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2007年12月31日 (月)

やってみないと分からないこともあるなあ。そんな、2007年でした。

 2007年の私にとって、個人的に大きな出来事は、やはりブログを始めたことですね。まあ、わりあい平和な1年ではあったということですね。きっかけは、mixiにとある人に招待していただいて、mixiを始めて見たものの、私にはなぜか合わずに、同じ書くなら不特定多数に発信できるブログの方がいいな、ということでココログでブログをつくってみたということでした。ココログにしたのは、プロバイダが@niftyだったから。

 始めた当初は、ブログのことやネットのことは、常識程度にしかわかりませんでした。これまでは、当然ブログ界みたいなものも良く知らず、あっ、このブログはいいなあ、とか、この人の考え方は面白いなあ、なんて思いながらローカルPCにせっせとブックマークしていました。そんな定期購読に至ったブログとの出会いは、たいがいgoogleでした。気になるワードを入力して、たまたま出会うという感じです。

 そんな感じでしたので、始めた当初は、まあ私のブログもgoogle経由で見つけられるんだろうな、なんて思っていたら、結構そうでもなく、はてなブックマークだったり、個人で運営されているニュースサイトだったり、いろいろでした。これは、今振り返れば当たり前のことですが、私には驚きでした。ブログを始めた当初は、ほんと何も知らなかったんですよね。

 そういう意味では、巷で言われているGoogle覇権のイメージは、リアルなネット社会の中ではそれほどでもなく、もっともっと多様な世界なんだなと思いました。しかしながら、検索サービスでは覇権に近いし、目に見えにくい広告配信システムで言えば、細かいところで、Ads by Googleであるという現実があり、これはいろいろな意味でも、もっともっと多様な世界にならなければ、きっとウェブは息苦しい世界になるだろうな、という思いがあります。

 その驚きとともに、ウェブのコインの裏側も次第に見えるようになったりもしました。私自身も、このブログで何度か触れたこともありました。私にとっては、ブログやウェブのあり方についてのエントリーは、話題の中の一部分ですが、結構、ブログの話題のメインストリームであることも、ブログを始めて初めて気がついたことです。

 ブログ論、ウェブ論がよく書かれ、そして、よく読まれるのは、それが社会論のアナロジーだからだと私は思っています。自分たちの住む社会のあり方をどうしていったらいいのか、という切実な問題だから、よく書かれ、よく読まれる。そういうことなんじゃないかな、と思います。それに、ウェブはまだ新しい世界だし、規模的にもまだまだ小さいし、過渡期だから、不完全な部分が大いにあるし。

 今年、私が書いたのは、主に匿名・実名の問題と、はてなブックマークの2つでした。いろいろ考えて、いろいろ変化もしていますが、私自身は、これからの社会をどうしていったらいいかということのアナロジーの部分でこの問題を考えたいので、基本は、多様な人々がそれなりに楽しく暮らしていける社会づくりという目的をベースにしたいな、と思います。

 匿名・実名で言えば、人それぞれであっていいと私は思っています。それを一方の価値観で強制していくのは、匿名であっても、実名であっても、なんとなく嫌だなという感情がベースになっています。いろいろな価値観があっていいけど、いろいろな価値観をそれぞれが尊重されるというのは、それぞれの価値観を尊重するという態度があって成り立つことだと思います。

 実名の方がよく問題にされる、匿名の責任制のなさというものがありますが、2ちゃんねるにおいても完全匿名が難しくなりつつある現状で、少し無理があるのではないか、と思うんですよね。批判するなら名を名乗れ、というものは倫理の問題に過ぎないので、倫理を原則全員に強制していくのは間違っています。しかも、多くの匿名(ここでは筆名も含みますが)は、普通に楽しくやっていて、その普通のサラリーマンが、ネットでアニメファンとしてニックネームで慕われる楽しさを、倫理で奪っていくのは楽しくないなと思うんですよね。

