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2008年1月27日 (日)

違和感のクリエイティブ

 天気で背景が変わるiGoogleのテーマ(参照)もそうですが、あれっ、いつもと違うな、という微妙な違和感を使ったクリエイティブ手法をなんとか広告に使えないだろうかと思うんですが、なかなか難しいです。

 パチスロを打ったことがある人ならわかるかもしれませんが、パチスロはこの違和感のクリエイティブをうまく使ったゲームです。同じように見えるかもしれませんが、パチンコとパチスロでは、ゲーム性をつくるコンセプトが違うのですね。

 パチンコは、プレイヤーのゲームに対する能動性は、パチンコ玉を穴に入れることころで、その後は乱数表まかせ。だから、大当たりをプレイヤーに知らせるためには、徹底して派手でなければいけません。例外は多いでしょうが、基本的には、派手な演出が起こって、それが発展するかどうかで、大当たりの可能性が大きくなって、それを見ながら一喜一憂する、そんなゲーム性です。思いっきり演出が続いて、えっ、これで外れるわけ?まじー、やめてよー、って感じです。

 一方、パチスロは、プレイヤーのゲーム性に対する能動性は、コインを入れて、ストップボタンを押して、特定役を狙いながらリールを止めるところまで含まれます。もちろん、乱数表まかせなのは変わりませんが、パチスロの場合は大当たりの他、小役が複数あり、リールの制御で狙わなければ取りこぼす小役も存在していることから、リールの制御を見極めるという能動性がゲーム性に含まれてきます。例えば、出現確率の低いレア小役が内部で成立すると、リールに微妙な違和感が起こるのです。リール制御のなせる技ですね。で、そのレア小役が左中とテンパイし、当然揃うはずのレア小役が右で揃わなければ、おっ、これは大当たりを引いたかも?というような案配です。

 そういう違和感をベースにしたゲーム性なので、液晶演出はパチンコと違って、いつもと微妙に違うという違和感をベースに設計されます。いつもと同じように見えるけど、空に映る月が三日月ではなく満月になっているとか、いつもは普通の顔の脇役が笑顔になっているとか。パチスロの楽しさの基本は、そんな小さな、わかりにくい違いをプレイヤーが察知して内部で大当たりが成立しているかどうかを推測する楽しさなんですね。

 これを現実に引き寄せて考えると、窓から外を見るとあるはずの東京タワーがないとか、車の走る方向が逆とか、そんな感じです。東京の銀座などでCGで人や車をすべて消した写真集もありましたね。それと、普通の風景の中に女性が立っていて、その女性がなぜかおしりを出している、そんな写真集もありました。

 私がよく夢で見る光景では、中央線のとある駅を降りると、なぜかそこは沖縄であるとか。あと、テレビにはじつはもうひとつ隠しチャンネルがあって、実は、そこではラジオの深夜番組がテレビで放送されているとか。そんな夢を見て、えっ、知らなかったのは私だけ?それとも、これはもしかすると知っちゃいけないことだったの?なんて思うんですね。

 本を読んでいて、ページをひとつ飛ばして読んでしまって、それでもなんとなく意味が通じる感じで、読み進めて、だいぶん経ってから、あれっ、なにこの違和感、と気づくことがあり、そのなんともいえない微妙な違和感に似ているかもしれません。あるいは、間違った道をどんどん歩いて、あれ、こんなところに喫茶店あったっけ?もしかすると道を間違った?なんて気づく、あの感覚に似ているのかも。

 こうした違和感のクリエイティブは、いつもはこうであるという共通認識がまずあって、そことのズレをつくるクリエイティブですから、ちょっと知的というか、通好みになってしまう嫌いもあります。だから、パチスロなんかでは、当たると光るみたいな単純な台に人気が集まる傾向もなきにしもあらずです。特に規制で出玉性能が抑えられてしまいましたから。

 広告も同じで、人の24時間を複数のメディアが奪い合う状況では、そんな違和感を楽しむ余裕などないのかもしれません。「ダウンタウンのごっつええ感じ」が1997年に終わりましたよね。ダウンタウンはテレビでコントをやらなくなりました。あのへんが時代の変わり目だったのかな、なんて思います。ダウンタウンのコントの面白さは、日常との微妙な違和感の面白さだったような気がしますから。その違和感という名のズレの隙間から、日常の持つ狂気の部分が垣間見える面白さ。それは、まあ、社会の総体としては、いま求められていないということかもしれません。

 海外の広告クリエイティブでは、まだまだ違和感のクリエイティブが健在ですが(この違和感のクリエイティブは、じつは広告では古典的な手法です。でもやっぱり世界的な傾向としても、ちょっと下火になってきている傾向はあるかも)、ここは日本だし、日本で商売しているわけだし。私はどちらかというと「君と世界の戦いでは、世界に支援せよ」という感じですから、こういうクリエイティブは個人的には面白いと思うけど、まあ期を見ながらぼちぼちと。

 ちなみに、私がつくった違和感のクリエイティブ(参照)。今あらためて見ると、コミュニケーションの速度は遅いんですよね。でもね、当時は、これでも結構早かったような気がしてたんですよね。こちらとしては、直球を投げている感じです。アーカイブ(ドイツ発行の広告情報誌)とかに載っている海外のクリエイティブって、もっともっと速度が遅いですから。時代が変わるのって、ちょっと早すぎますよね。

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