もしかすると「クリエーターの前に人間やろ。」と言われたいのかもしれない。
昨日のエントリー「クリエーターの前に人間やろ。」に関連して、いろいろなことを考えました。
職業の倫理と人情は、得てして逆立するんですよね。この世の中は、働かなくちゃ生きていけないようになっているから、職業と生活は結びついているわけですよね。リア充という言葉もあるにはありますが、それでも24時間のうちの8時間以上は仕事の時間だろうから、仕事をしている人にとっては、やっぱり仕事は生活の一部なんだろうなとは思います。
生活であるならば、人情は必要なわけです。だけど、人情、人情と言ってはいられない職業的な条件もあって、いつもは職業的な倫理と人情は、微妙なバランスを保ちながら円滑に、ときにはぎくしゃくしながらもなんとか流れるのですが、そうとも言ってられない事態もあるんですよね。ライフハックという言葉が流行っていますが、ライフハックは、そんな個別の事柄までフォローするわけでもなく、うーん、どうしようかな、と悩むしかないわけです。
自由意志と言うけれど、状況によっては、そんなものは屁の突っ張りにもならないこともあるわけで、そんなこんなの関係の絶対性に追いつめられて、さて、私はどんな一歩を踏み出すのかな、なんて思いながらおどおどしてしまうんですね。できれば先送りにしたいなあ。どうしようかな、どうしようかな、どうしようかな、もうどうしょうもないな、という先にある本当の自分なんて、あまり見たくない気もしますが、でも、それがどんなものであっても、どうしようもなく自分なわけで、まあしゃあないなあ、と降参するしかないのでしょう。
特になにがあったというわけではないけれど(ちいさなことではあるけれど)、なんとなくそんな感じの気持ちに今なっています。夏目漱石も「草枕」の冒頭で書いていますよね。
山路を登りながらこう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹差せば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角人の世は住みにくい。
うまいこと言うなあ。さすがは夏目先生。時間ができたら、こんどじっくり読み直してみようかな。まあともかく、仕事、仕事。さあ、明日もがんばっていきましょう。って、これも問題の先送りなのかもね。ではでは。
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コメント
もしかすると「クリエーターの前に人間やろ。」と言われたいのかもしれない。関係の絶対性に直面したいのかもしれない。
me,tooと言いたくなる自己問答です。
投稿: 喜山 | 2008年1月23日 (水) 22:26
ときどき、しんどくなりますよね。それと「クリエーターの前に人間やし。」という気分のときもときどきあります。そんなときは、今日はもう何もやらないって決めて、飲みにいってしまいます。
投稿: mb101bold | 2008年1月24日 (木) 01:30