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2008年6月30日 (月)

いつまでも良心や善意に頼りっきりでいいのだろうか

 NNNドキュメント’08「笑って死ねる病院」(テレビ金沢制作)を見ました。石川県金沢市の城北病院の話。82歳になる肺がん末期のご老人を中心に、地域と医療現場のやりとりが紹介されていました。このご老人は、入院90日を超えて、病院から転院を迫られました。その理由は、このブログでも書いた高齢者の入院90日規定(参照)です。入院に対する保険点数が90日を超えると極端に下がるのですね。

 転院先を探すも、どこも引き受け手がなかったそうです。このご老人の奥さんが、かかりつけ医であった城北病院の先生に相談し、城北病院に転院することになったとのことです。番組によると、今、末期がんの患者は、どこの病院も引き受けたがらないそうです。赤字をつくるからです。

 城北病院は、地域の人たちと協力しながら経営をしている病院だそうです。引き受けた城北病院の主治医がインタビューに答えていました。実際には、そのご老人の医療サービスについては、病院は赤字だそうです。つまり、良心でやっているということです。これまで私は医療はこうあるべきでやってきたけれど、医療制度がこうなってしまった今、これからも同じことができるかどうか自信がない、といった趣旨のことをおっしゃっていました。

 やっぱり、制度の問題なんですよね。身も蓋もない言い方で言えば、お金の問題です。

 例えば、卑近な例で申し訳ないけれど、私のやっている広告の仕事。私たち広告会社は、今、多くの仕事で、媒体コミッションによってその大部分の対価を頂いています。媒体コミッションというのは、テレビとか新聞とかの広告媒体を買うときに発生する手数料のこと。

 大雑把に言えば、仮に手数料が10%として、6億の媒体で投下する広告の場合、6000万の利益が出ると言う訳です。600万なら60万の利益。そういうコミッション制でやっていると、媒体を大量に投下しない会社の仕事は、儲からない仕事になってしまうんですね。企画という軸で言えば、6億の仕事も600万の仕事も等価なはずです。

 実際、多くの広告マンは、そのプライドにかけて、どちらも手を抜かずにやっていますが、いつまでもそのプライドを維持していけるかどうかは私も自信がないです。経営的な問題が出ると思いますし。つまり、コミッション制というのは、緻密で良質な企画を受けるためには、媒体をたくさん使ってくださいよ、という制度なんですね。そして、この制度は、マス広告一辺倒時代の終焉とともに綻びが出てきています。

 人の命にかかわる医療と、そうでない広告を同列に語ることはできませんし、広告会社の淘汰と医療機関の淘汰は、その意味はまったく違うとは思うけれど、構造は同じような気がします。

 良心とか善意とか、そういったものは儚いものです。たったひとつの制度によっていとも容易く崩れ去るものです。上部構造は下部構造に規定されるとマルクスは言いましたが、ほんとその通りだな、と思います。下部構造に規定されない強靭な意識を要求するのは、ただの人間に聖人になれと言っているようなものだと思います。

 私が、この医療制度のことがグロテスクだと思うのは、意識の変革には言及せずに(グロテスクすぎて言及できないでしょう)、制度によって、間接的に人の意識の変革を迫っているところです。医師にはそれ以上診るな、患者にはあきらめろ、そう言わずに、制度によって、そう仕向けようとしている、ということなんですよね。

 たぶん、この制度はあまりにグロテスクすぎるので近い将来、矛盾や問題がたくさん出て破綻すると思うし、しばらくは良心に頼ることと、制度をよく知り、自衛することが大切だと思うけど、その間にも、今の制度の犠牲になる人が出てくるわけで、なんかいたたまれないです。医療難民と言われる人たちに何もできないわけだから、私のこうした言葉は、身勝手なセンチメンタリズムに過ぎないけれど。

 

 追記:

 終末期の問題は、本来医療ではなく、「ケア」として考えるべきもので、政府の考え方としては、もともとは、というか大義は、これからは、なるだけ慣れ親しんだ自宅において介護保険制度によるケアで行うようにしていきたいとの趣旨だとは思います。この医療制度と介護保険制度はセットで考えられていました。

 しかしながら、医療に替わるほど介護は発達していない現状と、現在、終末期ケアは医療機関に頼らざる得ない状況を考えると、やはり、患者にあきらめろと言っているに等しいのではないかと考えます。また、この医療と介護の境界にある患者はたくさんいます。つまり、例外が多すぎると思うのです。

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