アダプテーションの難しさ。
外資系広告代理店のクリエイティブが避けては通れない仕事。それは、海外広告の日本版制作。アダプテーションと言います。Adaptationは適用という意味の英語ですが、改作や脚色という意味もあり、その改作、脚色から来ているのでしょうね。アダプテと略して呼ぶことが多いです。使用例は、こんな感じ。
「またアダプテかよ、かんべんしてよぉ。もぅ。」
そうなんです。ここだけの話ですが(って、ネットなので公開されていますが)、アダプテはクリエイターにとってはできれば避けて通りたい仕事なんですよね。だって、海の向こうのクリエーターさんがつくった広告を翻訳するだけなんですよね。クリエーターなら、もとからつくりたいじゃないですか。
クリエーターも人間だから、できればアイデアも自分で考えたいし、撮影もしたい。つまり、オリジナルをつくりたい。それは、得意先のブランドマネージャーも気持ちは同じで、オリジナルつくりましょうよ、なんて話しあったりたりしますが、グローバル企業の場合、そうもいかないことも多いですね。それに、世界ブランドの場合、日本だけ違う広告というのは許されませんし、ブランド的には同じであるべき。所謂、グローバリゼーションというやつですね。
やるからにはいいものをつくらなくちゃいけないんですが、これがまた、案外難しいのです。難しいのは、特にコピーというか、ほぼコピーの日本語化です。アダプテは、コピーライターが苦労するんですね。Think differentみたいな、日本人にもわかるコピーの場合はそのままでもいいのですが、わりと英語の言葉遊びとか、英語圏の文化を背景にしたコピーが多く、日本人にとってはちんぷんかんぷんなコピーもままあるわけです。
私の仕事ではありませんが、インテルの「Intel inside.」というコピー。このコピーは英語のままでも、もしかすると伝わるかもしれませんが。でも、これは、うまく日本語化ましたよね。「インテル、はいってる。」ですものね。かなりすぐれたアダプテーションです。拍手喝采ものです。このコピーが世の中に出たとき、うわっ、見事なもんだなあ、と感心しました。
オリジナルのアイデアは海の向こうのクリエーターさんなので、こんなに見事な仕事をしても、日本でアダプテしているクリエーターさんは、まわりからあまりほめられないんですよね。まあねえ、ほめられるために仕事をしているわけではないけれど、なんかアダプテは苦労のわりに報われない仕事と言うかね。もちろん、それが広告として日本市場で役割をきちんと果たすことが目的だから、そんな甘いこと言ってはいられないんですけどね。
私の仕事で言えば、少し前の仕事ですが、某マネジメント・ソフトウェア・ベンダー企業のブランド広告。そのコピーが「The Software Manages e-Business.」というもの。訳すと、「私たちのソフトウェアはeビジネスをマネージしています。」というふうになりそうですが、そうではなくて、英語的にはtheが重要なんですね。つまり、「本当の意味でのeビジネスをマネージしているのは、私たちのソフトウェアだけです。」みたいな意味になるのです。うーん、困りました。あまりいいコピーでもないし。
私はどうしたかというと、意味を汲んで別のコピーを書きました。「さあ、次のeビジネスへ。」というコピーです。レトリック自体は、まあたいしたことはないですが、本社へ説明するための企画書を書くのがたいへんでした。こういう場合、直訳で勝負するより、意訳のほうがうまくいきます。インテルみたいにうまくいくケースばかりではないですから。
ボディコピーやナレーションなんかも、直訳ではうまくいかない場合が多いです。特に広告はレトリックを多めに使って、華麗な文章を書きますから。その際は、まずは意味を理解して、それを頭に叩き込んで、その書いた海の向こうのコピーライターが日本語を使うとしたらこう書く、というふうに書きます。原文をアダプテするのではなくて、書いた人の意識をアダプテするんです。憑依ですね。
この仕事は、けっこう苦労しましたが、それをきっかけに日本市場でのオリジナルのキャンペーンをいくつも作らせていただいて、広告賞もたくさんいただいたりして、私のキャリアにとってはかけがえのない仕事のひとつになりました。外資系広告会社のクリエーターのみなさん、アダプテがんばりましょうね。こういうこともありますし、特に若い人はアダプテで鍛えられますから。それに、こういうのを確実にやるのは、プロっぽくて好ましい感じですしね。
広告でも翻訳がこんなに難しいのに、文学なんかはでは、きっと母国語の持つ微妙なニュアンスはなかなか伝えられないんだろうなと思います。原文で文学を読んだことはないので本当のところはわかりませんが。
昔、柄谷行人さんが日本語で書いたテキストを英語に訳して、その英語を日本語に訳し直し、2つの日本語のテキストを比較するというめんどくさいことをしていましたが、かなり違ってくるんですよね。コミュニケーションの不可能性を実証するために、この実験をされていたように記憶していますが、じつは簡単に見える異文化のコミュニケーションが、こんな一例でもいかに難しいかがわかります。柄谷さん曰く、「コミュニケーション(交通)は、命懸けの飛躍」というやつですね。
そんなことから考えると、人間というものは、そうそう簡単にわかりあえるものではないからこそ、わかりあおうとするんだろうなと思うんですね。インタラクションとは何か、みたいなことを考えていて、その暫定的な結論として、人間の非対称性に起因する不可能性からくるズレみたいなもの、というふうに考えたのですが、固有の人間の人生とか環境とかが持つ異文化が交流するといいうのがコミュニケーションの本質だとすると、その主たる手段である言葉は、人間そのものかもしれません。
ちょっと禅問答モードに入ってきそうなので、本日はこのへんで。この先を続けると、知恵熱出そうだしね。ではでは。
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コメント
こんにちは、mb101boldさん。「Intel inside」のコピーは、もともと日本の広告会社がプレゼンしたものだったんですよー。実際のコンセプトは「Intel in it.」というものだったらしいんですが。この話は当事者がわたくしの先輩で耳にタコができるほど聞かされました(笑)
でも、広告人冥利に尽きるいい事例だと思いますです、はい。
投稿: tom-kuri | 2008年2月26日 (火) 14:37
tom-kuriさま、こんにちは。へえ、それは初耳です。ほんといいスローガンですね。あのIntel insideは、大活躍ですものね。広告効果を金額換算したらものすごいことになると思います。それと、ということは、それがまわりまわって、日本でアダプテされたっていうことなんですね。それも面白いですねえ。いろいろつながってるんだなあ。
投稿: mb101bold | 2008年2月26日 (火) 16:07
はじめまして。このエントリーにアダプテーションの要素が見事に描かれていますね。本当に難しいですよね。また、ブログにリンク張らせていただきました。
投稿: ブルースマック | 2010年8月 5日 (木) 11:39
はじめまして。そう言えば、最近はアダプテが少なくなったような気がしますね。気のせいかな。
投稿: mb101bold | 2010年8月 6日 (金) 00:53