「格好悪いけど正しい判断ができるのは、えらいことだよ」
シリコンバレーがどんなところなのかはわからないけれど、そうか、そんな側面もあるのかと思いました。はてなの社外取締役でもある梅田望夫さんは、ブログ「My Life Between Silicon Valley and Japan」の中でこうお書きになっています。
以前も書いたように、近藤はこの地で本当に一生懸命生きた。しかもとてもユニークなやり方で。それを目の当たりにしていた僕も大いに刺激を受けた。むろんまだ彼はその成果を成功に結びつけることができていない。でも何かをつかんだのだろうと僕は信じる。
そして、はてなの近藤さんは「自ら陣頭指揮して京都でものづくりに専心する」(参照)と決心されます。広告屋の私に知り得ない意味が、シリコンバレーに進出するという行為にはあったんだと思うし、それは、梅田さんが近藤さんにかけた言葉「格好悪いけど正しい判断ができるのは、えらいことだよ」という言葉に表現されています。
こういう個人のドラマは、それを想像してメタレベル的にエントリに起こして書くのは野暮だとも思うけど、この言葉は、野暮になっても、私の個人のドラマにも関わってくるような気がしたので、どうしても書きたくなりました。
広告屋にとって、今の時代は夢のない時代だと思います。とりわけ、旧来型のコミッションビジネスをしている私のような広告屋にとっては。そんな中でも、ときおりこれは「格好いい」かもと思えるようなトレンドもあったりしました。それは、クリエイティブ・エージェンシーとかホットショップとか言われるトレンドですね。
クリエイティブやプランニング、つまり広告を制作する側が中心になって、小規模の広告会社を持つというスタイルで、媒体コミッションではなく、フィーを中心とした収益モデルで食っていくという流れです。アメリカでは、そんなクリエイティブ・エージェンシーができて、大手の巨大広告会社のアカウントを次々と奪っていきました。それは極東の私から見ると、憧れそのものでした。
私は、そういう流れに乗ろうかなと思える機会が何回かありました。しかし、私は結果としてその流れに乗りませんでした。それは、今思うと、自分のキャリアとか力量とか今の仕事の責任とか、そんなこんなのタイミングが合わなかったからかもしれません。それに、私の中の、日本の広告業界の構造と欧米の広告業界の構造の違いを分析しての大人の判断もあったと思います。
こういうことを書くと、あるパターンのようなものが読めるんじゃないかと思うんですね。クリエイティブ・エージェンシーってまだまだ日本じゃ無理。だって、日本じゃフィーは根付いていないしね。いまの多くのクリエイティブ・エージェンシーは成功してないしさ。でも、そういう感じは私は苦手で嫌い。だから、心のどこかでそれに乗らなかった自分を情けなく思い続けているんですね。
「格好悪いけど正しい判断ができるのは、えらいことだよ」
私の場合は、そのときは、それが正しい判断であるということころまで突き詰めてはいなかったけれど、私も、この言葉にすごく勇気づけられるような気がしました。今自分ができること、やるべきことをきちんとやっていこうと思いました。そう思うと、いまやらなくちゃいけないことはたくさんある。そうした中で、判断をしないといけないときが来れば、格好いいとか、格好悪いとかに関係なく、正しい判断をして、駒を進めようと思います。
さあ、がんばらなくちゃね。
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コメント
梅田さんの言葉もいい言葉ですが、mb101boldさんの個人的なつぶやきも、共感しました。キャリアのなかで、そのとき自分にとって正しい判断だったかってのは、数年先になってもなかなかわからないですよね。
投稿: goriko | 2008年2月16日 (土) 20:43
gorikoさん、こんばんわ。
そうですね。正しい判断かどうかというのはわからなかもしれません。瞬間瞬間の判断とか決断の累積が人生というかキャリアと呼ばれるものでしょうしね。正しいと言えるためには、近藤さんのように一生懸命生きるしかないんだろうなと思いました。きっとそうするとこで、その決断は必然に近くなるわけだから。
投稿: mb101bold | 2008年2月16日 (土) 22:03