それでも容赦なく時は流れていく
暑い最中に申し訳ないけど、かじかむ寒さの冬の日、耳たぶを真っ赤にしながら自転車を走らせて家に帰る途中で、商店街の肉屋さんで、握りしめた50円玉で買った、揚げたてのコロッケとか。肉なんかちょびっとしか入ってないけど、やけどするくらい熱々で、ソースなんかなくてもとびきり旨くて、この世にこんな幸せあったんかいな、みたいな感じでね、ああ、あんな味はもう味わえないのかなって、最近思うんですよ。
仮に、子どもの頃みたいに自転車のって、同じように肉屋でコロッケ買って食っても、あの味にはならないんだろうなと思うんですよね。さみしいけど、きっとならないです。私はグルメじゃないから、世界中のうまいものの1000分の1も食べてないけど、あんなうまい食べものは、この先、きっと食べられないんだろうなと考えると、ああ、年を重ねるって残酷なことでもあるかもな、と思ったりします。
今でも覚えているけど、デパートの大食堂ではじめて食べたカツカレーも旨かったなあ。世の中にこんなナイスな組み合わせを考える人がいるんだって。カレーもカツも、すでに食べたことがあったけど、そのふたつが組み合わさって、カツカレーになるとこうも違うんだと、子どもながらに考えたりしました。
お昼時とかに、カレー屋さんでカツカレーをかっこむけど、あのおいしさはもう味わえないんですよね。デパートのカツカレーが上等だったわけでもなく、もうあの感動は二度とやってこない、それだけのこと。
時を重ねていくことは、いろんなことを知ることでもあって、それは、いろんなことが見えるようになることでもあるけれど、時を重ねた目からには、いやなことだってたくさん映ってしまうんですよね。一見、無邪気なもの、無垢なものに見えるもの中の、救いようのない駄目さやずるさ、計算高さも見えてしまうんですよね。
でも、その目には、不機嫌な顔をした人の、目の奥にある誠実さややさしさも、はっきりと映るようになって、そのわかりにくい誠実さややさしさを理解できるようになるために、時の流れの中で、人は、いろんなものを捨てていくのだろうな、と思ったり。まあそんなこんなを考えたところで、容赦なく、時は流れていくんですけどね。
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コメント
おはようございます。
要は心の持ちようで、ベンチャーで成功して両手に握り締めても余りある物質文明が最近は僅かになり子供の頃1杯40円のラーメンが大ご馳走だった頃に戻った様な環境で、何でも美味しく感謝の念に耐えないね。
某国の作戦に踊らされて、贅沢三昧したが日本は質素倹約、向こう3軒両隣みんな仲良しでいいんじゃあない。
時は富める人も貧しき人も平等に流れ、楽しき時間も苦しき時間も平等に過ぎ去るもの。
投稿: あんぷおやじ | 2008年7月30日 (水) 05:33
おはようございます。
私も、基本はなんでもおいしい派ですが、忙しいときは、あの感動のカツカレーを無感動でかっこんじゃうときがあるんですよね。いかんです。
あの子どものときのコロッケやカツカレーに比べれば、贅沢で得られるおいしさってたいしたことはないなあ、と思います。あのおいしさは、贅沢では得られないものなんでしょうね。
投稿: mb101bold | 2008年7月30日 (水) 10:31
こんばんは。
いま仕事で当たり前のように使っているTAXIや新幹線や飛行機も、子供の頃は別世界の人が乗るものだと思っていました。
カツといえばハムカツだったですよ。
いまの自分も、本当は、そういう「つつましい≠貧しい」生活でいいはずなんですけどね。
投稿: takupe | 2008年7月30日 (水) 19:07
こんばんは。
うちの父親なんかは、新大阪からタクシーに乗って帰ると、そんな心構えだと何やってもどうたらこうたらと、今だに怒るんですよね。高速バスなら安いとかも言いますし。
ハムカツもアイデアですよね。衣つけて揚げることでボリュームアップ。なんかその発想がナイスですよね。ハムカツサンドは、今もよく食べます。でも、ちょっと胸焼けするんですよね。
投稿: mb101bold | 2008年7月30日 (水) 19:35