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2008年5月11日 (日)

続・リテラシー考

 リテラシーについて考えるとき、ひとつの出来事を思い出します。職場にて。私の席の隣に座っている、年配のクリエイティブ・ディレクター。彼は仕事で調べものがあったらしく、私に、ちょっとこの言葉の意味、ネットで調べてくれないかな、と言いました。私はちょっとめんどうだなと思うものの、Googleを使ってその言葉の意味を調べ、彼に教えました。すると、彼は、私に次から次へと依頼をするようになってしまいました。

 何回か、そうしたやりとりが続いたとき、少し先輩のアートディレクターが、かなり思い詰めた口調で、その年配のクリエイティブ・ディレクターに言いました。

 「それくらい自分で調べたらどうですか。迷惑なんですよ。」

 私はそのとき、確か、いえいえ、こんなの簡単だから別にかまわないです、とか言って、その場を繕ったりした覚えがありますが、今も脳裏に焼き付いているのは、その年配クリエイティブ・ディレクターの寂しそうな顔です。穿った見方をすれば、確かに彼の一連の行動は、先輩風を吹かすといった感じの部分も見受けられたし、そういう心の底にある動機を見透かされたとこによる図星の感情が、寂しそうな表情の原因であったとは思います。でも、なぜかそれだけではない何かをその表情から感じたのです。

 それは、かつての写植屋さんが廃業するときに私に見せた顔に似ているなと思いました。多くの写植屋さんは、デジタルデザインやウェブの技術を覚えていきましたが、どうしてもその流れに乗れなかった人もたくさんいらっしゃいました。そうした流れに乗れなかった人は、きっとそれぞれの人生で新しい道を見つけていることだと思います。私の知っている方は、いままで酷使した体を治して、田舎で仕事を見つけると言っていました。

 その年配のクリエイティブ・ディレクターは、早期退職制度を使って退職されました。こういう出来事をセンチメンタルに語ることもできますし、Googleの検索の仕方さえ覚えない人は駄目だよね、と切り捨てることもできます。それに、この手の話は、いつの時代にも起こってきたことだとも思います。それに、このことをああだこうだ言ったところで、所詮は人の人生、自分は自分で、この仕事に対する向上心がある限り、新しいリテラシーをどんどん身につけていくと思うし、その余剰の時間やスキルを彼のような人に与えようとは、本音を言えばまったく思わないですしね。

 ここのところ、「コンビニ受診」を原因とする救急医療のことをぼんやりと考えていました。ウェブを通して、緊急医療を崩壊させないために、市民として正しい医療の受け方を啓蒙する活動をしている方からコメントをいただきました。「コンビニ受診」というのは、軽症者の夜間受診のことで、その負担が医師の疲弊を招き、夜間診療の医師不足を引き起こしています。

 その方は、自身のウェブサイトのバナーをいろいろなブログに貼ってもらうことで運動の広がり、つまり市民の医療リテラシーの啓蒙によって救急医療崩壊を防ぎたいと考えていらっしゃいました。しかし、なかなかうまく行かないとおっしゃっていました。私は、その方にアドバイスをしましたが、私はそのバナーをブログには貼りませんでした。

 私は、基礎になる能力を超えるリテラシーを要求する言説は、自身の向上心や利便性、つまりより豊かになるといった利己的な領域に限定的に使われるべきものなのではないかと思っています。その領域を超えて、ある種の公共性に類するものにリテラシーが適応されるとき、それは抑圧につながるのではないかという思いが私にはあります。

 話を先の年配クリエイティブ・ディレクターの話に戻します。彼の行動には、そうしたリテラシーを問うまわりの言説に対する苛立ちがあったのだと思います。もし、Googleで調べものができないということが、業務に対して重大な障害になるのであれば、それをリテラシーという言葉で問うより先に、なすべきことがあったはずです。会社側が研修などをさせて身につけさせるか、それでも身につかなかった場合は退職させるか、異動させるか、です。

