ボクは人の仕事を自分の仕事のように見せるのが得意なだけだよ。
個人的なことで申し訳ないですが、ここのところ広告制作の仕事の流れみたいなものをどうするかをずっと考えています。個人の資質とかキャリアとかスキルとかパーソナリティがからむ事柄なので、決して一般化できるものではないですが、いろいろな開発手法のやり方をもう一度見直しています。
膨大で緻密なプログラムを書かないといけなくて、さまざまな機能を盛り込まなくてはいけないソフトウェア開発と、たかが言葉と映像から出来ているだけの広告開発は違うと思うけど、例の「伽藍とバザール」にある「バザール方式」というのは気になるところです。
リーナス・トーバルズさんは、リナックスプロジェクトにおける自身の役割を聞かれたとき「ボクは人の仕事を自分の仕事のように見せるのが得意なだけだよ」と答えたそうです。なるほど、リーナスさんらしい、いい感じの答え方ですよね。私は、自分の仕事の成果を、こんなふうに答えられるのかな。無理だろうな。やっぱり自我が邪魔しそうな気がします。もしそう言えたとしても、なんかそんなことを言う私って素敵でしょ、みたいな感じが出てしまうんだろうな。顔に思いっきり、私がやりましたって書いてある、みたいな。
もちろん、広告はコピーレフトとは真逆の権利がちがちの中でやっているし、不特定な制作者を想定するわけにもいかないので、このバザール方式を取り入れるのは難しいとは思うのですが、自身の環境を考えたとき、バザール方式的に特定の制作者の権限や責任を大きくしていってコーディネートするやり方と、伽藍方式的にコーディネートする側が中心となり、細部の細部までコーディネターの指令で制作者を動かしていくやり方との決定的な違いはあるのだろうな、とは思います。
最近、福岡のGC会社と仕事をしたけれども、それはまさに「早めのリリース。しょっちゅうリリース。」だったし、その甲斐もあって、いい仕事ができたように思いました。もちろん、この仕事はバザール方式でやっているわけではありませんが、こういうことは大事なのかもしれないな、と思います。案外、こういう態度は、近くにいてると出来ないもんなんです。それと、ここで大事なのは、やはりコーディネータなんでしょうね。リナックスでも、リーナスさんがコーディネートをやめていたら、リナックスはここまでの成果を得られたのかどうか。
その部分については、Wikipedia「バザール方式」にはこうありました。「コーディネータはバザール方式では、重要な意志決定をするわけではないが、プロジェクトの成功に重要な役割を果たす。参加者を良い気持にさせ、褒めて、結果を受け取り採用する。」なるほど、なるほど。そうなんだあ。
でも、私なんかが、ここで気になってしまうのは、「結果を受け取り採用する」の裏にある「不採用にする」なんですよね。考えるだけで、胃が痛くなります。やっぱり、リーナスさんの人柄なんでしょうね。きっと明るい人なんでしょうね。というより、このへんでエントリの問題設定に無理があるかな、と思えてきたのでこのへんで筆を置こうかな(ってキーボードで打ってるんですけどね)。しかし、組織論と言いますか、このあたりの諸々は、悩ましいですね。仕事より悩ましいかもしれないなあ。ではでは。
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