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2008年6月21日 (土)

ポジショントークってなんだ?

 前から気になっていたのですが、ブログまわりで言われるポジショントークという言葉。大まかに感じることで言えば、例えば私だったら、外資系広告代理店のCDというポジションから、最近の広告なってないよね、どれもこれも駄目、あっ、それに君のブログに書いてあった広告論、それ私から言わせるとぜんぜん違うから、素人の意見だから、みたいな今ある特権的な立場を根拠にして上から目線で書くみたいなふうに読み取れるけども、ちょっと違うのかも。どうなんでしょ。

 しかしまあ、あくまで例で書いただけですが、鼻持ちならないやな奴ですね。こんなやつのブログ、私は絶対に読まないですね。いや、もしかすると、嫌なもの見たさに購読するかも。ある意味で、ぜんぶ自分に跳ね返ってくる分、潔いかも。私は、できませんけど。

 このポジショントーク、確か金融用語だっけかな、と調べてみると、やっぱりそうでしたね。「Wikipedia - ポジショントーク」(参照)にはこうありました。

ポジショントークとは、株式・為替・金利先物市場において、買い持ちや売り持ちのポジションを保有している著名な市場関係者が、自分のポジションに有利な方向に相場が動くように、市場心理を揺さぶる発言をマスメディア・媒体などを通して行うことを指す。

 なるほど。で、風説の流布とは違って、影響力のある人が自分の望む未来を予測しているだけだから、あまり問題にはならないけど、インサイダー情報がからむなり、度が過ぎると風説の流布になるし、今の世の中ではあまり好まれるやりかたではないのかもしれません。というか、嫌われがちですよね。

 ブログでは、もっと広義にポジショントークという言葉が使われているみたいですが、この金融用語の意味で、ポジショントークについて論じているエントリには、広告βさんの「ポジション・トーク」(参照)がありました。なるほど、なるほど。確かに広告っていうのはポジショントークそのもの。商品というポジションが希望する未来を語りますから。

 現代の状況を踏まえるなら、ポジションを隠すことではなく、明らかにすることが一番お得なのではないか。

 広告βさんは、実務の実感からそんなふうに書かれています。私も同意です。大雑把に言えば、いま、企業はさまざまな情報に囲まれていて、自ら発信する情報だけで自分のポジションを仮想できません。であるならば、ポジションを明らかにすることが、ポジショントークである広告を有効に働かせる方法であると思います。

 要するに、お前が言うな、とか、何言ってるの、というツッコミを意識するということでしょうか。またツッコミがあるだけましですが、多くは、ああ広告ね、とノイズとして無視されてしまいます。広告は、広告主のポジショントークと明確に意識される時代。だから、一頃のコピーライターブームの熱狂が終わったんですよね。でも、それは逆説的にコピーライターの本当の力が試される時代でもありますね。

 どうしてポジショントークについてあれこれ調べてみたかと言うと、津田大介さんのTwitterでのつぶやき(参照)にブクマがたくさんついていたから。それにしても、つぶやきが話題になるって、すごいですよね。さすがTwitterと思いました。どこがさすがなんだかはわかりませんが。その元の文章はこんなのです。Twitterだとどうしても全文引用になってしまいますが。

俺はネットの一部にある「誰が言ったかが重要じゃない。何を言ったかが重要なんだ」って概念を根本的に信頼していない。それが14年ネット見てきた結論。匿名だってポジショントークは盛んに行われてるし、むしろなぜその人がそういうポジショントークをしてるのか辿ることで論点が見えてくるから。

 ここで言われるポジショントークっていうのは、ブログまわりで属人論法と呼ばれるもののイメージとイコールっぽい。ニアイコールくらいでしょうか。多くのブログでも、属人論法からなされる発言という意味に近いかも。微妙に違うかもしれませんが。でもって、属人論法の定義を調べてみたけど、なかったです。属人論法というのは、冒頭の例みたいな感じとか、受け手の側から観ると、あの人が言っているから正しい、みたいなことらしいです。度が過ぎると危険ですね。

 でもまあ、仕事において私が置かれている状況は、いやになるほど度が過ぎた属人論法ばかりですけどね。それを打ち破るのは、けっこう大変だけど、それを突破しないといい仕事はできない気がします。実務では、それは企画書とかプレゼンの役割ですね。中身で勝負というか、その属人論法を打ち破るために頑張っています、という感じです。これもある意味で、今の私のポジションを根拠にしている属人論法でもありますけどね。

 行き過ぎた属人論法というのは駄目だし、論議が成り立たなくなってしまいますから、現実的に困ったもんだなあ、とは思いますが、一般のコミュニケーションで完全に属人論法を排除するのは、なかなか難しいのでしょうね。

 ブログなんかの場合だと、完全に匿名でやっていても、エントリを積み重ねていくことで「この人」というのがつくられていきますし、コメントなんかでも何度かやり取りをさせていただくうちに、たとえそれが具体的でなくても、なんとなくその人のバックボーンが見えてきますから。それを情報から排除するのは難しいです。まあ、ディベートの流儀というか、コミュニケーションに対する倫理的な態度のひとつとしての話ではないでしょうか。

 また、この倫理的態度を突き詰めて、発言の根拠を求めていくと、結局は、それまでその人がどんな発言をしてきたかというバックボーンを問われてくるような気がしますので、属人論法の完全排除は、結果として、究極の属人論法になってしまうような気もするし、難しいものだなと思います。

 この属人論法という言葉、どうやら飯田泰之さんの「ダメな議論—論理思考で見抜く(ちくま新書)」(参照)から流行ったっぽいですが、もしかするとネットが先かもしれません。それとも、論理学の用語なんでしょうか。このあたりはあまり詳しくないので、私にはわかりません。どうなんでしょうね。

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