「ウェブ時代をゆく」をもう一度読んでみました。
新大阪から東京までの新幹線の車中、たまたま鞄に入っていた梅田望夫さんの「ウェブ時代をゆくーいかに働き、いかに学ぶか」をもう一度読んでみました。2時間半なので新書を読むにはちょうどいい時間です。
前に読んだときは、自分にはあまり関係ない話しかもしれないな、と正直思ったのですが、今回は考えさせられることが多かったような気がします。はじめて読んだときは「けものみち」のくだりで、うーん、これに乗せられて若者が安易に会社を辞めたりするときついだろうな、と40になる私は心配になりましたが、そんな私も今の会社が都合5社目(1社は会社自身が合併解消で新しくなった)だったりするんですよね。そういう意味では人のことは言えないわけで。
精読すると、梅田さんの著書は、能力の問題やそこから発生する自然発生的な階層の問題など、けっこう残酷な現実の有様なんかもさらっと肯定していたり、私などは愚痴ったり酒のんでまあがんばろうやってごまかしたりするようなことも、ごまかさずに向き合っているというか、その人間の暗部にたいする感受性が薄いというか、あるいは濃すぎて一周しているというのか、なんというか。
まあ、いい意味でも悪い意味でもドライなわけですよね。文系なんだけど、たぶん私が持っている文系的なものとは違う文系的なものというか。たぶん私が思っている不特定多数という概念と梅田さんのそれは違うような気が。そういう意味では、梅田さん的ポジティブさは筋がね入りなんでしょうね。
それと私は実名匿名の文脈でも、この本は考えさせられることが多かったです。いろいろ考えがまとまらないので今日はこのへんで。考えがまたまとまりだしたら、まら改めて書こうと思います。ではでは。
関連エントリー:梅田望夫と福澤諭吉
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コメント
ウェブのフロントラインでどんなことが起こっているのか。それを知るには最適なテキストでした。
ただ、なんというか、著者は、第三層としての「総表現社会参加者層」に視点を置いていますよね。ぼくはそこにいちばん躓きます。ぼくなら視点は、というか、軸足は「総表現社会非参加者層」に置くところです。
ぼくもまとまらないので、mb101boldさんの記事を楽しみにします。
投稿: 喜山 | 2008年1月 7日 (月) 18:16
そうですね。著者が対象としているのは「総表現社会参加者層」であり、その中でも相当な知的層でしょうね。その意味では、今回の本はその層に向けての知的生活啓蒙書であるのかもしれません。
茂木さんとの対談でも、これからの知的態度というか倫理性みたいなものが問われていましたよね。
梅田さんの著作は、ウェブ時代の社会はこうなるという、広く大衆をとらえた予言の書でもあると同時に、経済活動に限定した知的層が、ウェブ時代をこう泳いでいくべきだというあるかなり限定された層への啓蒙書の部分が混在しているような気がします。なのに経済のゲームが終わり知的なゲームがはじまると書いてあって、じゃあ実際にはどうやって食っていくんだろうというのが私のちょっとした疑問です。
また、多くの啓蒙書がそうであるように、ある限定された層をターゲットとしているからこそ、広く読まれるのだと思います。
まあともあれ人間の知性みたいなものは、ウェブをやらない人も含めて(吉本隆明さんが言う大衆の原像的な)確実に変わるのだろうなとは思います。それは梅田さんをあえて私が誤読する部分です。そして、同時に人間はそう変わるものではないとも思います。
投稿: mb101bold | 2008年1月 8日 (火) 00:59