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2008年4月 5日 (土)

女子と男子。処女性と童貞性。そんな話。

 フジテレビの「バニラ気分」という番組で、ボクシングの内藤さんが生まれ変わったら女子になりたいと言っていました。テレビ的な落ちとしては、オカマさんになりたい、爆笑という感じでしたけど、なんとなくその気分はわかる気がします。内藤さん、チャンピオンになって、テレビに出だして、ふつうボクシングのチャンピオンがテレビに出だすと、ある典型的なやぶれかぶれな感じになっていき、やっぱりボクサーだしなあという感じに落ち着いていきますけど、あの人があんなネアカな感じでも、内藤さんらしい自然な感じでキープしていられる秘密に、そんな内藤さんの感性があるんだろうな、と思いました。

 まあ土曜日なので、このまま脱線気味に言葉を綴っていこうかなと思いますが、広告、とりわけコピーに関して言えば、男子はもうだめだな、女子の時代だなあ、と思う時期がありました。時代の空気はすぐに変わるから、今はそうでもない気がしますけど。その感覚で言えば、世間ではジョージアで「明日があるさ」という広告がやっていた頃。私は「社長、もういっぱいいっぱいです。」とか「がんばれ、日本のバックアップ。」とか書いてました。その頃、女子を対象にした感じはどうなのかと言えば、「元気出していきましょ。エーザイ」とか、「私、誰の人生もうらやましくないわ。」だったり、私のものだと「私の自由。」だったり(誰も覚えてないか)そんな感じ。

 男子は、いままで絶頂期で、不況とかなんやかんやで、これからは落ちる一方という感じで、歴史的な段階はあるにせよ、女子は過渡期だし、これからもまだまだいけるという感じ。そういう意味では、男子はひたすら「ふんばる」「耐える」で、女子は「まだまだこれから」という空気。男子領域の表現の金脈は、ちょっと暗めなところにあって、女子領域の表現の金脈は、すごく明るいところに広がっていて、豊穣な感じがしていました。私だけかもしれませんが、女子の広告制作者がうらやましいと思っていました。

 もちろんこれは、生物学的な性差っていうのとあまり関係がない話でもあって、女子の広告制作者でも、女性的な感性をあまり持っていない人もいますし、その逆もあります。広告会社というのは、比較的女子が働きやすい場所だと思いますし、消費ということで言えば、女子的な感覚がメインストリームのような気がします。そういう意味では、男子と言えども女子的な感覚はもってないとつらいかもしれないですね。これからの時代は、男子的だけで乗り切ってはいけないような気がします。

 でもまあ、そうなってきたのは、ある意味では時間の経過によってなされてきたことではあります。大手広告代理店なんかでも、かつては女子は働きにくかったそうです。女性のCDは数人しかいませんでしたし、かつては女性だけで構成された広告代理店も生まれて、女性分野の商品の広告で活躍したこともありました。代表的な広告は、オカモトの「男も妊娠すればいいのに。」とか。まあ、その表現の是非はともかく、女子性のリアルはあったような気がします。その代理店は発展的に解消しましたが、それがひとつの時代の転機だったような気がします。社会的使命を終えた、というやつですね。

 あれから、すこし時間が経って、女子、男子をめぐる表現の金脈まわりの話は、どんな空気かといえば、私の感覚で言えば、あまり女子、男子が関係なくなってきたなあという感じです。それは、ウェブの大衆化となにやら関係があるような気もしていますが、どうなんでしょう。今の時代の空気は、女子、男子というよりも、あいまいになってきた生活という領域をどうするのか、みたいなことかも。いっしょくたになっていくのか、生活がすべてを飲み込むのか、その逆か。なにやら抽象的な話ですが、まあ土曜日なので、メモ的に。

 それと、女子的なるものもバリエーションが出て来たような気もします。女子的ということで言えば、aikoさんの持っている女子的、YUKIさんが持っている女子的、宇多田ヒカルさんが持っている女子的、矢井田瞳さんが持っている女子的は微妙だけど、明確に違いますよね。かつては、松田聖子さん、中森明菜さん、小泉今日子さん、プリプリ、みたいな感じで、男子的な目線からわかりやすい女子的感性でした。

 一方の男子性ということで言えば、幸か不幸か、これは人間というものと同義みたいな感じで語られてきた感じがします。ちょっと言うのはあれですが、女子の場合は、少女と女を分つものとしての「処女性」みたいなことが語られてきましたが、男子の場合は、少年と男を分つものとしての「童貞性」みたいなことは、ある種のタブーになってきたことにもよるんじゃないかな、と思います。

 男子の場合は、少年と言い、少男と書かないですよね。私は、「童貞性」という軸で見ていけば、男子的のバリエーションも豊穣に見えてくるのではないかと思っています。この「処女」「童貞」というのは、実際の経験があるかというのは、そんなに関係ないかもしれませんが。心性を表すものとしての「処女性」「童貞性」。

 なんか妙な話に展開してしまいましたが、こんなうだ話もたまにはいいかなあと。土曜の昼にテレビを見ながら、頭の中にいろいろ浮かぶ感じを言葉にすると、こんな感じです。でもまあ、その半分も表現していないでしょうが。ぜんぶ表現したら、この世の中で生きていけないんじゃないかというようなことも考えるのが人間なんだし。その逆にぜんぶ表現しても、凡庸さが際立つだけだという考えもありますが。そんなわけで、投げっぱなしジャーマンで。ではでは。

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