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2008年5月29日 (木)

精神医療と私たちはどう付き合っていけばいいのか

 私の世代は、教養として、フーコーやレインの反精神医学の流れに少なからぬ影響を受けてきました。今でも多くの若者が、ある時期、自分の問題として精神医学や心理学をかじったりするものだと思いますし、私の学生時代では岸田秀の唯幻論(フロイドの精神分析の社会論への援用)にはまったり、わからないまでもラカンやテレンバッハ、日本では木村敏なんかの書物を紐解いたりしました。

 そこに描かれる精神疾患は、ある意味で、ロマンティックな精神の深淵を覗かせてくれるものとして描かれています。患者さんにとっては迷惑な話ですが、そうした症状を実存の問題として読んできました。それはアカデミズムだけでなく、文学なんかでも同じだったと思います。私の読書体験で言えば、統合失調症(精神分裂病)は、とりわけ実存分析学派において、ある時期まで関係性の病として哲学的に論じられてきましたが、向精神薬の開発にあわせるように、そうした記述が急速に少なくなって来たような実感を持っています。

 精神分裂病が統合失調症という名前に変更された背景には、そうした背景による患者とその家族への偏見があったといいます。また、社会的なインフラとしてウェブが整備されるに従って、患者本人の言葉や、患者家族の手記なども読む機会が増えてきて、実体とかけ離れた偏見も少なくなってきているように思います。というか、そうなってきていると思いたい部分があります。

 うつ病も、現代を代表する精神疾患としてメディアで度々登場しますし、それに関して言えば、例のアナウンサーの件でも、もっともっと精神医療が気楽になっていて、あのアナウンサー本人がもっと知識があれば、あの哀しい出来事は防ぐことができたのに、と思ったりしました。ただ、あの報道の情報だけでは何とも言えませんが。

 けれども、例えば、通常のうつ状態とうつ病の症状の決定的な違いや、うつ病と躁うつ病(双極性障害)との違いは、ほとんどの人が理解していないと思います。もちろん、日常でその違いを積極的に理解する必要があるのかどうかはわかりませんが、少なくとも、うつ状態とうつ病と躁うつ病は違うことがわかっているだけでも、すいぶん社会的な状況は変わってくるだろうな、という思いはあります。

 そんなことを考える私でも、実際にわからないことが多く、老齢になるとそこに認知症の疑いがからんできて、実際にとまどい混乱してしまう現実をあたふたと生きています。双極性障害の場合、脳内神経伝達物質を介した神経伝達機構の障害であると考えられていますから、基本的には、生涯にわたる継続的な薬物治療が主になります。その重要性でさえ、私はあまり自覚していませんでした。そのことをもっと知っていれば良かったと思います。

 しかしながら、ここで私がわからなくなってしまうのは、その症状が、正確に言えばその症状の発現なり悪化なりが、本当に脳内神経物質に起因するだけのものであるのかどうかということです(生活での出来事が大きなきっかけになることは理解していますが)。これに関しては、私の知識では不明な部分でもあり、もっと知識を得ればクリアになる部分かもしれません。でも、その疑問は、人生をふりかえると容易に実存の物語として完結させることも可能なような気がしますし、まわりの家族を苦しめる原因になる一方で、その心の歴史なんかが原因であるとすれば、救われる部分でもあるのも事実です。

 そして、実際には症状の悪化によって、薬物治療自体にも疑問をもってしまうこともあり、安易な反精神医学的な流れには、実際問題として、個人的には憤りに近いものを感じてしまうものの、そうした気分がもたげてくるときもあるにはあります。

 症状が悪化して、その症状は認知症に起因するものである可能性が大きいという医師からの告知によって、私を含めた家族は大きく動揺しました。今後の対応なんかも本気で考えなければいけない状況になり、どうしていいのかわからない不安が襲いました。しかし、その不安は我々側の誤解があったことも事実です。大規模な総合病院でも、専門的な医療体制は専門医療機関には劣る部分があり(それは目的の違いから来るものです)、そういう意味で今後の対応を早めに考えなければならず、担当医は、そういう意図での助言でした。現在の症状の悪化は、認知症の急激な進行ではない可能性が大きいということでした。

 また、専門の医療機関に対しての偏見もありました。ウェブとこれだけ親しんでいるにもかかわらず、私は一度として、専門の医療機関についての情報を摂取しようとしませんでした。また、私たち家族は、今から思えば、家族のあいだでは大きな感情のうねりがあったものの、そのことを医師に伝えようとしていなかったんですね。医師を信頼すると言っても、信頼される医師にしても、神ではないので、言わなければ不安な部分がわからないもの。それを伝えたとき、はじめてものごとが一歩前進する実感が持てました。

 そんなここ最近の出来事を通じて、私たちがどう精神医療と付き合っていけばいいのかを問われたような気がします。過剰な期待と、遠慮。そして偏見、無知。それを実感しています。まだ渦中にあるので、結論は書くことができませんが、問題意識のひとつのあり方として、このブログに書き起こしておこうと思いました。きわめて個人的なことでもありますので、このまま個人的なこととして書かない選択もできましたが、こういう問題意識は社会に開くほうがいいという考えに至りました。書くことと書かないことをその都度判断しながら、出来る限り開いていきたいと考えています。

 多くの同じ問題で悩む人のために、社会的な記録として残す意図がありますので、このエントリに限り、コメント欄とトラッバック機能は停止しています。ご了承ください。また、事実誤認の指摘などは、メールにてお知らせいただけるとうれしいです。

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