« かつてテレビは軽蔑される存在だった。 | トップページ | ! »

2008年5月20日 (火)

ですますで書くか、だであるで書くか。あなたはどっち?

 まあブログなんだし、好きなように書けばいいんじゃないかと思うけど、個人的には「だである」調は苦手ですね(書くのは、という意味です。読むのは、どっちも好き、というか、文章と内容によりますね)。どうしてかというと、私が広告屋さんだからですね。この理由はちょっと説明がいるかもです。

 広告関係の年鑑を時系列で見ると分かるかもしれませんが、広告の文章は「だである」調と「ですます」調が半々くらいだったのですが、ある時期を境にして、めっきり「だである」調が少なくなってしまいました。ある時期というのは、きっとバブル崩壊あたり。ここから先は私の仮説ですから、そのつもりで読んでくださいませ。

 要するに、ものが売れなくなって、相対的に消費者が強くなったんですね。そうなると、広告が商品の物語やイメージを描いて、消費者に読め、見ろ、というふうにいかなくなったんです。今までの広告は、情報発信。いかに優れた情報発信をするかが勝負所でした。でも、消費者が強くなると、消費者の声を聞くことが大事になってきて、そうなると、発信側のしゃべり方も丁寧になりますよね。だから「ですます」調が増えた、と。

 共感を軸に考えると、憧れから、いい人、やな人、というような等身大の共感に変わったということです。広告は、というよりブランドは、基本的には羨望と尊敬を構成要素としていると思います。その強烈なアンチテーゼとして、ブランドを、ああアホやなあ、でも、おもろいやっちゃな、という、ちょっと下から目線な親しみを要素に構成したのが大阪面白CM。

 で、海外の有名ブランド的な羨望と尊敬と、大阪面白CMを代表とするアホなやっちゃな、でもお前のこと好きやで的な広告のあいだにあるたくさんの広告では「ですます」調が主流になっていったわけです。私は、「だである」調から「ですます」調への移行をはっきりと覚えています。ファッションの仕事が多かったので、ファッションについて語ることが多かったのですが、ある時期、はっきりと「だである」調では伝わらないなと思ったときがありました。これじゃ、伝わらない、と思ったんですね。

 それからというもの、日夜、「ですます」調。最初の頃は、「だである」調で書いたものをわざわざ「ですます」調に直したりしていました。今では「ですます」調がすっかり染み付いてしまって、気づくと「だである」調が苦手になってしまっていたんですね。というか、今書いているような感じは「ですます」調というよりも、会話とかおしゃべりみたいな書き方かもしれません。

 そんな感じで書いているのですが、ときどき「だである」調で書くこともあります。その日の気分です。昨日のエントリなんかもそうですね。そのへんは、書いているときはあまりこだわりなくやっています。でも、客観的に読むと、なんとなくぎこちないかもですね。日々書く、という意味では、私の場合、今のところは、こういうおしゃべり調が圧倒的に書きやすいです。いわゆる散文なんでしょうね。凝縮させるのではなく、いろんなことが散っている感じ。

 あと、余談。「だである」調とは言いますが、このところの傾向として「である」はあまり使われなくなっているような気が。昨日の私のエントリでも、「表現の場としては頂点であったようだ」と「なんとも本末転倒な話ではあるが」というのがありましたが、「である」はありませんでした。なんでだろう。

 もうひとつ余談。「だ」という言葉は、関西弁では「や」になります。「だね」は「やね」ですね。哀しい色やね、のやねです。「だ」という書き方にいまいちしっくりこないのは、私が関西言葉系列の人間だからかもしれません。関西人が「だ」で文章を書くのは、物書きになるという意識のジャンプが必要なのかも。中島らもさんの本を読んでいて、そう思いました。私にはその意識のジャンプはあまりないかも。

 しかし、文体って何でしょうね。

|

« かつてテレビは軽蔑される存在だった。 | トップページ | ! »

