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2008年7月 7日 (月)

自由 Freedom Liberty

 どちらも日本語では自由であるけど、FreedomとLibertyはもともと違う概念。福澤諭吉がLibertyを訳す際に仏教用語の「自由」を当てたのが、この日本語の「自由」の由来だそうで、はじめ福澤は「御免」と訳したけれども、それではLibertyが持つ上意のニュアンスが強すぎたと感じて「自由」としたそうです。

 仏教用語の「自由」は、「自(おのずから)に由る」の意で、自らを拠り所にしてことを行うということで、なんらかの影響も受けない心を言っているらしい。当然そこには煩悩からも影響を受けないということも含むのでしょうね。仏教ですから。

 大乗仏教の基本教典であり、600余巻にも及ぶ「大般若波羅蜜多経」を、たった300余字で表現したと言われる「般若心経」は、「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時」から始まります。現代語に訳すと「自在にものごとを見ることができる菩薩が般若波羅蜜多を深く行じた時」という意味になります。般若波羅蜜多(はんにゃはらみた)というのは、サンスクリット語の呪文の音を漢字にしたものです。確か、パーニャパラミッタだったと思います。

 日常よく使う「自由自在」というのは、「自(おのずから)に由る」ものが「自(おのずから)に在る」様子を表現する言葉です。「自由」も「自在」も本来はその人の意識の状態を言っていて、今私たちが考える自由自在の意味は、そういう状態の人が「自由自在」にふるまう様子から来た、二次的な意味なのでしょうね。(ということは、現代訳も、「自に在る状態に見える菩薩が般若波羅蜜多を深く行じた時」にすべきかもしれません。)

 Freedomは天賦の自由で、Libertyは獲得する自由。自由の女神は、Statue of Libertyで、自由の鐘は、Liberty Bell。ついでに、自由民主党はLiberal Democratic Party。で、調べてみると、日本にかつてあった自由党はLiberal Partyで、多くの国の自由党もLiberty Partyですが、オーストリア自由党はFreiheitliche Partei Österreichs、つまりFreedom Party。この政党は極右政党だそうですが、極左政党でもFreedom Partyはあるので、必ずしも右派的なニュアンスはこの言葉にはなさそうです。

 一般的に、Freedomが消極的自由、Libertyが積極的自由だと説明されていますが、Libertyという概念の中にも、段階論として、消極的自由と積極的自由があり、必ずしも、その解釈はあたらないと思います。それに、逆転した考え方ですが、英語には、FreedomとLibertyに共通する概念にあたる、日本語で言う「自由」という言葉がないですが、そうした共通の「自由」という概念の強弱で言えば、Freedomの方がより自由の強度が強いと言えるかもしれません。

 日清のカップヌードルのキャンペーンは、Freedomでしたし、日本語で言う「自由」の本来の意味である解脱した心のあり方の意味に近いのは、このFreedomなのかもしれません。ありのままの心というか、そんな感じ。よく歌詞で、俺たちには自由がある、なんていうのもFreedomでしょうね。

 法律なんかでは比較的Libertyが多く使われますが、例えば、表現の自由というのは、英語ではFreedom of speechまたはFreedom of expression。日本国憲法の英訳を見てみると、表現の自由も、信教の自由も、思想及び良心の自由も、憲法に規定されている自由はすべてFreedomでした。天賦の自由ということですね。生まれながらに、というやつです。

 しかしながら、前文の「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し」の「わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢」は“the blessings of liberty throughout this land”でした。つまり、これは、様々な犠牲によって勝ち取った自由であるということなんですね。

 このFreedomとLibertyとの違いについて、明快な答えを書かれているものがありました。引用します。

英語を生業としている者です。

簡単に語源を解説しますと、"freedom"が、"old English"の"freo"に由来し、「自由な状態」を言います。一方、"liberty"は、別の方の指摘どおり、ラテン語の"liber"に由来します。

英語の発達の歴史から考えると、本来語を身近な一般語として使い、ラテン語をそれに関する語句に当てたといういきさつがあります。例えば、「手」は 本来語は"hand"です。一方ラテン語は、"manu"です。「手」という本来の意味に関するものは、"handful"「一握りの」やhandy"「手で扱い易い」と言うように使われたのです。一方"manu"は、manual"「手引書」や"manuscript"「原稿」のように、手で扱う事柄、物に使うというように区別し始めました。ということは本来語の"freedom"を一般語としての「精神的自由」に当て、"liberty"を自由に付随する意味で「社会的自由」と定義したと推測できます。ですから、法律の条文には、"liberty"の方がよく使われているようです。

しかし、どちらも置換可能な場合がありますので、慣用表現以外はほぼ同じと考えて差し支えないと思います。

フリーダム と リバティ とは、どう違うのですか? - Yahoo!知恵袋
の解答より

 で、これを読んで気になったこと。「自由な」を意味するラテン語のLiberについて。確か本屋さんのリブロ(LIBRO)はスペイン語の本にあたるLibroから来ていて(フランス語ではLivre)、その語源がラテン語のLiberでした。で、ラテン語でも本を意味しますが、もともとは木の内皮のことだそうで、この本を意味し、木の内皮の意もあるラテン語のLiberと、「自由な」という意味があるLiberは同じなんでしょうか。というより、どちらが先なんでしょうか。

 ここからは想像です。きっと木の内皮を表すLiberが先に出来て、ここに文字を記したことで本という意味が付加され、様々な有用な知識や、生活に必要な知恵、楽しい物語、そんなこんなが「自由に」持ち出せて、どこでも読めるようになって、そこに「自由な」という意味で用いられるようになったのではないでしょうか。そういうことを考えていくと、Libetyというのが、獲得する自由として用いられているのはなんとなくわかる気がするのですが。

 ちなみに、英語のBookも、ドイツ語のBuchも、古代ゲルマン語のブナの木を指す言葉から来ているそうです。日本語の本は、「物事の基本」という意味の「本」が転じて書物を表すようになったとのこと。なるほどなあ。お経とかのイメージです。日本と西欧では、本に対する深層のイメージが違うんですね。そういえば、私の中に、本に「木の皮」感ってないものなあ。

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コメント

bookの語源がブナの木。はじめて知りました。日本語の本もビジュアル的には「木」にかなり近いですよね。。

投稿: | 2008年7月 7日 (月) 16:38

おお、確かに、「本」は「木」に近いですね。ということで調べてみました。
象形文字の「木」の根元の部分に印を打って、根元=根本を意味する言葉にしたようです。「指事(しじ)/象形文字に一点一画を加減して、意のあるところを強調して示した字です。 上・下・本・末などの字がこれに属します。」とありました。
http://homepage3.nifty.com/brush-art/J0941.html
なんか、こういうのって楽しいですよね。

投稿: mb101bold | 2008年7月 7日 (月) 21:25

ローマ時代には主として羊皮紙が用いられたはずです。植物系原料からできた「パピルス」は、言葉としてはエジプトからギリシア語経由でラテン語に入ってきて別に存在します。
"liber"の「木の皮」と「自由」という意味が「紙」からできた「本」を通じて関連しているという考えには無理があると思います。liberの語源はインド・ヨーロッパ祖語で「人々」を意味していて、ここから「木の皮」と「自由」の二つの意味が派生したのでしょう。

投稿: | 2014年11月11日 (火) 21:34

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