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2008年4月18日 (金)

広告屋さんは、いろんな企業を見られることろがちょっと素敵。

 このブログを読んでいただいている就職活動中のみなさんの中には広告業界志望の方もいらっしゃるかもしれませんね。広告業界は、最近はあまり人気がないようです。マス広告が以前ほど華やかではないし、それに、メディアも多様化し、分散化しているので、多くの学生さんの日常生活の中にも、広告が気持ちの中に占める割合が低くなっているのかもしれません。

 広告会社を志望する動機としては、私もあんな広告をつくってみたい、とか、私のアイデアで流行をつくって世の中を動かしてみたいとか、そんなとこでしょうかね。まあ、その気持ちもわかりますが、外から見るのとやってみるのとはずいぶん違うもので、日常の仕事は、すごく地味な作業の繰り返しだったりもします。どの業界もそうだと思うけど、そんなに華やかな世界でもないしね。

 最近はIT系を志望する人が多いようですね。それは分かる気がします。だって、まだまだ進化を続ける業種だと思いますしね。そんな世の中で、あえて広告業界もいいかななんて思っているあなたに、少しいい話でも。

 広告業界の楽しいところは、いろんな企業の姿を、第三者としては割と当事者的な目線で見られるところでしょうか。保守的な会社もあれば、先進的な会社もありますし、最先端の業種もあれば、もうそろそろ衰退するかな、という業種もあります。こうして広告業界に身を置いてみると、世の中って、いろんな仕事で成り立っているというのが身にしみてわかります。

 何の専門家でもないという感じとか、根が生えてない感じとかはあるけど、いろんな会社のいろんな人に会えるのは、広告業界の魅力のひとつではありますね。私なんかも、これまでにかかわった会社は100を超えるんじゃないかな。それぞれに悩みがあって、それぞれに喜びがあって、ほんといろんな社会への関わり方があるんだなあといまだに驚くことがあります。

 そういう感じで考えると、広告業界に向いている人は、いわゆる個性が強い人ではなく、あれこれ人の気持ちを読みすぎるほど読んで、そんな自分がときどき嫌になるくらいの人の方なんじゃないかなと最近思います。今日も、私はパワーポイントに向かって、この時間まで、うじうじと長編の企画書を書いていました。そんなしんどい作業をするときにね、自分のためとかそんな動機ってあまり効かないもんなんですよ。そんなときけっこう効くのは、この企画書、あの会社のあの担当者がよろぶかな、よろこべばいいな、もうちょっとがんばろ、みたいなこと。いざというとき、自分のため、みたいなことは屁の突っ張りにもならないもんです。

 サービス精神っていうんですかね。正しい意味での公務員に求められる公僕精神。そんなたいそうなものでもないけど、まあそんな感じ。いちばん遠いと思うような感じが、じつは広告業界ではすごく大事だったりするような気がします。私にあるか?あるのかなあ、それともないのかなあ。よく分かりませんが、そんな地味だけどサービス精神がたっぷりある人が、案外うまく働いているのは、今までよく見てきたなあと思います。

 私なんか、広告業界は向いてないんじゃないか、なんて思っているそこのあなた。もしかすると、そんなあなたは、広告業界で伸びる人なのかもしれませんよ。

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コメント

同感です。
本当の意味でのサービス精神。思いやり。

全ての仕事に通じることなのですけどね…。
たとえ機械相手でもそうなのですけどね。

「顔が浮かぶか」…これからますます難しくなっていきそうな気がしますね。

投稿: takupe | 2008年4月18日 (金) 11:43

takupeさん、こんにちは。

「たとえ機械相手でもそうなのですけどね。」というのは、ほほーと思いました。考えてみると、確かにそうかもしれません。その機械の性格とか機嫌とかもありそうですし。

投稿: mb101bold | 2008年4月18日 (金) 12:47

そうですね。

それと、例えば部品を作るときでも、その部品が使われるところをイメージすることは大事だし(スムーズに動いてくれるかな、とか)、機械を操作するときでもタイミングや早さを図る。

ピアノの鍵盤は押せば音が鳴るけど、押し方離し方によっていろんな音が出るということです。

"伝える"ということにおいては、機械相手でも人間相手でも、会話でも広告でも同じだと思うのです。

投稿: takupe | 2008年4月18日 (金) 15:27

そう言えば、某電子部品メーカーの方も同じようなことをおっしゃっていました。それと、今、スイッチ類はフィーリング(押したときの感覚)が大事にされているようですね。

スイッチ関連の話ですみませんが、そう考えると、スイッチがフィーリングを追究するということは、つまり、電子部品は使う人とのコミュニケーションを考える領域に入っていると言えるのかもしれませんね。

それとともに、目に見えないけれど完全自動化で均一性のある動作というのが求められる一方で、コミュニケーションが重視される、会話型の機械(たとえばバイクみたいな)も今まで以上に求められているのかもしれません。

顔が浮かぶのが見えにくい時代だし。なんか見えかけてきたようで、まだぼんやりしていますが、なんとなくそんなふうに思いました。

投稿: mb101bold | 2008年4月18日 (金) 18:20

こんばんは。
いつも丁寧にお返事ありがとうございます。
このブログと、こういったやりとりが私の"実感"を支えています。

手に触れるもの、目に触れるものの質感は、今後ますます大事になっていくと私も思っています。

みんな薄々でも何かに気がついていると、以前よりも悲観しなくてもよいと感じてはいますが、気は抜けないという気分です。

広告人のポジティブさに希望を持っています。

投稿: takupe | 2008年4月19日 (土) 00:27

こちらこそありがとうございます。

私もいろいろと考えるきっかけをいただきました。今後ともよろしくお願いします。

投稿: mb101bold | 2008年4月19日 (土) 14:55

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