広告の話」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

ご無沙汰してしまいました。

「である」はなんとなく、マッチョ感の強い言葉ですね。

ぼくの場合、「だである」で書くとすいすい書けて納得感も高いですが、なんというか、孤立して関係を切った感じの残り香になります。

で、「ですます」にすると、本人は煮え切らない感じがあるのですが、つながりの残り香が出ます。

ぼくの作戦は、新「だである」文体をみつけるために「ですます」文体を試みる、なんですが、道半ば。そんな感じです。

投稿: 喜山 | 2008年5月20日 (火) 08:45

お久しぶりです。お元気ですか。

「である」は断定が強い感じですよね。なんとなくお年を召した感じもします。独特の頑固さがあります。ということは、マッチョは老成、もしくは早熟という言い方もできるかもしれません。不安感の表出がないというか、それを隠蔽する意識というか。

新「だである」というのは欲しいですね。今、それが求められているような気が時代の空気としてします。新しい書き言葉ですね。

私の場合、「だである」で書くと、物書きという意識が出て来て、ちょっと書けなくなる感じもあります。物書きの型をなぞっている感が思考を邪魔する感じ。ときどき「だである」で書きたくなるときがありますが、書き始めるとそんな意識が出てきます。これがなくなるには、ちょっと時間がかかるかもなあ、という感じです。文体は、興味が尽きないです。

投稿: mb101bold | 2008年5月20日 (火) 10:16

> 物書きの型をなぞっている感が思考を邪魔する感じ。

これ、よく分かります。この気づきはすごく大事な気がします。

やっぱり、いま少し、話し言葉でふんばろうと思いました。(^^)

投稿: 喜山 | 2008年5月21日 (水) 05:43

そう言えば、人見記念講堂で吉本隆明さんの講演がありますね。日本語がテーマだそうです。私はスケジュール的に微妙ですが、なんか興味深いです。ほぼ日で告知してますね。

投稿: mb101bold | 2008年5月21日 (水) 10:38

こんにちは。
まさに、なんて申し上げるのはおこがましい気もするのですが
この数週間、文体について考え込んでおりましたので
『!』となんべんも読ませていただきました。

特にここ数年「やさしく」「端的で」「あなたに」語りかける口調が
9割方求められているなぁと思っていました。
対象は、クライアントだったりその先のお客様だったりするわけですが
いずれにせよ、重きを置くのは強さよりもやわらかさ、
そうでなければ伝わらず、受け取ってももらえない…
というような漠然とした実感が。

かたや、blogは、日々の記録と思考の整理に使用しようと思い、
「だである」口調で長年やってきたのですが
記録や整理という目的は果たせるとして、
より語りかけたい、より何かを伝えたい、と思った時に
ぶった斬る感の強い「だである」では伝わらないなと思い至りました。
自身の思考も、ここに来てつながる方へ向いているのか
というシンプルな興味とともに。

新「だである」、見つけたいですね。

ちなみに、おしゃべりはもろに関西弁ですが
関西弁で書くのは苦手なのです。
なぜかしら。生っぽいからかしら。

ああっ、ついつい長々と失礼いたしました。

投稿: ごきげん | 2008年5月21日 (水) 12:23

ごきげんさん、こんにちは。

「より語りかけたい、より何かを伝えたい」の「より」というのは、ブログを始めてみると思うことですね。私もブログをはじめた頃は、ブログでコミュニケーションは求めていないとか言ってたりしましたが、書いていくうちに「より」がより大きくなってきました。不思議なものですね。

私は、おしゃべりは偽東京言葉です。言葉遣いは東京で、イントネーションは関西。おしゃべり風の書き言葉とリアルおしゃべりはちちょっと違いますね。そやから、とか、だからさー、みたいのは書くとなるほど生っぽいですねえ。

投稿: mb101bold | 2008年5月21日 (水) 13:29

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/214429/41262826

この記事へのトラックバック一覧です: ですますで書くか、だであるで書くか。あなたはどっち?:

« かつてテレビは軽蔑される存在だった。 | トップページ | ! »