報道特集、見ました?
いやあ、すごかったですね。リアルでした。お米会社の社長が、家宅捜索が入る前の日の緊急社内会議で「行政とかにびびってどないすんのん?」って言ってましたね。あの録音は初出なのでしょうか。それとも、もう話題になってたりするんでしょうか。あんなリアリティはドラマや映画ではつくれません。あの感じ、なんなんでしょう。心に残る妙なしこりがあります。胸が苦しくなるような感じ。
私は広告屋ですが、まあ当たり前に、ああいう不正に荷担したくないもんだなあ、ということと、もうひとつ、あの録音みたいなリアリティを表現でつくるのは無理だなあ、ということを思いました。広告もそうだけど、基本的にフィクションであるから、創作者のフィルターはどうしても通ってしまうしね。このブログで書いてきた「リアル」というものが目指すのは、リアリティのある表現ということなんだろうな、と思った次第です。どれだけ精密に設計して演出しても、あのリアルさは出せないですね。
それと、もうひとつ。本当は、単一ブランド米もおいしいけど、米屋さんの厳選したブレンド米というのは、それを超えるおいしさだそうです。本当のコーヒーは、ブレンドだというように。目利きの人がブレンドしたお米は、それは本当に美味らしいですよ。ブレンド米で勝負しているお米屋さん、がんばってほしいな、と思います。
このところ、こういう偽装が目立ってきていますね。社会的な背景とか、報道のあり方みたいな意見はうまく解説できませんが、なんとなく、一頃ブームだった「ブランド」ブームみたいなものの綻びなのかなあ、なんて思ったりします。今はそうでもないですが、一頃、マーケティングやクリエイティブの周辺で、口を開けば「ブランド」と言っていた時期がありましたよね。
そのブランド論の指向性は、積極的に「ブランドをつくっていく」みたいなもんでした。その心意気はわかるんですが、ブランドって、実践とかコミュニケーションの結果を言う言葉ですよね。例えば、素敵な人がいて、その人がいないところで、その友人たちが「あいつは、ああいう奴なんだよねえ」とニコニコしながら話し合うみたいなこと。それがブランドだと私は思っていて。ブランドをつくろうだなんて、おまえは神かと思ってしまうんですよね。
ブランド広告と製品広告を分ける考え方にも違和感があって、我々がブランド広告と呼んでいるのも製品広告ですよ、と思うんですね。外資なんかだとAbove the line、Below the lineなんて呼ばれ方しますが、ああいう分け方もなんだか時代にそぐわないなと思います。私の日常では、その区分けはほとんどなくなってきました。そういうひとつひとつの実践やコミュニケーションがブランドをつくるのだから、区分けは意味ないです。人でも、TPOで違いがあれど、その人の同一性は保たれていて、その総体がその人をつくりますよね。
とまあ、本日2つめのエントリを投稿してしまった、リア充できない私ですが、サザエさんも終わったし、さあ、明日は月曜日。もうすぐお正月だし、がんばって元気にいきましょう。ではでは。
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コメント
私も最近ブログ始めました。よろしくお願いします。
投稿: ずーさん | 2007年12月 9日 (日) 20:00
よろしくです。
投稿: mb101bold | 2007年12月10日 (月) 12:41