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2008年3月17日 (月)

They are just what you like.

 NHKの「迷宮美術館」という番組を見ていると、ホイッスラー(参照)という画家のエピソードが紹介されていました。私はあまり美術に詳しくはありませんので、こうした教養番組はすごく楽しめます。こういう時、知らないってお得です。このホイッスラーという人、浮世絵などの日本美術の影響を強く受けた画家だったそうで、当時の美術界から見ると、かなりの異端児であったそうです。

 絵画は、色と形から構成される自律的な芸術であるというのが、ホイッスラーの考え方だそうです。今となっては、それは当たり前ではありますが、彼が生きていた19世紀後半という時代は、印象派が前衛芸術運動であった時代でもあり、そういう考え方が、前衛というか、そんな感じだったんでしょう。また、欧米の信仰的なこともあり、自然をありのままに再現するのが絵画芸術であるという考えがまだまだ一般的だったようです。

Whistler  ホイッスラーは、1877年に「黒と金色のノクターン-落下する花火」という作品を発表します。その作品に対して、自然をありのままに再現することを是とするラファエル前派(参照)など芸術運動の理解者であり、英国美術批評界の権威でもあったラスキンに、「まるで絵具壷の中身をぶちまけたようだ」と酷評されるんですね。それに怒ったホイッスラーは名誉毀損で裁判を起こします。

 その裁判の中で、作品の中にあるこの部分(どの部分だったかは忘れました)はいったいどういう意味なんだというラスキンの問いに対して、ホイッスラーはこう答えました。They are just what you like.(お好きなように考えてください)結局、ホイッスラーは勝訴するのですが、裁判費用なんかで自邸を売却するはめになったそうです。

 迷宮美術館によると、この絵画は売れなかったらしいです。でも、やっぱり芸術家というのは、すごいもんだなあ、と思います。多くの犠牲と引き換えにしてまで、自身の芸術の名誉を守りたかったんですから。

 広告の実務なんかでも、このビジュアルの意味は何なの、と問われることは多いです。そのとき、やはりホイッスラーのように、お好きなように解釈してくださいな、なんてことは言えないわけで、この番組を見ながら、不謹慎にもそんなことを考えました。それよりも、情けないことに、企画意図を説明するために分厚い企画書を書いたりするんですから。

 英国の大手広告代理店のアカウント(営業)に向けた研修で面白いものがあります。クリエイティブがでたらめに作った広告案を、クライアントにプレゼンテーションする研修です。でたらめに作っているわけですから、意味なんてありません。だけど、アカウントはそれをもっともらしいプレゼンをして必然にしないといけません。

 アカウントという職種は、どうしても自分が説明しやすい、つまり、売りやすい広告をつくりたがる傾向があって、それを戒めるための研修らしいですが、まあ、欧米の広告代理店は面白いことを考えるもんだなあと思います。

 私は、講師の代理で若いクリエーター志望の方々に向けて講義をしたことがあります。そのとき、リップサービスとして、広告の面白いところは、広告の目的に忠実に表現をつくると、ほかの絵画などの芸術では絶対に考えつかない新しい表現ができるので、やりがいがありますよ、なんて話したんですね。それは、ピュアアートをやっている人にはできない新しい表現だし、興味深い世界でしょ、なんて。落ちは、だから、広告目的から逃げちゃだめ、みたいな。

 そんなことを話すと、ある真面目そうな生徒さん(企業の宣伝部で働いている方でした)が、それって、クライアントがお金を出しているのに不謹慎じゃないですか、とちょっと怒って言いました。私は、でも斬新でないと広告の目的を果たせないじゃないですか、なんて答えましたが、まあ、そういう考え方もあるなあ、なんて思います。だから、クリエイティブも、なるだけ企画書を書いた方がいいと思うんですね。

 ホイッスラーのThey are just what you like.とは逆の結論ですが、斬新で広告効果の高い表現を納得してもらうために、できることはぜんぶやっとこうという感じです。

 企画書と言えば、今日はずっと企画書をパワーポイントで書いていたんですが、私の個人PCのパワーポイントが2008 for macなので、なんか調子が狂います。まだ、慣れないです。というか、立体とか影とか、アクア的な効果とか使わないし。それに、最新機能を使うと、旧バージョンとは互換性がないんですね。拡張子も.pptから.pptxに変わっていますし。それと、ツールバーの縦表示ができないんですよね。これ不便。ただでも小さな画面を有効に使いたいのに。それとも、ツールバーの縦表示はできるのかしら。

 というより、かなり脱線してしまいましたが、まあいいや。ホイッスラーについて知りたい方は、ネットを検索すると、かなりのことまで知ることができるみたいですね。今の時代、やる気になれば、どんどん知ることができるんですね。少し前まで、広告で何か調べるのに、図書館に行ってたことを思うと、すごい進化です。今や、会社のホワイトボードに日比谷図書館直行なんて気軽に書けなくなりました。ではでは。

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コメント

mb101boldさん、こんばんわ(^0^)/
ちょっと本文とは関係ないのですが、広告の本来の力っていうか、メッセージ性かな?
で、福耳さんのところでみつけたのですが、

http://d.hatena.ne.jp/video/youtube/RV2BsriJBeM

http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20080305/1204699722

↑福耳さんのエントリ

これってすごいなと思います。
日本ではこういうのって見たことないように思います。すごく強烈だけど、心に残る。

福耳さんのエントリも、広告とは直接関係なくて、最初のほうにこの画像を広告主も保存してなかったというお話があって、広告画像って残らないんだなあということが書かれているだけなんですけど、その福耳さんのお考えと、日米の違いがすごく印象的だったのでついコメントしちゃいました。

使命としてメッセージ性を帯びている広告ってほんとにすごい。
残っていてくれてよかったなと、そう、思いました。

投稿: ggg123 | 2008年3月17日 (月) 23:59

ggg123さん、こんばんわ(^0^)/

米国の広告代理店DDB制作のCMですね。古典といっていいと思います。私は外資系広告代理店の制作者なので、それこそ暗記するほど繰り返し繰り返し見た覚えがあります。私もこのCMの映像マスターが残っていてくれて本当によかったと思います。

日米(欧)の違いで言えば、広告はそれが顕著に現れる分野かもしれません。とりわけ意見広告の分野ではそうです。

飲酒運転を例にすると、欧米はその悲劇をきちんと描きます。人が死ぬところまで。銃についての意見広告では、赤ん坊が銃を触って遊んでいて、暴発するところまで描くとか、アフリカの森が失われることを警告する広告では、アフリカの少女の髪の毛をバリカンで刈る映像をメタファにして訴えたりします。

つまり、目を背けたくなるリアルな現実も描くんですね。そのリアルな現実を描いていいかどうかの決断は、そのメッセージが社会に必要なのかどうかの決断から来ると思うんですね。使命かどうか、その表現に嘘がないかを判断するというか。故に、そういう優れた広告はメッセージの突き詰め方が尋常ではないんです。

でも、こういう広告は、欧米でも問題作なんですね。こういう表現を許さない人たちも当然います。そういう環境の中に広告制作者がいるのは、日本も欧米も同じです。私もがんばらないといけないな、とあらためて思いました。

投稿: mb101bold | 2008年3月18日 (火) 01:25

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