Miles Davis said
「いいプレイをする奴なら、肌の色が緑色のヤツだって雇うぜ。」と急進的な黒人ジャズファンに語ったマイルス・デイビスですが、マイルス・グループで音楽的な意見対立があったとき、唯一の白人プレイヤーであったビル・エバンスが口を挟むと、「おい、黙ってな。オレたちは、白人の言うことなんてききたくないね。」と言って若いエバンスをからかったそうです。マイルスという人はお茶目だし、一筋縄ではいかない人だから、そんな憎まれ口も、世間に抗って採用した白人ピアニストに対する彼なりの親愛の表現だったのでしょうね。
マイルスという人は、本当に興味が尽きないです。こういうことを書くと、マイルスは白人差別主義者だと思い込む人もいるかもしれませんが、人間が生きている現実は、もっともっと複雑で、私はむしろ、率先してそういう憎まれ口を叩く、つまり、リーダーである自分が言ってしまうことで、他のメンバーが持つかもしれないそうした思考を自ら封じるというマイルスの振る舞いに、エバンスは救われたのではないかと思うのですね。そして、もちろん、マイルスはエバンスの言うことを聞かなかったわけでもありませんしね。マイルスという人は、クレバーな人ですから。
マイルスとエバンスの競演は、「1958 Miles」と「Kind of Blue」(写真)の2枚のアルバムで聴くことができます。そして、その2枚を聴くと、いかに世間に抗ってまでも、エバンスというピアニストがマイルスにとって必要だったかが分かります。
マイルス・デイビス、キャノンボール・アダレー、ジョン・コルトレーン、ポール・チェンバース、ジミー・コブ、そして、ビル・エバンス。蒼々たるスタープレイヤーの中の、若手ピアニスト。マイルスは、コード中心のバップイディオムから旋律中心のモードイディオムへ、アップテンポからミディアムテンポへ、というテーマがありました。マイルスが考える、その新しいコンセプトは、残念ながら、彼が率いる一流プレイヤーたちには十分には理解されていなかったような気がします。但し、新進ピアニストであるエバンスを除いては。
エバンス加入前に、ピアニストのレッド・ガーランドがマイルス・グループを脱退しています。クスリのせいだとも言われていますが、当時、萌芽としてあったマイルスの新しいコンセプトへの違和感も原因だったのではないかと思います。
ジャズファンにはよく知られた話ですが、「Kind of Blue」に収録されている「Blue in Green」という静謐な名曲は、マイルス作曲とクレジットされていますが、エバンス作曲です。これがマイルス作曲とクレジットされているのは、コード進行の着想がマイルスであったことと、このアルバムに収録の曲をマイルスのフルオリジナルとしたいレコード会社の意向(もしかするとマイルス自身の意向)もあったと聞きます。そして、エバンスは、最期まで自身のピアノトリオで、この「Blue in Green」を演奏し続けました。「マイルスがつくった美しい曲です。」と演奏する前に付け加えながら。
ホーン付きのバンドではなく、自身のピアノを中心とした活動をしたいと申し出て、マイルス・グループを脱退します。マイルス・グループ脱退後に制作されたエバンスのアルバム「Everybody Digs」のジャケットには、マイルスの言葉が署名入りで記されています。
I've sure learned a lot from Bill Evans. He plays piano the way it should be played. Miles Davis
(ビル・エバンスからは多くのことを学んだよ。彼は、ピアノはこう弾かなければいけない、という弾き方をするんだ。マイルス・デイビス)
ちなみに、このエバンス脱退は、一般的に白人差別に耐えかねてと言われていますが、それは違うと思います。ひとつは、エバンスが語るように、自身の希望。そして、コルトレーンの手紙によると、エバンスの重度のドラッグ癖のため、マイルスがやむを得ず解雇したとのことです。「Kind of Blue」が録音されたのは、エバンス脱退後。そして、当時のマイルス・グループの正式ピアニストはウィントン・ケリーでした。
つまり、エバンスが呼ばれたのはこのアルバムのため。死後発見されたコルトレーンの手紙の内容が真実であるとすると(プライベートな手紙ですからそのまま信じるわけにはいきませんが)、ますます、いかにマイルスがこのアルバムの制作にエバンスが必要だったかが逆説的にわかります。
そして、マイルスはご存知のように、エレクトリック・ジャズという新しい世界を切り開き、エバンスは伝統的なアコースティック・ジャズを深化させていきました。マイルスのはく言葉には、いつもそこにユーモアがあり、たくさんのトラップが仕掛けられています。そして、いつも多くの共感と誤解がつきまといます。そして、エバンスがはく言葉は、愚直です。そして、それは、真理であるとともに、それゆえの嘘がつきまとっています。
たった2年ほどですが、この対照的な2人の芸術家が深く関わった偶然は、彼らの後に生まれ、彼らの人生を俯瞰的に見ることができる私の特権からの視線ではあるけれど、歴史は必然なんじゃないかと思わせてしまうのです。私は、歴史は必然の流れだとは思わないけれど。
| 固定リンク
「ビル・エバンス」カテゴリの記事
- DAVIS-EVANS(2010.04.28)
- Bill Evans sings?(2010.04.24)
- Kind of Blue(2010.02.07)
- バランス。あるいは、動きつづけるということ。(2009.11.09)
- Miles Davis said(2008.03.30)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
最近凄いエントリーですね。本エントリーも大変勉強になりました。
マイルスに関しては好き嫌いの次元を越え偉大な芸術家と見ています。創造破壊を繰り返し亡くなるまで進化し続けた唯一のJAZZミュージシャンではないでしょうか。
サイレントウエイからビッチェズブリューでの変貌は当時受け容れ難く、いささか無理して聴いていた思い出がある。今では懐かしく心穏やかに聴く事が出来て聴く側も進化した?
投稿: あんぷおやじ | 2008年3月31日 (月) 06:07
私なんかの世代だと、マイルスはの電化マイルスのイメージで、カインドオブブルーとかを初めて聴いたときは、「へえ、若いときはアコースティックジャズをやっていたんだ」という感じでした。まったく違いますものね。
あの進化、進化、進化の人生は尋常ではないですね。それと、見事なまでに過去を振り返らない生き方も。それでいて、通して聴くと、全部やっぱりマイルス。
今でも若い人に人気があるところもすごいです。余談ですが、マイルスがなくなったとき、カインドオブブルーがいつもの3倍売れたそうです。それはそれで、面白いなあと思いました。
投稿: mb101bold | 2008年3月31日 (月) 09:10