おしゃべりこそが、人生だ。
本日は、朝から出先で作業して、そんでもって、いろいろ終わって、会社に戻ろうと思ったけど、会社に戻ったら、いろいろあるから考え事はできないなあ、なんてことで、自宅でずっと作業をしておりました。で、いま一段落ついたとこ。
いままでだったら、職場は仕事をするとこで、自宅だとさぼりがちになってたけど、今は、その感覚、まったく逆になってきてます。職場だとPCがあったり、資料があったり、コピー機があったり、なにかと便利だったけど、いまや自宅のPCのほうが性能もいいし、職場にあるような資料は、たいがいネットやハードディスクにあるので、自宅快適、さくさく、さくさく。
しかも、けっこう集中できるのが、自分でもびっくり。土曜は、どうしても大阪に帰らないといけないので、金曜にプレを集中させた結果、けっこうしんどいんですけど、自宅で仕事したから、なんとか見えるところまできた感じ。
場所としての会社って、意味なくなってきたかもなあ。場所としての会社に意味があるとすれば、ミーティングかな。人と会って、目を見て話すのだけは、やっぱりバーチャルでは難しいかも。でも、いちおうは、テレビ電話的な環境も、つくろうと思えば、簡単につくれるか。うーん、だったら、あとは何が残るんだろう。
体温、息づかい、いやいやそうじゃないな。恋じゃあるまいし。てことは、やっぱり、同じ場所に一緒にいることのメリットって、無駄話かも。自宅で作業してると、無駄話のかわりに、ブログとかいじっちゃうけど、やっぱりおしゃべりとか、よいものなあ。というか、企画作業で、こころの缶詰状態にあるときって、おしゃべりこそが人生だ、なんて思うもの。
あっ、これ、いいな。タイトル、これにしよっ。ほんじゃ、おやすみなさい。また明日。
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コメント
十数年前マルチメディア論争が盛んな頃、
「なんの為にマルチメディアか」と言う
命題に対し、文字だけ、音声付き、映像
付きと、情報量を増やした時、コミュニ
ケーションの質の変化を考えれば、マル
チメディアの必要性は、自明では無いか
と、言われていました。
マルチメディアが当たり前の時代になると
次は、場の雰囲気もコミュニケーションに
取って大切な要素だなんて事が判って
来たように思えます。
でも、世間を見渡すと、十数年前に比べ
文字によるコミュニケーションの機会
(メールやネットの書込み)が増えてる
事、重要性が増している事に多少の皮
肉を感じます。
投稿: をたくな講師 | 2008年7月 9日 (水) 18:07
とくに思うのは、目の表情の情報量ですね。たくさんの人たちがいる場がつくる、いわゆる「場の雰囲気」というのは、もしかすると目線の総体なんじゃないか、なんて考えます。
確かに、今の時代ほど文字を使ったコミュニケーションが多用される時代もないですね。電車で見かける高校生なんて、私の時代なんかより数倍(もしかすると数百倍?)の文字を書いている気がします。
投稿: mb101bold | 2008年7月 9日 (水) 19:20
あのう~大それた持論ですが・・・
「女の人(うふふ、いやオバチャンかな?)のムダ話がなくなったら、世の中暗~いモンになっちゃうよ」と、常々思っています。 また、腹のそこから声だして大笑いするって(最近少ないんだけど)警戒心ゼロって思えて、大好きな仕草?です。
・・・ダンナが聞いていようがいまいが、勝手におしゃべりしたりね。(たぶん右から~左に~だと思うけど。)自分の感じていることを伝えるのって、すごいエネルギー要るんだから、それを出し惜しみしちゃダメ!と、子供にも言っています。(ウザイかな??) ではでは、おやすみなさ~い。
投稿: Aうなぎ | 2008年7月 9日 (水) 23:24
そですねぇ。女の人のおしゃべりがなくなったら、街とか電車の中とか、ものすごーく暗くなりそうですね。それと笑い声も。もらい泣きと同じように、電車とかで、もらい笑いすることも多いですねぇ。
平日の新幹線の中と、休日の新幹線の中って、明らかに雰囲気が違うんですよ。特に、平日新大阪発、朝一の、東京に9時前に着く社内。もう、すっごく暗いんです。
やっぱり、世の中は、明るい方がいいですねぇ。ほんと、そう思います。
投稿: mb101bold | 2008年7月10日 (木) 00:51