 つまりは、教育の領域なのだろうなと思うんですね。そして、教育の問題であるならば、教育を誰がするのかという主体が問われてくるのだと思うのです。「コンビニ受診」を原因とした救急医療の崩壊は、確かに差し迫った問題になっているようです。しかしながら、市民の意識を高めて、市民自らが「コンビニ受診」をしないように啓蒙するウェブサイトがあることの意義は認めるけれども、私が自らのブログで主張をしようとは思わないのです。それは、私がこの問題を他人事であると思っているからではありません。

 この「コンビニ受診」の問題が社会問題であるならば、もはや教育の問題なのだろうと思います。教育は、その根拠のひとつに権威と処罰があるように思います。その場合、保険制度の厳格適応等の方策しかないだろうと思うのですね。緊急性のない軽症者の夜間診療10割負担といった。あとあるとすれば、その保険制度の厳格適応を根拠とした、国や行政、医療機関といった主体による教育です。

 後者は、モラルに訴えるという手法とも言えますが、そのモラルを問う主体は、やはり患者ではなく、前述のとおり国や行政、医療機関であるべきだと思うんですね。教育は、先生と生徒の非対称性によってはじめて成り立ちますから。患者のモラルを問う、患者側、つまり市民側からの取り組みは、やはり患者側への抑圧につながるのではないかと思います。しかも、その言説は、当の「コンビニ受診」常習者には届かない。あえて届くシチュエーションを想像してみると、それは、普通の患者、つまり市民がそうしたコンセンサスを得て、そうした「コンビニ受診」常習者を社会的不適合者として排除する空気によって届けられることだろうと思います。

 それは、パノプティコンの相互監視に似ています。その根本が絶対的な善意によってなされているという部分も。そして、その監視されない中央の塔には、我々には見えないけれど、絶対に誰かがいます。私は、そういう状況を何よりも恐れます。具体的に言えば、このゴールデンウィーク中の平日に、夜間診療ではないけれど、緊急性があるという自分の判断で、街の診療所ではなく、地域の高度医療の役割を担う医療センターに急患として母を見てもらった。その医療センターには連休明けに再診の予約がありましたが、こうした突発的な行為が、「コンビニ受診」と疑われる状況を自らつくりたくない。それもまたひとつの自分の問題です。ちょっと大げさかもしれないけれど。

 この文章を書いていて、少し補足しておきたいこと。コメントをいただいたある方を批判しているわけではないのです。その方は、「コンビニ受診」という言葉が抑圧につながることに気づき、自身のウェブサイトではその言葉を使っていませんし、そうした抑圧に自覚的です。そして、私自身はそのウェブサイトがあること、ブロガーが自発的にそのバナーを貼ることについては素晴らしいことだと思っています。でも、貼らない人がいても、それは他人事だからではないのです。

 私は、その方から、どうすればいいのか意見をくださいと言われました。あれからぼんやりと考え続けて、現時点での答えがこれです。私はその方の行動が素晴らしいと思うし、その方が今持っているジレンマにできる限り応えたいと思うから、出来る限りためらいとか、気兼ねとかを排除して書きました。

 では、私はこれからどうしていくのか。それがきっと問われてくるだろうと思います。それは、このブログで折を見て書いていきたいと思っています。この問題を深く考えるきっかけをいただいたその方に感謝しています。それはその方の意図したこととは違うかもしれませんが、こうした広がりこそ、大切だと思うのです。あのウェブサイトをご紹介いただけなければ、私はこの問題をこんなにも考えなかったかもしれません。それは、誇っていい、大きな成果ではないでしょうか。

 あと、いろいろな情報を見てみたけれど、この問題、行政や医療制度、今の国家財政の問題などが複雑にからむので、難しいです。それと、全国規模で言えば、個人的には制度が「コンビニ受診」を抑制できていないことが問題だと思っています。それと地域に目を向けると、「県立柏原病院の小児科を守る会」のような「柏原病院」であり「小児科」であるという具体性のある取り組みは重要だと思います。この限定的な文脈だと、「コンビニ受診」という言葉は抑圧にはならない気がします。

