高円寺にあった大きな病院のこと 1
今はつぶれてありません。その病院がなくなったのは、かれこれ20年前かな。北口にあった大きな病院でした。私は、当時大学生。バイトで当直事務員をしていました。内科と整形外科があって、入院病床も50くらいあったんじゃなかったっけ。5階建てで、地域の基幹病院という感じでした。救急指定ではなかったけど、深夜に救急患者を受け入れることもありました。
私の仕事は、高円寺に夕方の5時頃に行って、医療事務の人たちとその日の引き継ぎをして、当直のお医者さんや看護士さんと打ち合わせをし、鍵を閉めて、見回りをして、ひたすら電話番という感じで、それほどきつい仕事ではありませんでした。就寝までは、本を読んだりしていればよく、就寝も地下に当直用のベットがあって、ダニに苦しめられたけど、それなりに快適。早朝起きて、鍵を開けて、お医者さんと看護士さん、医療事務員さんを迎えて、お疲れさまでした、という1日の流れでした。
大学の1年の後半からはじめて、病院がなくなる3年生の頃まで、ずっとお世話になりました。当直に来るお医者さんは、大学病院で勤務する若いお医者さんだったりして、年格好も、お兄さんという感じだったし、医療事務の方たちとも仲良くしていただいて、それなりに楽しかったです。わりとのんびりとしたいい感じの病院で、地域の人とも関係が良かったし、夏の阿波踊りの頃は、お手伝いをしたりして。
こんなこともありました。私が耳の横にできものができて困っていたら、院長が来る前に手術してあげるよ、と病院の若い先生。院長は手術が下手だからね、と小さな声で。で、その若い先生、麻酔を打たずにやると治りが早いけど、どうする、と。治りが早いのは助かるから、その方向でお願いします、なんて言って、ベッドに横になると、看護士さんたちがみんなクスクス笑っていて、なんでだろうと思っていました。
メスが入ると、痛いのなんのって。そりゃそうですよね。メスで切ってるわけだし、当然。しかも、耳の横は、その音がリアルに聞こえるわけですよ。ギリギリギリギリって。その切り口から綿棒を入れて、膿をかき出すときの音まで生々しく。目からは涙があふれてきて、それを見ていた看護士さんたちは、大笑い。確かに治りは早かったですけどね。
「高円寺にあった大きな病院のこと 2」に続きます。
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