いい空気をつくる人。
ブログのエントリと広告は似ているところがあって、本人がこれは自信があると思って書いたものがあまり評判にならなかったと思えば、何気なく書いたものが思わぬ評価を得ることがあって、そんなコントロールのできなさ加減がなんだかせつないものがありますね。広告の場合は、やはり本職なので、わりあい意識して狙いにいきますが、ブログのほうは、毎日機嫌良く書ければいいやと思っているところに違いがありますが。
長いこと広告稼業をやっていると、それなりに評判になった広告をつくる機会もあるわけで、まあそんなに有名なクリエーターでもないので、多くの人は知らないけれど、業界の人に見せると、ああ、あの広告をつくった人なんですか、なんてこともあります。でも、そんな世間の評価みたいなものを度外視して自薦でお気に入りの広告を選んだら、私の場合、見事に何の評価も受けずに消えてしまった広告ばかりです。まあ、消えてしまったといえども、沈黙の評価というのを私は信じていますけどね。
そんな自作の中で、いまも自分で、いいなあ、なんて思うのが、タイトルになっている某空調メーカーのコピーがついた広告です。ブログをはじめた頃は、あまりブログの空気がわからなかったので、自作の紹介などをしていましたが、ブログというものはあまりそういうのに適さないメディアであるような気がしますので、最近は自作の紹介はしなくなってしまいました。それに、こういう個人メディアに載せていいのかわからないところもあって、それよりも今自分が考えていることのほうが重要な気もしますので。まあ、今のところ、そんな感じです。
なので、広告の会社名も明かしませんし、ビジュアルも載せないのは何ですが、「いい空気をつくる人。」という広告の言葉は、自分がつくった言葉の中ではわりと好きなんですね。小さい広告でしたが、実際に出稿された広告なので、もしかすると覚えている人はいらっしゃるかもしれません。
マーケティング的には、その空調メーカーが総合家電メーカーに対抗するためには、専門性を打ち出すことが必要、みたいなことではありますが、それよりも、「いい空気をつくる人」というのは確かにいるなあ、というのが実感としてあり、私はあまりそういう人ではないので、そういう人への憧れやら、尊敬やら、嫉妬やら、そんな複合的な感情が入り交じって、個人的には今も妙に記憶に残る言葉ではあるんですね。
いい空気をつくる人というのは、今の時代、すごく求められているような気がします。空気を読むというのが流行りましたが、空気を読むより、空気をつくるというほうがポジティブな感じがして好きです。でも、空気読め、は流行しましたが、空気つくれ、は流行りませんでしたが。今は、いい空気をつくる人が、さみしそうにうつむいてしまう時代のような気がします。それこそ、空気を読めよ、なんて言われてね。なんか世の中がギスギスしているなあ。
今日、駅のエスカレータでもたついているご老人がいらして、それを見た若者が、遅えなじじい、みたいなことを、それこそみんなに聞こえる声の大きさで言っていたんですね。友達と2人でした。ということは、彼は、きっとその友達もまわりの人もいらいらしているという空気を感じて、その空気を読み、同意を求めるかのようにそう言ったということなんですね。よくぞ言った、みたいなことを思われたかったのでしょうね。さみしい。
最近の若いもんは、といったステレオタイプな話になりそうですが、じつは世の中の空気はそうでもなく、いちばん荒れているのはおじさんおばさんのような気がします。街で、チッっていう舌打ちをよく聞くようになったのは気のせいではないと思います。そんなにイライラしても、何も変わらないのになあ、とこっちまでイライラしてくるのは、やはり空気はつくられる証拠でもありますね。
できれば、いい空気をつくりたい。ほんと、そう思います。なんかいい人っぽいこと書いちゃってますが、いい人っぽいことを書く人は、本当はやな人と相場が決まっていて、そんな感じの私だからこそ、なおさらいい空気をつくる人になりたいな、なんて思うんですね。でも、私には無理かもしれないな、とも思います。ないものねだりですね。いい空気をつくるっていうのは、一種の才能のようなものでもあるから。
そろそろ桜が咲きますし、「時代なんてパッと変わる。」という秋山晶さんの名コピーがあるように、突然おおらかな世の中に変わるかもしれないので、悲観はしないでおこうと思います。これを書いたきっかけは、駅のあの若者を見てやな気持ちになっただけなんだし、時代なんて本当にすぐ変わるから。でも、同じ秋山さんが「時は流れない。それは積み重なる。」なんて書いているわけだし、その秋山さんの代表作は「ただ一度のものが僕は好きだ。」だったりするので、あてにはなりませんが。まあ、広告なんてものは、書くというより、時代に書かされている、みたいなところがありますからね。
それにしても、今の時代、むずかしいなあ。
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