 ただ、こうした市民の善意にいつまでも負っている段階ではないような気もします。守る会のウェブサイトにある言葉を引用します。

『医師は戦わない。ただ、黙って立ち去るのみ!』 

一般的にはそう言われています。
しかし、柏原病院小児科は違いました。

「もうすぐ無くなるかも知れない」というサインを出されました。

私たち「守る会」は新聞を通じてこのサインを知り、
そして活動を始めることが出来ました。

 柏原病院小児科はサインを出した。それに市民がリテラシー、つまり、市民意識の向上によって応えた。その市民の取り組みは、つまり、この国の医療に対するサインではないのかと思います。今度はこの国や、この国の医療行政が応える段階だろうなと思います。医療を大切だと思う市民にこれ以上のリテラシーを求めることで、国単位の問題の解決をはかるのは、やっぱり違うと思います。医療リテラシーは、自身が今以上の医療サービスを受けるためにあるのであって、医療を救うためには本来ないのだから。

関連エントリー:
「コンビニ受診」という言葉を知って、あれこれ考えてしまいました。
リテラシー考

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医療」カテゴリの記事

コメント

こんばんは。
ご意見を頂いて、とても勉強になります。
ありがとうございます。
啓蒙じゃなくて、ただ、こんな問題があります、と紹介しています。私も3ヶ月前にネットで教えてもらいました。同じ事をしています。

こちらで勉強させて頂いて、またHPを書き直しました。しょっちゅう書き直しています。

《そのバナーをブログには貼りませんでした。》

HPじゃなくて、この問題を知ってもらうことが目的なので、なによりもご意見がうれしいです。ありがとうございます。

《前述のとおり国や行政、医療機関であるべきだと思うんですね。教育は、先生と生徒の非対称性によってはじめて成り立ちますから。患者のモラルを問う、患者側、つまり市民側からの取り組みは、やはり患者側への抑圧につながるのではないかと思います。》

国や行政、医療機関がした方が、もっと抑圧的じゃないかと思います。国や行政、医療機関がした方が、そういう批判も受けるだろうと思います。私が書く文章も、絶対に抑圧的にならないようにしようと思います。

国が何か言ったら、「そもそもなぜ医師不足なのか?」という反発が来るから、言いにくいんだろうと思います。私も、国に言われたら、やっぱり「何言ってんだ」と言うと思います。

《あと、いろいろな情報を見てみたけれど、この問題、行政や医療制度、今の国家財政の問題などが複雑にからむので、難しいです。
医療を大切だと思う市民にこれ以上のリテラシーを求めることで、国単位の問題の解決をはかるのは、やっぱり違うと思います。》

全ての問題を、「上手に受診する」という方法で解決しようと言っているのではありません。それは無理だと思います。医師不足の問題を根本的に解決する間にも、「ごく軽症でものすごく気軽に救急外来を受診する患者がいるという問題」を、ほったらかしに出来ないと言いたいだけなのです。

現実に、今、医師不足の病院で、「ごくごく軽症の患者がものすごく気軽に救急を受診」したら、病院はどうなるか。医師不足の解消どころか、今いる医師さえ逃げ出して、病院がつぶれます。現実がこんな状態だから、病院の息の根を止めてしまわないように、今すぐにできることとして、気軽すぎる受診について考えてみなければならないと思います。

そもそも、患者が多くて医師が足りないなら、医師を増やすというのが本当だと思います。でも、医師不足の問題は、簡単ではありません。何が原因か、についてだけでも、ものすごく様々な意見があります。その解決の仕方についても、ものすごく様々な意見があります。必要な人が必要な時に必要な治療を受けるために、何としても、根本的に解決するべきです。

私のHPを見た方は、私のHPが、「根本的な問題の解決については、考えなくていい」と言っているように感じたんだと思います。
それから、一部の「コンビニ受診」を強調しすぎて、全体の患者の受診を抑制しようとしていると感じたんだと思います。

もちろん、そんなつもりは全くありません。誰もが安心して、遠慮などしないで24時間受診できるようになったらいいな、と思っています。簡単ではありませんが、皆で知恵を合わせたらできると思います。

