« I SHALL BE RELEASED lyric by Bob Dylan | トップページ | 「広告批評」休刊が象徴するもの »

2008年4月13日 (日)

広告の終わりのはじまり

 マドラ出版の「広告批評」が来年の4月で休刊とのこと。30周年を期にしての決断だそうです。広告批評の公式ウェブサイト(参照)にお知らせがひっそりと掲載されています。テキストではなく、くせのある明朝体フォントで丁寧に組まれた文章をGIF画像にしたものであることが、なんとなく今の時代に対してのひとつのスタンスであり、ささやかな抵抗であるような気もします。ちょっと深読みに過ぎるかもしれませんが。

 創刊した一九七九年と言えば、テレビCMを中心に、広告が大きな転換期を迎えた年です。マスメディアの中で巨大化していく広告を、暮らしの視点から、あるいは大衆文化の視点からどうとらえ、どうみんなの話題にしていくか。現代の「広告評判記」をどうつくっていくか。そんな思いで走りつづけた三〇年だったと感じています。
 そしていま、広告はマスメディア一辺倒の時代からウェブとの連携時代へ、ふたたび大きな転換期を迎えています。マスメディア広告と一緒に歩きつづけてきた小誌としては、このへんでひとつの区切りをつけたいと考えました。

 そのGIF画像に書かれていた文章の引用です。つまらない話かもしれませんが、私はこの引用をコピー・アンド・ペーストではなく、キーボードを打って入力しました。大した作業ではないけれど、こうした小さな作業ひとつとっても、情報というものの受容のされ方は違ってくるものだと思います。実感としては、このひと手間が入るだけで、より丁寧によく噛み締めて文章を読むようになりますね。

 広告批評が標榜していた批評とは、まさにそういうことであったのだと思います。マスメディアによって一方的に送信される広告という情報を、暮らしの視点、大衆文化の視点で、もう一度読み直す、つまり批評するということを、広告批評はやってきたのでしょう。その批評によってもう一度見いだされた広告は、マーケティングの一手法としての広告を超えて、生き生きとしたカウンターカルチャーとして花開きました。そして、そのことは、広告制作者に少なくない自負心を与えてくれました。我々は文化の担い手なのだという自負心です。

 私は、広告批評のこの潔い引き際を見事だと思っています。発行人である天野祐吉さんが「部数の減少や赤字による休刊ではありません。」と毎日新聞に語っておられるように、熟考された上での決断であると思います。マスというモノサシでは、今、広告を批評するという行為が成り立たなくなってしまったのでしょう。それは、さみしいことではあるけれど。

 けれども、まさしく、この決断が、広告批評は、自身に対しても批評的であったことの証になっていると思います。まだ1年あるし、月並みな言葉になってしまいますが、本当に、30年間お疲れさまでした。そのときどきで共感したりしなかったりはありましたが、編集方針が明快な広告批評が、数ある広告雑誌の中ではいちばん好きでした。

 さて、これからの30年を私たち広告人はどうしていくかです。広告批評が語るように、今は第二の転換期です。こうした時代に生きる、一人の広告制作者として、この先をどう設計していくのかは、自分の人生設計を含めて、すごく悩みます。なんとなくの実感では、もっと周辺分野を幅広く学ばないといけないな、という感じがあります。なんとなく自分の中の暗黙知的なことを、形式知にして既知化したい欲求というか、そんな感じです。浮き世稼業の広告制作者がそんなことを考えるのも、時代ですよね。

|

« I SHALL BE RELEASED lyric by Bob Dylan | トップページ | 「広告批評」休刊が象徴するもの »

広告の話」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

はじめまして、なとなくこちらに漂流してしました。座礁ではありませんが・・・、
広告に尾張?はないでしょう。
ただ新聞・雑誌の売れ行きがWEBやIC情報にに持っていかれるでしょうが、ビジュアルな街中広告がそのセンスを競い合うようになってきているようにも見えます。広告の役割は広がりは不滅です。
だだ、いまだ日本特有の専有化された閉鎖的な世界と一部のアーチストは思えてしまうのです。『鳥獣遊画』のグラフィックアーティストの鈴木盛人さんも日頃より論評してます
私もこの国の電通タブーも信じております。
政治・株価まで操作しインサイダー的利益さえも作り出そうとするゆがんだ力をも
そしてモリサワ/adobe等タイポの寡占・排他的デザイナー同士の仲良し会・吉本系の三流芸人抱き合わせも 広告に影響するいろんなものが蟻なのかなと
外資系の企業のあなたなら  それを
知りうるでしょうし、あり方を述べられるでしょう。
長文失礼!!給油補給完了!!

投稿: おしゃべりインコ | 2008年4月13日 (日) 17:01

おしゃべりインコさん、はじめまして。

これまでの広告は終わるけれど、新しい広告がはじまる、みたいな意味も込めたんですが、ちょっとタイトルのつけかたが狙いすぎでしたね。でもまあ、ああ、今までの広告が終わっちゃうなあという感慨もあるにはあるんですけどね。どっちかというと私は広告批評の持つコンテクストで仕事してきましたので。

おっしゃるように日本の広告業界は、ちょっと閉鎖的に見えてくるのはありますね。それはある部分では事実でもありますし。なんていうか、そんな業界の風通しをよくするためにも、私のような感じの現場がブログであれこれ書くのも少しの意義はあるのかなあと思い、つらつら駄文を綴っております。

また気軽に漂流してください。そちらにも、漂流&燃料補給をしに行きますね。ではでは。

投稿: mb101bold | 2008年4月13日 (日) 18:10

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/214429/40863767

この記事へのトラックバック一覧です: 広告の終わりのはじまり:

« I SHALL BE RELEASED lyric by Bob Dylan | トップページ | 「広告批評」休刊が象徴するもの »