ちゃうで、ちゃうで、そういう意味ちゃうで、と言いながらしゃべるのってめんどくさいやんか。
ダウンタウン松本さんの深夜ラジオにて。話題になっていたから、今回のラジオを聴いた方も多いと思いますが、大まかに言えば、全体を見ずに一部の言葉だけ抜かれて批判されても答えようがないし、という感じでしたね。ことの発端は、こちら。
私は、前回のラジオを何となく他のことをやりながら聴いていましたが、印象としては、まあなんということもないおしゃべりでした。大筋は、こと人の生き死にに関係することでもあるし、加熱報道でブームがつくられて模倣者が出るのだから、センセーショナルに報道するのはいかがなものかというものだったし。これだけ見ると、当たり前というか、芸人らしからぬ常識的な意見です。なので、あとでこんなに話題になったのは意外でした。それとともに、でもそういうこともあるだろうな、とも思いました。
ということを書きながら、私は別に「アホが死んだら別に俺はええねん」という考え方に同意しているわけではないですが、と書かないといけないかな、なんて思っている私もいて、それが今回のラジオの松本さんの「ちゃうで、ちゃうで、そういう意味ちゃうで、と言いながらしゃべるのってめんどくさいやんか。」という発言が、ちょっと心に引っかかりました。
まあ、失言なんでしょう。きっと、この言葉の後ろには無言の「ええことないわ」というツッコミが含まれているのだと思うんですよね。隣に浜田さんがいれば、松本さんの頭をどつきながら、「ええことないわ、ボケっ」と怒鳴るところでしょう。この番組の相方の高須さんは、松本さんシンパ的な役割をしていて、そこがこの番組の弱さでもあるし、ある意味では魅力というか狙いとも言える部分で、それは、テレビの「ガキの使い」とは違う松本さんを出したかった松本さんと高須さんの意向もあったのでしょう。
この「放送室」というラジオは、二人でしゃべっていても、松本人志というパーソナリティのモノローグだと思います。私は、今回の騒動をモノローグ的なものの弱さなんだろうな、と思いました。ブログなんかも、基本モノローグで、そのへんの弱さは持っていたりします。そういう意味で、「ちゃうで、ちゃうで、そういう意味ちゃうで、と言いながらしゃべるのってめんどくさいやんか。」という部分に、そうだなあ、という思いと、でもモノローグって、めんどくさいもんだよな、という思いが入り交じった妙な気持ちになりました。
ダイアローグ的なおしゃべりなら、相方がその言葉尻をあえて捉えてみせて、「松本さん、そんなこと考えているの?鬼畜やなあ」なんて言って「俺、そんなこと言うてへんやん」とおどけてみせて「いやいや、言うたがな」なんて展開になるんだろうな、と思います。でも、そうなったとしても、同じ状況が起こってしまいそうな時代の空気は、ちょっとなあ、と思うところもあるんですけどね。でも、これはいずれ成熟していくでしょう。というか思いたい。
漫才とか落語とかが、毒がありつつ面白いのは、それがダイアローグ的だからなのかな、と思いました。小説なんかも、例外はいっぱいあるけど、大まかに言えばその構造はダイアローグだと思うし。モノローグは、基本は評論で、突き詰めると、きっと詩や歌になるのでしょうね。で、モノローグは、自意識の拡張を目指し、ダイアローグは、それぞれの自意識に変化を迫るものなのだろうと思います。どっちがいいか、ということではなくてね。
松本さんのラジオでの発言を巡る今回の騒動については、いろいろ考えることはあったけど、その文脈に入っていくと、Yes or Noの世界に入っていきそうなので、それについては華麗にスルーという感じですが、ちょっと脇にずれながら、こんなことを考えました。
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