 それ以外の問題については、いろいろあるだろうけど個人のいさかいの問題だろうなと思っています。それは、倫理と倫理の戦いだろうな、と。どっちの倫理が支持されるか、という問題だろうなと思います。その個人の論争の経緯では、全体は語れない。そんなふうに思います。個人の資質が関わることだから。だから、いま話題になっているあるブロガーさんの実名暴露の件は、ご本人も書かれていたとおり、一事例として、そしてかなり切実な問題として、匿名でやっている自分も学んでいこうというと思った次第です。

 私は匿名ですから、匿名のお気楽な感じと、匿名ならではの自分の利益に還元されないというか、とあるブロガーさんの受け売りですが「自己への配慮」というフィルターを通さずに済む、ある種の社会性というか公益性みたいなものは、いいものではあるなあと思っています。an anonymous beingとanonymousの違いですね。しかし、だからといって、実名の方や、匿名の方もときどき感じる、an anonymous being的な匿名が集合的に現れてくるときの暴力性には違和感があります。それは、やはりシステムの問題でもあるのだろうな、というのが今も変わらない思いです。

 Web2.0のシステムは、発言の敷居を下げ、どんどん可視化していきます。それはいいことだと思うし、私自身は、SBMの最大手の「はてなブックマーク」につくコメントは、自分自身でもよく読んでいますし、それで今の息づかいを確認したりします。そして、書き手である私もいろいろなことを確認したりします。でも、これも実名・匿名論と同じで、私自身ではそれを倫理と倫理の戦いにはしたくない思いがあるのですね。私は、極論を言えば、システムがあれば、そのシステムをどのように使おうと、人の勝手だと思っています。使い方はいろいろで、その使い方を倫理で裁くことはできません。私はそういう立場です。はてなブックマークの正しい使い方論なども興味はないし。

 結局は、システムの問題に行き着くのだろうな、という気がするんですよね。それで、ブログ本人がブックマークされないことを選択できる機能を、SMB自身の機能として実装するというアイデアを書きました。Web2.0が信じる不特定多数の可能性は、それを信じるという行為の責任において、それを信じない人に対する気遣いを持つべきであるというのが、社会論のアナロジーという視点から見た私の考え方ですね。これは、ウェブにとどまらず社会全体でも言えることだと思っています。

 私が書いたエントリでいただいた、「はてなブックマーク」のコメントにあった素敵な言葉ですが「みんながニコニコできる」システムを、SBMが「つくりたいか/つくりたくないのか」ということだと思っています。で、私は、その機能に実行性がないとしても、社会に対してのあるスタンスを示すことで、不特定多数の可能性という、私自身も信じたい、新しい価値観を社会に堂々と示せる効果はあるのではないか、と私は思っています。そのへんの考え方は、多分に広告屋的発想あるとは思いますが。私は、「はてなブックマーク」というサービスやそこに集う人たちに親近感があるし、そのコミュニケーションはいいものであると思うからこそ、この素晴らしいサービスがいい方向に発展していけばいいなあ、と思っています。

 そんな感じで、ブログを始めなければ考えなかったいろいろを振り返ってみました。まだまだ未熟な部分はあるかと思いますが、これについては、ウェブが大衆化するこれからにおいて、その未熟さをスルーすることはできないんじゃないかと考えています。だから、これは未熟であるがゆえに意味があると本気で思っています。

 私にとって、ブログはコミュニケーションツールではなく、パブリッシングツールであると、このブログで何度も言ってきたような気がするんですが、そんな私でも、いろいろな方々と楽しいコミュニケーションを楽しませていただきました。それは、本当に、やってみなければわからなかったことです。今年は、みなさん、いろいろありがとうございました。2007年のエントリは、このエントリで最終です。いつものように、深夜の更新です。みなさんにとって、2008年が素晴らしい年でありますように。それでは、みなさん、よいお年を。

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