかリブレットL1にするか、相当迷った挙句にリブレットL1にしました。なんか、OSっていうのは、仕組みとかが詳しくわからない素人から見ると、ほんと人間に似てる感じがして、こんなエントリも書いたりしたんですが、思いのほか受けたりして、ちょっとうれしかったりしました。

 ここ最近は広告の仕事では、ITからは遠ざかっていますが、また関わりたいな、なんて思っております。土曜日ですけど、働いている方もいらっしゃるかと思いますが、寒いのでお風邪など召さないように。ではでは。

追記:リナックスペンギンの名前がないと書いてしまいましたが、名前はあるそうです。コメント欄でご指摘をいただきました。ありがとうございました。Tuxちゃんというそうです。関連リンクです。
タックス:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Linux 2.0 Penguins (Larry Ewing) (英文)
The History of Tux the Linux Penguin(英文)

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