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2008年5月 6日 (火)

広告的、ウェブ的

 これはいろいろと誤解を招きやすい概念だと思うので、この広告的、ウェブ的という概念を思いつくきっかけから書きたいと思います。それと、あらかじめ言っておきますが、長いです。でも、ひとつ読んでやるか、という方は、少々のお時間おつきあい願います。では、始めますね。

 私が広告を制作する際に重視することのひとつにメディアがあります。テレビ、新聞、パンフレット、ウェブ。その他にも多種多様なメディアがありますよね。そのメディアを大きく分けると、大雑把に2つに分けることができます。

 それは、受動メディアと能動メディアです。受動メディアはテレビ、ラジオ、新聞、雑誌、交通、ウェブのバナーなど。つまり、人が他のことを考えていても目や耳に受動的に情報が入ってくるタイプのメディアのこと。能動メディアは、パンフレットやDM、企業ウェブサイト(スペシャルサイト)など。つまり、人が能動的にならなければ目や耳に情報が入ってこないタイプのメディアのことです。

  受動メディア=受け手が情報を受動的に摂取するメディア
  能動メディア=受け手が情報を能動的に摂取するメディア

 これまでは、情報の発信側の視点から、ATL(Above the line=川上)、BTL(Below the line=川下)という区別をしたり、メディアバイイングやターゲットの母数の視点からマス、SPと区別したりしていました。しかし、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌という4マスという考え方が、交通広告やウェブ広告の登場で、もはや意味がなさなかったり、旧来のメディア区分は、実質意味がないのではと個人的には思っています。

 そこで、私は、上記の受動メディア、能動メディアという区別をしているのです。この分け方は、それぞれのメディアでの表現のあり方を考えるときに利点があります。受動メディアにおいては、人はその情報にまったく興味がないことを前提に表現をつくっていかなければならず、逆に、能動メディアにおいては、人はその情報を欲しがっている、深めたがっているということを前提に表現をつくっていかなければならない、ということが分かるのですね。

 この話は、当たり前と言えば当たり前の話ですが、私にとっては、実務上の必要から生まれた概念でもありました。広告制作者の多くは、テレビCMや新聞広告のような受動メディアの方法論に慣れ親しんでいます。そうした広告制作者は、能動メディアのときでも受動メディアにおいて良いとされている方法論で表現をつくることになります。しかし、そうした方法論で作っても、その能動メディアにおいては理想的とは言えません。つまり、効きません。

 具体的に言えば、新聞広告でよいとされている表現をDMに流用しても、最良の解であるとは言えないわけです。逆も同じです。いま、このメディアはブログですので、ウェブ上の個人メディアを例にとって説明します。ブログの場合、基本的には相手はウェブの全領域です。ですから、より多くの人に伝えるためには、つまりSBMなどにキャッチされるには、タイトルの付け方がキャッチーである必要性が出てきますよね。それが行き過ぎると、「釣り」とか呼ばれたりしますよね。けれども、あらかじめ読み手を知り合いなどに限定したmixiなどのSNSの場合、それはいりません。むしろ、そういう人たちにきちんと言いたいことを伝えるためには、タイトルが過度にキャッチーであってはいけないのです。眺めてみても、普段着の言葉が多いですよね。

  ブログ(受動メディア)=タイトルはキャッチーに
  SNS(能動メディア)=タイトルは普段着感覚で

 本文については、ブログは誰にでもわかるような書き方をするほうがよいですよね。異なる感覚や文化圏の人にも、発信者が何を信じ、どういう文化圏に属するかを匂わせるほうがベターでしょうね。しかし、SNSの場合は、それはあまり必要ないですよね。だって、読み手は書き手のことをある程度知っているのですから。

  ブログ(受動メディア)=本文は誰にでもわかるように書く
  SNS(能動メディア)=本文はわかっている人に向けて書く

 もちろん、SNSでも公開の度合いによっては受動メディア的な要素も必要でしょうし、ブログでも常連読者が多いと、能動メディア的な度合いが大きくなっていきますので、一概には言えませんが。それと、これは私が広告制作者だからこう分析しているだけで、ブログはこう書け、SNSはこう書けといった話ではないことをあらかじめ断っておきますね。

 これまで、メディアの区別に関しては、受動、能動という分け方をしてきました。それを表現の側から見るとどういうことになるのかな、と考えたのですね。そうすると、受動メディアに関しては、広告的というワードが出てきました。そして、能動メディアに関しては、ウェブ的というワードが頭に浮かびました。これ、誤解が多いかもしれません。世の中には、ウェブ広告という言葉や、DM広告という言葉があるからです。ここで言う広告とは、一般的にオールドメディアと言われているフィールドでの表現の方法論のことです。それは、これまでの広告文化の中で培われ高度化したものだから、私は広告と呼んでいます。また、ここで言うウェブとは、一般的にウェブ文化の中で発展して来ている表現の方法論のことです。

 こうして考えると、面白い結論が導きだせたりします。ウェブを例にとります。テキストバナーを含めたバナー広告は、広告的な表現であり、その情報の伝達も広告的。一見華やかに見えるスペシャルサイトは、ウェブ的な表現であり、その情報の伝達もウェブ的。ですから、バナー広告は、これまでのマスメディアの方法論が適用できます。しかし、スペシャルサイトを同じ方法論で作ると失敗してしまいます。口コミサイトもそうですね。広告的アプローチでは失敗します。

 この広告的、ウェブ的という概念を、もっとセンセーショナルに言うこともできますよね。例えば、表現1.0、表現2.0。でも私はそういう文脈には乗りたくなかったんですよね。私は、広告的、ウェブ的という2つは等価だと思うんです。ブログとSNSの比較でもそうですが、じつはWeb2.0と言われる環境の中でも、広告的、ウェブ的があり、その双方が得意なところは違う。そんなふうに考えた方が、現状に近いのではないかなと思ったりします。

  広告的=受動メディア的な表現及び情報発信
  ウェブ的=能動メディア的な表現及び情報発信

 なぜ広告的の対義語としてウェブ的にしたかの説明をします。Web2.0とかCGMとか言われますよね。でも、私には、このブログは旧来メディアの延長線上に見えたんですね。ウェブテクノロジーの進化によって、個人メディア、たとえば自費出版とか同人誌とかが手軽になった感覚。だから、書かれるものは、日記文学と言われるものとそう変わらない。しかし、決定的に違うところもあるんですね。それは、トラックバックをするときに書く内容。これは、書かれる表現として今までにない表現のように思えました。こう言えるかもしれません。

  元エントリー=広告的
  トラバのエントリー=ウェブ的

 まあ、私の思いもかなり含まれていますが、コミュニケーションというものを最も高度化したもの、少なくとも高度化の指向性を持っていた分野は、まぎれもなく広告であると思うのですね。その高度化を別の軸から揺さぶりをかけたのが、ウェブのコミュニケーションであると思うのです。それは、少なくとも見かけ上は能動性の固まりですよね。情報に対して能動的であるという信念のもとに形作られたコミュニケーションであるように思えます。

 感覚的には、その新しさをWeb2.0と呼ぶような気がします。そのセンセーショナルな部分をきれに取り去って、表現の構造だけ見ていくと、それは広告的なコミュニケーションとはまったく違う、ウェブ的としか言えないような方法だと思うのですね。それは、言ってみれば、究極の能動性を前提にしたコミュニケーション。頭の中では、もっと明確に概念化されているような気がするのですが、あまりうまく書けなかったかもしれません。でもまあ、不完全でもとりあえず世に問うてみようというウェブ的な態度で、このエントリを公開してみます。ではでは。

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