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2008年2月 5日 (火)

プレゼンって何だろう。

 私は、なんだかんだでほぼ毎日プレゼンをしてるような感じで、あらためてプレゼントとは何かなんて考えたことがなかったんですが、前回のエントリでチャーリーさんからコメントをいただいて、おお、プレゼントは自分にとってはこういうことかも、と思いましたので、ちょっとそれを書いてみます。

 なんかすごくかっこ良かったので、チャーリーさんのコメントを引用しますね。

なにかをトライするよりも、なにかをしない、と決める方が生き方をクリアにすると信じてるので、小生は「プレゼンは受けません」とやせ我慢で行きます。
結構それでウマくいくものですから。

 詳しくは存じ上げないのですが、コメントから推測するに、きっとチャーリーさんは広告を出す側のお仕事をされているのだろうと思います。また、かつて広告会社にもいらっしゃったようで、双方を経験されているようです。コメントのお返事にも書きましたが、オリエンを受ける側からすると、なにかをしない、つまりうちのブランドはこうだから、こういうことはしません、みたいなオリエンはすごくありがたいのですね。ブランドなり企業なりが、何を信じて、何を大切にしているかがわかりますから。

 人間も同じですが、個性を育てるということは、無限の可能性を有限の可能性にしていくことですから、無限の可能性を求めるということは、つまり、私は個性はありませんと言うに等しく、何がしたいかだけを言うオリエンテーションでは、個性のない相手の表現をつくることになってしまい、広告制作者としては、ブランドや企業への敬意がもてないのですね。で、結果として、つくってプレゼンの反応を見て相手を知る、みたいな不毛なことになりがちなのです。これは、双方が消耗するやり方です。

 まあ、たいていの広告の実務はそんな感じかもしれませんが、そうじゃないプレゼンもあることにはありますし、そんないいプレゼンはどういうプレゼンなんだろう、ということをあらためて考えてみたんですね。

 私にとっては、プレゼンというのは、広告をつくる過程の思考プロセスをオープンにしていく行為なのかな、と思います。うまく説明できませんが、それは説得とはちょっと違って、この表現はこういう意味だからいいんです、みたいなことを説明するプレゼンはむしろ駄目なんですね。そうじゃなくて、表現はこれです。その表現をつくるにあたっては、私はこう考えました、みたいな感じです。自分の思考のストーリーを明かすというか、自分の頭の中のソースを開示するみたいな感じでしょうか。

 だから、私にとってプレゼンとは、説得の場でもなく、自己弁護の場でもなく、情報共有の場なんだと思います。すべてのプレゼンがそうとは言えない現実はありますが、いい関係の仕事におけるプレゼンはそんな感じです。双方の頭の中のソースががいい感じで共有されていると、その後のプロセスがすごくスムーズで建設的なような気がします。

 プレゼンが説得の場であるとき、案が否定されることは、説得に失敗したことを意味しますから、けっこうきついのですが、プレゼンが共有の場であれば、案が否定されたとしても、それはあまり大した出来事ではなくなるんですよね。これは、強がりで言っているわけではなくて、むしろ、相手の思考の共有からくる新たな気づきがありますから、こちらもこの案では駄目だと共感できますし、弁証法的な昇華という感じがするんです。

 かつて、プレゼンが苦手だった私がいかに苦手を克服したかということを書きましたが(参照)、それは、きっとキャリアを重ねるにつれて、そんなことに気づいたからかもしれません。もちろん、こういう共有の場としてのプレゼンは、競合コンペなんかでは通用しないかもしれませんが、それでも、今ある情報の中で、あなたのことをこう思いこう考えました、というプレゼンはできるし、そうしていきたいなとは思うんですね。説得は相手に煙たがられるかもしれませんが、あなたのことをこう思いましたと言って、嫌がる人はあまりいないんじゃないかとも思いますし。

 それをやって駄目だったら?まあ、それは、恋愛と同じであきらめるしかないでしょうね。縁がなかったという感じで。ではでは。

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コメント

小生のコメントをこのように展開していただけるとは・・・やはりプレゼンの名手ですね。

昔、山のようにプレゼンをしてた頃、特に競合プレが多かったので、その勝率がやはり気になってました。それを克服するために「このプランを採用しなければ相手が損をする」と思えるまで、やろうと思い、やることによって、勝負を克服できたように思います。

ひとつのテーマを、どこまで深め考え展開できるか。深めれば、そこにはプレゼンを「受ける人」と「する人」のボーダーが消滅していく領域があるように思います。

尊敬する建築家・安藤忠雄氏の著書に「連戦連敗」という本がありますが、シジホスの神話のように敗れながらも切り込んでいく安藤・元ボクサー・忠雄が好きなのは、依頼主と建築家のボーダーを越えた非武装地帯で戦う姿がカッコいいと思うからかもしれません。

人の百倍打ち込む仕事をして実績を積み上げれば、指名という新たなプレゼンのレイヤーに辿りつくと思います。

本当のプレゼンは、プレゼンの前に勝敗が決する、そんなことも考えます。

それもまた恋愛と一緒ですね。


投稿: チャーリー | 2008年2月 5日 (火) 03:51

いえいえ、私はいわゆる華麗なプレゼンはまったくもって駄目なんですよね。

>依頼主と建築家のボーダーを越えた非武装地帯で戦う姿がカッコいいと思うからかもしれません。

私も安藤さんの「連戦連敗」を読みました。あの本を読むと勇気が出ます。まだまだ指名というレイヤーには辿り着けませんが、日々のひとつひとつを積み重ねて頑張っていきたいと思っております。

投稿: mb101bold | 2008年2月 5日 (火) 16:37

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