そのことも考えてながら、HPを書き直しています。

投稿: アイスゆず | 2008年5月11日 (日) 21:32

アイスゆずさん、こんばんは。

何より、このエントリをアイスゆずさんに読んでいただけてうれしいです。私としては、がっばってくださいとだけ言ってスルーするのは嫌だと思ったので、出来る限り私の感じた違和感も含めて正直に書いたつもりです。私の考えは、このエントリで書きましたので、これ以上あまり言うことはないのですが、ひとつだけ。

今、「ごくごく軽症の患者がものすごく気軽に救急を受診」することで、全国規模で病院がつぶれるところまで追いつめられていたら、やっぱり私は国や行政、医療機関のコミットメントも必要だと思うんですね。言いにくいからといって、言わないのは違うのだろうな、と思います。どう思われようと言わなきゃいけないことであれば、気軽すぎる受診はいけないと言わなきゃいけない。その場合は、個人の倫理を国家が問うわけだから、平等の観点から制度が担保されているべきで、それが、国や行政、医療機関の責任であり倫理です。医療保険制度などのセーフティネットの問題も含めて、今はそういう段階じゃないか、と思うんです。これが私の意見です。

あと、そういう問題があるのを知らせることについては同意です。私がこれだけ考えているのも、アイスゆずさんの活動があってのことだと思います。それと、こういうコメントに書かれているようなことをそのままブログに書かれたらいいんじゃないかなと思います。伝えたいことが熱を持って伝わって来ているし。意見を広めるためには、まずはアイスゆずさん個人のメディアを強くすることが必要だと思うんですね。それこそ、一般の市民がメディアを持てる時代なんだし。

私は、アイスゆずさんと意見が違いますが、こうして意見が違うもの同士がコミュニケーションできていることがうれしいです。それが皆で知恵を合わせることだと私は思っています。ブログ、期待しています。

投稿: mb101bold | 2008年5月12日 (月) 00:33

こんばんは。(^▽^)
ご意見いただいて、本当に勉強させて頂きました。
ありがとうございます。
「コンビニ受診」という言葉に違和感を感じるという方に、私のHPを見ていただいて、正直な、率直な感想をお聞きしたいなあ、とぼんやり思いながら、時々YAHOOで「コンビニ受診」で検索して、そんなブログを探していました。そして、こちらを見つけて書き込みさせて頂きました。
本当に、色んな勉強になりました。やっぱり、私の文章、私の言い方や姿勢が、良くなかったと思います。何が、どんなふうに良くないのか、ぼんやりと分かってきた感じがします。特に、この記事を読ませて頂いて、知りたかったことが見えて来た気がします。本当にありがとうございます。(^▽^)

《言いにくいからといって、言わないのは違うのだろうな、と思います。》

おっしゃる通りだと思います。やっぱり、国が批判を恐れないで、医師不足の原因と解決について正面から考えて、そして今は緊急事態みたいなものだから、皆が安全にほんの少しだけ協力しよう、と呼びかけて欲しいです。でも…現実は、与党には出来ないと思います。
市が呼びかけているところはいくつかあります。県知事が呼びかけているところもあるそうです。病院によっては、いろんな取り組みをしているところがあるそうです。多くの病院は、張り紙をしている程度だと聞きました。
たーくさんの医療関係のブログの中に、いくつかコンビニ受診について書いているところがあります。医療関係者の間でも、それぞれ意見が違ったりします。でも、いずれにしても、医療関係者が個人のブログで「コンビニ受診」について書いている場合は、言葉が無茶苦茶きつくても、それでも親切な人だと、私は思います。そもそも、「そんな問題なんか、知ったこっちゃない。最後に病院がなくなって困るのは患者で、自分じゃない。」という人だっているはずですから。
今、一番イヤだなと思っているのは、ネットの世界で、「コンビニ受診」を批判する人と、「コンビニ受診」という言葉に抵抗を感じている人の間で、悪口合戦が始まることです。どちらも善意なのに。そんなことにならないで欲しいと思います。時間がもったいないです。

《こういうコメントに書かれているようなことをそのままブログに書かれたら》

mb101boldさんのような方が相談に乗って下さる時は書けるんですが、私のブログで書くのは難しいような気がします。
これからも、こちらのブログを読ませていただき、勉強させていただきます。
ありがとうございます。(^▽^)

投稿: アイスゆず | 2008年5月12日 (月) 22:51

アイスゆずさん、こんばんわ。

私の方こそ、ありがとう。実際に「コンビニ受診」という言葉も新聞を読むまで知らなかったし、この問題があることは知っていたけれど、ここまでは考えませんでした。

>mb101boldさんのような方が相談に乗って下さる時は書けるんですが、私のブログで書くのは難しいような気がします。

いえいえ、そうおっしゃらずに。別に、毎回医療関係のことばかりでなくてもいいわけだし、日常の暮らしを生きながら考えていけばいいと思います。ここも、広告人の告白という割には広告の話は一部ですしね。

まあ、それも人それぞれだから、ブログにこだわらずに、アイスゆずさんのスタイルでいいとも思うんですが。

母のことで医療のありがたさも問題点も身にしみてわかってきましたので、私も私なりに、この問題を考え続けたいと思います。

今後ともよろしくお願いします。

投稿: mb101bold | 2008年5月12日 (月) 23:45

はじめまして
少々批判的な事を記させて戴きます。
1960年代生まれの私たちが小学校の頃のなりたい職業の多くに「医者」「パイロット」などの言葉があったと記憶してますが、最近はソビエト連邦崩壊後のロシアのように大学教授や医者・パイロットに憧れる学生が減っているように感じます。社会貢献度は非常に高い職業ではありますが、将来性と共に収入の部分でも高給との概念が薄くなっていることも一つの要因ではないかと思います。
「コンビニ受信」についての貴兄らの切り口は解らなくもないのですが、風が吹けば桶屋が儲かる的に、コンビニ受信が増えると医者が減るとの展開は聊か乱暴のような気がします。政治的なお話をする仲間で、救急医療現場の医師を2人存じ上げてはいますが、そのような事は聞いた事がございません。親の家業を引継ぐ方を除き、「医者」という職業を専攻する生徒が減っている事は伺っています。私は強いて申し上げるならばコンビニ受信よりも、老人の井戸端会議が院内で行われている事のほうが問題であるような気がします。しかしながら之が悪かと尋ねられると、そうも申し上げれません。しかし、国としては、この傾向は減少させたいようです。
「コンビニ受信」で救急医療現場の士気が下がるという事ならば、それはかなり奢った考え方のようにも感じます。
基本的な部分で夜間の救急センター付の病院は何処でも出来る訳ではなく、経営としての特殊性がある事。夜間の診療報酬が昼間の其れとは違う事。生活の夜行性等を素人的に鑑みても、コンビニ受信の害悪がピンときません。私は病院嫌いですから縁はございませんが・・・
乱文お許しください。

投稿: liberty | 2011年6月14日 (火) 01:21

いえいえ、批判大歓迎です。
ただ、私自身は「コンビニ受診」したら医者が減るとの主張はしてなくて、もし減る「としたら」、それは個々人のモラルを相互監視するのではなく、国なり地方公共団体なりがきちんと訴えるべきではないか、本当にそうであるなら、そうすべきではないか、という主張です。
所謂、「コンビニ受診」の啓蒙を意図していませんので、ご了承くださいませ。
私自身は、病院医師の収入の問題があるというのは同意ですが、病院の経営的な観点では、「コンビニ受診」がある程度負担になっているのは事実なんだろうなあと思っています。また、ある節度を超えた利用もあるのだろうなとも思います。そのあたりは、libertyさんとは認識は違いますね。
どちらかというと、「コンビニ受診」は駄目だという市民の相互監視による空気によって、ほんとうに救急が必要な人が躊躇してしまう、ということに懸念を持っています。その意味では、現場の医師は、危なかったら躊躇せずに救急車を呼んでくださいとおっしゃっているので、すべての医療機関の総意でもなさそうです。
もう3年前の記事なんですね。コメントありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。

投稿: mb101bold | 2011年6月14日 (火) 02:50

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